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絵:
ゼネテス  レムオン  セラ

小説:
レムオン  /  ゼネテス        /  ベルゼーヴァ     /  セラ    


   副指令は、朝から煮詰まっていた。
「…さし当たっての急務は街道筋の治安保全か、それとも壊れたままのロストール市街地の城壁か……」
 副指令の穏やかで優しげな声が、その声に似つかわしくない言葉を口にする。
副指令は日差し色の髪を持つ美麗な女性で、一見するとどこかの貴族のご令嬢の風体。
それはそうなんだけど(ノーブルと言う領土を持つ『ノーブル伯』なるれっきとした御領主様だし)、おおよそ『ロストール軍副指令』などという肩書きが似つかわしくは見えない。しかし彼女はきちんと軍の仕官クラス以上が着用する軍服で身を包み、白くて丸いひざが見えるぐらいの丈のタイトスカートは、若い士官たちにとって目の毒でしかない。
今彼女の目の前には大きな円卓があって、それにはそれぞれにいかにも『猛者』と言う単語がふさわしい男や眼光鋭い女性が10人程度座って、みな一様に軍のナンバー2を注視している。
…ただ、不思議なことは、この場に最高責任者がいないこと。副指令は『副』指令でしかなくて、その上官、軍の頂点は別にいる。
「副指令、ゼネテス総司令は」
 そしてその疑問は他の者も当然のように抱いていたらしくて、おずおずとひとりがそう副指令に切り出すと…
「あーあれのことは忘れて。あんなばかちん、そのうち粗大ゴミで捨てる予定だから。
 そしたらもっとちゃんと仕事する総司令を、今度は投票で公平に決めましょう。」
 難しい顔をしていた副指令が、いかにも頭でも痛んでいそうに眉間にしわを寄せてぞんざいにそう言い放った。そんな彼女の様子に、一同は「またか」と言うかのように顔を見合わせた。
ロストール軍の重要な雑事は、すべてこの小柄でか弱そうな副指令が見事に捌いている。総司令は必要な時「だけ」いる、そんな具合。
「とりあえず上申する議題を絞るだけだからあんな仕事嫌いのスカタン抜きでも会議はできる」

「ヨメさんに捨てられちゃあ俺路頭に迷っちまうなー。
 スカタン来ましたよ、副指令?」

「…今は10時ですか、総司令? 会議は10時開始予定だったと思いますけど。
 まぁあなたの時計では今が10時なのでしょうから、早く席についてください。」
 すげない台詞で総司令不在でも会議を進めようとした副指令の神経を逆撫でするタイミングで現れたのは、噂の総司令。おどけたみたいな、この場にそぐわない台詞と共に現れたせいか、副指令から吹く風当たりは強いなどと言うものじゃない。いつもなら彼女にそう言われただけで、大柄な男が背中を丸めすごすごと言われるままにするんだけど、
「いんや、俺的にはまーだ10時前だ。んでちょいと野暮用を思い出しちまった。
 お前ら、会議は延期だ。明日の同じ時刻にこの部屋で行う。
 女王陛下への上申はその後でも充分間に合う、期日が一日だろうと延びる分、副指令の女神の微笑みが見られるよーないいネタ用意しとけ。」
 今日は違った。総司令は「剣狼」の異名を取る歴戦の猛者で、普段は妻でもある副指令に頭もうだつも上がらないサボリ魔の様相を呈してるけど、それでもこの男は不幸ともいえるめぐりあわせでこの地位について、濡れ衣を着せられ処刑寸前まで追いつめられながらも、運と実力でその座から降りることは一度もなく今日まで軍の最高責任者という大役を務め続けている。
軍だけじゃない、国内外への影響力は絶大で、少々おふざけがすぎるぐらいでとっつきにくい肩書きを中和しているほどだった。その彼がなにやら胸に一物、鶴の一声でまとまらずにいる会議を棚上げして延期宣言、当然生真面目で約束事にうるさい副指令の顔色が変わった。
 しかし、副指令の反論は総司令の突飛な行動で封じられた。逞しい男の腕が、有無を言わさず小柄な女を大事そうに、けど無造作に両腕で抱え上げた。それは男が女を抱える時のあれで、軽々と女ひとり抱えると、総司令はあっけに取られる一同を無視して鼻歌なんて歌いながらそのまま大股で、開けっ放しのドアから出て行きどこぞへ姿をくらました。
…当然、副指令も一緒。
 だけどまぁ、こーゆーことはロストールでは日常茶飯事とまでいかなくても、時々あることでもある。いきなり会議を打ち切られて空気がおかしくなるでもなく、うっちゃられた上級仕官の面々は気にする様子もなく目の前の書類をまとめ、それぞれに立ち上がり会議の後に待っている仕事へと戻っていった。
さし当たってはそろそろ太陽が頭の上に差し掛かるから昼食でもとろうか、そう言いたげな雰囲気だった。



