「寛希、寛希……」
おれのなまえを、だれかがよんでる。
なんだかおもいめを、いっしょうけんめいあける。
……しらないおにいちゃんが、こわいかおをして、おれのなまえをよんでいた。
「ああ……よかった……大丈夫ですか? 寛希」おれが、めをあけたのをみて、すごくほっとしたかおをしている。
「おにいちゃん……だれ?」
ほかに、なにをいったらいいのか、わからない。
おにいちゃんは、おおきくめをひらいて、おれをじっとみた。
こわくなって、かけぶとんを、くちのところにひっぱりあげる。
「何を……言っているのですか、寛希……」
「どうして、おれのなまえをしってるの?」
「寛希……?」
おおきなてが、ほっぺたにさわる。
このあたたかさを、どうしてか、おれはしっていた。
「寛希……貴方は……」
「?」
くびをかしげる。
すると、おにいちゃんはおれを、ぎゅっとだきしめた。
くるしい……。
「はなして……」
「済みませんでした……」
「くるしいよ……」
おにいちゃんは、なぜかないていた。
どうして…………おれが、なかせたのかな……?
「今更後悔しても遅いのですね……」
あたまにてをおかれる。
そのては、ふるえていた。
「医者を呼びましょうね。ここでは、これ以上貴方は暮らしていけない……」
もういちど、ぎゅっとだきしめられる。
にげようとおもえばできるけど、でも…………でも、できなかった。
どうして? しらないひとなのに。
「このまま貴方を何処かに閉じ込めてしまいたい……」
ひくくなったこえがこわい。
ぞくっとする。
「……これ以上、誰も貴方を傷付けないように」
ほっぺたにキスされる。
「これ以上穢さないように」
おでこにキス。
「でも……それは許されない事なのですね。…………さあ、ここで大人しくしていて下さい。直ぐに戻りますから」
あ……。
「寛希?」
はなれようとするうでを、ぎゅっとつかんだ。
「いっちゃやだ」
ひとりになりたくない。
「ここにいて」
こわいよ。
「……寛希…………」
このおにいちゃんはこわい。
でも、ひとりになるほうが、もっとこわい。
だれでもいいから、ずっと、そばにいてほしい。
「大丈夫ですよ。直ぐに、戻って来ますから」
おにいちゃんは、やさしくわらった。
それだけで、すこしだけだけど、おにいちゃんのいったことを、しんじられるきになる。
「すぐに……かえってきてね」
「ええ」
おにいちゃんをしんじて、おれはうでをはなした。
いま、おれは、まっしろいへやにいる。
だれもこない。
うそつき。
おにいちゃん、そばにいてくれるって、いったのに。
やさしいおねえさんとか、おじさんとか、たくさんひとはいるけれど……。
それでも、やっぱりさみしい。
どうして、だれもそばにいてくれないの?
どうして、みんなかえっていくの。
ひとりにしないで。
だって、おれ……みんなといたいよ……。
ゆめをみるんだ。
ここから、いなくならなくちゃいけないような…………。
すごくきれいなひとが、まっかになって、おれにおいでおいでをしている。
すごくきれいなんだけど、とてもこわいんだ。
まっかないろに、ひきずりこまれそうになる。
ただ……こわいだけじゃなくて、すごくなつかしい。
だから、よけいにさからえない。
いくのが、いやなんじゃない。
ううん。
それどころか、いかなくちゃ、っておもうけど、あのおにいちゃんに、もうあえなくなるようなきがして……。
なぁ────────ん……
なに? ねこ……?
まわりをみまわす。
でも、なにもいない。
なぁ────────ん……
……いた。
まどのむこうにねこ。
すごくきれい……。
まどはあいてる。
おいでおいでをすると、ねこは、もういちどないて、はいってきた。
あごをなでると、ごろごろと、のどをならす。
きもちよさそう。
でも、すぐにてをすりぬけてしまう。
「──どうして──」
だれ?
へやをみまわしても、おれひとりしかいない。
「──貴方を、ずっと待っているのに──」
きれいなこえ。だれ?
「──ねえ……もう、貴方をそこに繋ぎ止めるものなんて、何もないでしょう? 私だって……もう、待ちくたびれた……──」
ねこが、しろくひかる。
ひかりはだんだんおおきくなって、ねこのすがたをけした。
そして、ひとのかたちになる。
ひかりがきえていく。
きれいなひと。
いくや────
「いくや」
「──行きましょう。貴方は、もう、ここにいるべきではありません──」
しろいてがさしだされる。
めのところに、そのてがさわる。
それで、おれは、じぶんが、ないていたことに、きづいた。
おれは、ためらわず、そのてをとった。
もうこわくない。
そして、いくやのかおをみて、ほほえむ。
……やっとあえた。
おれたちは、みつめあって、ほほえみあって、いくやにてをひかれて、そらの、たかいところへとのぼっていった。
部屋に乾いたノック音が届く。
「寛希君、お薬の時間よ」
白衣を着た看護婦がクリップボードを抱え、カートを押して入ってくる。
寛希はベッドで眠っている様だった。
窓から差し込む午後の光と清かな風に、柔らかな髪が透け、揺れて煌めいている。
頬には長い睫に依って、深い陰影が刻まれていた。
口元が微かに綻んでいる。
何か良い夢でも見ているのだろうか。
「寛希君……?」
ここに来て以来、寛希が午睡をする事はあまりない。
不思議に思って歩み寄る。
「寛希君、起きてくれるかしら」
軽く頬に触れる。
暖かい陽の光に晒されているにも関わらず、そこは異様なまでに冷たかった。
慌てて腕を取り、脈を取る。
音を立てて、クリップボードが床に落ちた。
「寛希君────!」
──終──