 そして、総司令と副指令、いやゼネテス夫妻はと言うと……
「あなた不真面目なのもいいかげんに」
「いんや俺は至って真面目だ。つーかシル、お前相変わらず軽いなぁ。
 ちゃんとメシ食ってっか?」
「食べてるじゃないですかあなたと同じものを毎日!」
「なら太らなきゃおかしいんだけどなぁ。俺は幸せ太りしちまったってのに」
「あなたの場合、毎日剣の稽古してるから筋肉が増えただけでしょ。
 とりあえず降ろして!」
「 い や だ ね 。」
 喧嘩を続けながら(…というより妻が一方的に怒りながら?)軍の敷地を歩いてる。
ゼネテスはシルマリルを大事に抱えて、軍用地の門まで来ると、そこには1頭の馬が門の脇の木につないであった。軍馬の背には大きめの鞍がかけてある、当然そこは軍馬をつなぐような場所ではなくて、ゼネテスが目的があってそこにつないでいたのだろう、彼はシルマリルをその馬の背に押し上げるみたいに乗せた。
「あなた!?」
 妻の素っ頓狂な声を無視してるのか、ゼネテスも彼女の後ろに座るみたいに騎乗する。シルマリルは横向きに乗せられたこともあってまたぐ形ではなく腰掛けているだけ、夫の逞しい腕にまた抱かれ、馬は騎手の合図を受けて駆け出した。
「あんましきーきー怒ってっと舌噛んぢまうぞ。飛ばすからしっかりつかまってな。」
 言われずとも、シルマリルは軽く歯を食いしばっている。馬車なら時々乗るんだけど馬そのものに鞍をかけて乗る機会は皆無に等しくて、細い日差し色の髪が揺れて跳ねて風に流れて、人の走る速さよりも速い馬の脚に感動するより前に、やっぱり「怖い」と思ってしまう。
そしてその怖さは頼るものを探す手に伝わり、手綱をとる逞しい腕にシルマリルの細い指が軽く食い込んだ。
「慣れたら目を開けとかないともったいねぇぞ。
 人間がいくら走ってみても、こんな景色拝めるもんじゃねぇからな。」
 愛しい男はそう言うけれど、シルマリルは激しく揺れるこの振動に慣れてない分、恐怖がどうしても先に立って彼にしがみつくので精いっぱい。風が強くて耳も首筋もすーすーするし、蹄の音が近すぎて怖い。
さっきまでの威勢はどこへ行った? ゼネテスは妻の可愛らしい変わり身を、どこか嬉しそうに口元を緩めたまま馬を走らせ続ける。
 ねぇ、どこまで運ばれるの? この乗り物はあなた好み、だけど私は怖いばかり。
 私はリスクもスリルも欲しくない。それはあなたひとりで充分すぎる。
シルマリルの中では、一瞬がまるで永遠みたい。いつまでもいつまでも蹄の音ばかりが繰り返される悪夢にも似てる。夫である男の逞しい胸に抱えられ守られていることがただひとつの安心感で、けれどこの男が何をこよなく愛していたかを思えば思うほど恐怖が不安と絡み合って爆発しそうにふくれあがる。

「ほら、いつまで目ぇつぶってんだ?
 見てみろよ、いい景色だぜ。」

 いつの間にか、蹄の音は途切れていた。彼の胸板から聞こえてきた声に促されてシルマリルがおそるおそる目を開けると――――眼下に広がるロストールの街並み。石畳で美しく調えられた街並みは近くから見たらずいぶんと傷んでいるんだけど、離れて見下ろしたら、まだまだ美しい。
何のことはない、軍の兵舎と城は目と鼻の先と言うか、軍の兵舎は王城のそびえる丘のふもと。ゼネテスは馬を走らせ石畳でない荒れた道を馬で駆け上がっただけだった。けれど…小高い丘の上のまた少し高み、馬の上から見下ろす街並みは、ゼネテスの言葉の通りに美しさを損なってはいなくて眼下に広がっていた。
大きく茂る千年樹の濃い緑が白い石畳や、壊れて水があふれっぱなしの噴水の水面のきらめきにとけてさらに映えて、確かに美しい。人の姿はここからは見えなくても、街並みには確かに誰かが生きている、そこで暮らしていると言う確信めいた空気があった。
 シルマリルは壊れた街並みをどうやって元に戻すかばかりを毎日毎日しかめっ面で士官たちと話し続けていたけれど、ゼネテスはいつも上の空でいた。窓の外ばかり見てた。
そんな彼がどんな思いをしたかを知らないシルマリルじゃなかったから、あえて彼のそう言う様子には目をつぶり見逃していたんだけど…
「…なんでもかんでも俺らに何とかしてもらおうなんざ、町の連中は思ってねぇんじゃないのか?
 間近で見慣れてっから壊れた壊れたってそればっか気にしちまうけどさ、なーに、直せる程度しか壊れてねぇって。」
 彼はどんなに追いつめられても、常に光明を見出せる男だった。「まだまだ」って悪あがきをする男だった。その強さに引き摺られていたシルマリルのはずだったけど、いつしか些細な所にばかり目がいって深刻に考えすぎるようになっていた。
「うちの屋敷だってなんだかんだでちょっとずつ直してってるじゃねーか、なんでもいっぺんになんて無理ってもんだろ?
 大事なもんから直していこうや、ただでさえ懐具合がさびしい国になっちまったんだからさ。」
「…そうですね。」
 吹き上げる風がゼネテスの短い髪を乱して吹き抜ける。乱れた髪を直すこともなく笑った彼の表情に、シルマリルがようやく笑顔めいたものを見せうなずいた。どんなに総司令が普段うだつの上がらない怠け者でも、妻である彼女以外誰も文句を言わないのは簡単なことで、彼は常に誰もが見落としそうになることこそ大事に思ってちゃんと見ている。ただ細かいことにこだわらない彼の性格はトップとしては大切でも実務では支障が出ることも多いから、彼が婚約者を亡くした時すでに見つけていた伴侶の名を聞いても、誰も異を唱えなかった。
夫婦として永遠の約束を交わす前から彼の補佐を見事にこなしていた、優しげな辣腕の副指令の功績は誰もが認めるものだった。
柄の悪さも品のなさもなかなか抜けない筆頭貴族なんだけど、それでも朝には酒のにおいを抜いて髭をあたり身奇麗にして、当然白粉のにおいも断ち切り、無頼の輩を気取ることはなくなった。
いつまでも反抗期の子どものような真似をする必要もなくなった、今はやりたいことがあり、それを共有する伴侶が、ゼネテスの腕の中にいる。
「…改めて見ると」
「ん?」
「ロストールって、本当綺麗な町…。」
「………ああ。」
 美しい森の中で育った森の女神が、石造りの町を美しいと思った。人がごちゃごちゃしている国を楽しいと言った。ゼネテスとしては、ロストールと言う国に執着する理由としてはそれで充分だった。
愛しく思うようになり始めた少女が愛する、己が生まれ育った国を守ってみようと言う気になった。
ゼネテスの長い反抗期はそこで終わり。ようやくいっぱしの大人になって妻を娶り、己が足でこの国を踏みしめて歩き始めた。
「金がねぇなら頭使おうや。腕が必要だってんなら俺も含めて軍総出でやりゃあいい。
 …シル、フォロー頼むぜ。」
「こちらこそ。のぼせちゃってたらなだめてくださいね。
 …けど馬はもうカンベンしてください。揺れて落っこちそうで怖い……。」
「なんだ、竜殺しのシルマリルは馬がダメか。心配すんな、帰りは歩かせるからさ。
 慣れたらいい乗り物だぜ、生き物ならではっつーか、呼吸を合わせっといい仕事してくれっしな。」
 それでも彼の中に残る少年は消せなくて、シルマリルも消そうとか思ってなくて――――彼の造る轍を辿ると決めた、喧嘩したからと途中下車するようなやわな覚悟じゃなかったことを思い出した。
「私は自分の足で歩くのが好きなんです。」
「お、俺たち好みが同じだな。…俺もさ。――――なーんてな。
 ま、たまには違う目線から見るのも必要ってこった。
 お前は馬苦手っぽかったから、言ったら即答で断られるって思ってな。
 ちと手荒だったのは悪かったよ、だからカンベンしてくれっか?」
 ばつが悪そうに、そんな風に言われては、もう怒る気にもなれやしない。
シルマリルはため息ひとつで流すより他はなくて、けど怖がった腹いせとばかりにゼネテスの額、生え際あたりをこつんとげんこつで軽く叩いた。不意打ちだったのと、多少は痛かったらしくゼネテスが少々情けない声を思わず短く挙げた。
とりあえず、今日のことはこれでおしまい。シルマリルが怒るのは、怖い思いしたことだけ。
無骨な男なりに、デリカシーが少ないなりに妻の事を大事にしてる、彼なりの気遣いには感謝している。
「明日の会議、楽しみだな。俺もネタ練っとくか。」
「でも仕事は家に持って帰らなーい。」
「トーゼン。家では夫婦ですから。いちゃいちゃするのがお仕事でしょ?」
 ゼネテスは仕事をしないわけじゃない。細かな仕事にまで口を出さないだけ。
彼はファーロスの家でもこの国でも、大黒柱のような存在。どっしり構えていざと言う時に備えるのが仕事。そしてシルマリルは補佐の器、釣り合いの取れた似合いの夫婦。
だから、誰も総司令には口出ししない。

 総司令にお小言言うのは、妻でもある副指令にだけ許されたお仕事。
他の誰が言おうと、彼女ほどの効果は望めない。

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