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絵:
ゼネテス  レムオン  セラ

小説:
レムオン  /  ゼネテス        /  ベルゼーヴァ     /  セラ    


 ただひとりだけを見ているとその変化ばかりに気を取られて目を奪われてどうしようもなくなることがあるものだと知った。思い知らされた。それを突きつけられるきっかけは恋であることが多いと述べた書物を抱えた親友の妹に目を奪われて、心縛られて、彼女を蹂躙したあとに残るものは一体なんなのだろうか?
本心を告げた後のその先が見えないから、怖いから、セラは一度も本心を自らの男で引き裂いて女にした親友の妹に告げたことはない。けどその先もまた見えないから、ずるずると関係を続けるばかり。
夢見ることすら怖くて妄想のひとつもできない、つり橋を渡らされるみたいな日々は終わりが来るのだろうか?


 そんな中で、セラは当然宝物でもある親友の妹の変調に気がついた。
あまり元気を表に出さないと言うか、年齢の割に穏やかで、喜びの感情は隠さないけど自分の不機嫌や体調不良などは我慢してしまう彼女なんだけど、最近富に顔色が優れない。食も細くてここ数日はすっかり面やつれしてしまった。
それでも、少し前に迎えた世界の崩壊とやらをその細腕で食い止めた後の開放感が与える安堵からのゆるみか、とセラはみもふたもないことを思ったものだけど、その他にも…彼女は、セラと目を合わせなくなった。
美しいひとは今にも泣き出しそうな横顔で考え事に沈んでいることが多いのだけど、セラの気配を感じた瞬間彼女は我に返って、直後無理に笑って見せるから男はそれ以上何も訊けなくなる。
「つらいのならそのうちに自分から言うだろう」
 セラはそう自分に言い聞かせて自分の不安を押さえ込むのだけど、それは彼女のことを思いやってのことじゃない。些細なことをきっかけに自分たちの危うくも不確かな間柄に亀裂が入ることを恐れているだけ。
か弱そうに折れそうに見せる美しい術者殿を守る手練の剣士、そう言う構図ではなくて、本当は気持ちの強い親友の妹にすがって自分を保っているプライド高く脆い男、現実はそれ。
心配ならば言えばいい、問えばいい。世の男声諸君が当たり前にやることのやり方を知らないまま成長した青年は不器用すぎて、自分がどこまでなら彼女のことに踏み込んでも許されるのかをわからないからと距離を置くばかり。
男の腕力で彼女を女にしただけではなく貪るように抱いて肉欲に溺れた間柄だと言うのに。
 それでも、そうも言ってられなくなる時が来た。ふたりだけでまだ火種が残る世界を巡ろうと、セラは誘いの手だけを、関係を続けたい自分を隠して手だけ差し伸べて、彼女がうれしそうにうなずいたあの日からまた流離う日々に戻ったけれど――――程なく彼女の笑顔は翳った。
鮮やかなシルマリルが日々色あせていく様子ばかりを見つめ続けてそれでも訊けずに口を結び続けて、しかしここ数日彼女は食事も喉を通らない風で伏せってしまい、セラは所在なさげにけれど心配してる顔も見せることもできなくて、世話の行き届いた宿に替えて少しでも彼女の負担を減らすことで精いっぱいだった。
冒険者時代毎日のように利用した素泊まりの木賃宿に彼女を転がすことは、どうしても不憫でできなかった。

「お願いします。私と別れてください。」

 終わりを告げる言葉はあまりにも唐突に、女の方から告げられた。
その言葉をとっさに飲み込めないのは別れを切り出された者に共通する反応で、いつもなら意に沿わぬことを言われるとあからさまに不快感を隠そうともしないセラだけど、飲み込めなくて無表情のままその言葉を聞かされた。
折りしも季節も秋風が隙間風に、木枯らしに変わる頃と、詩や世の中の通例ではとかく別れを語られる時期で、シルマリルは身を起こすのもやっと、といった風情で上等なベッドの縁に腰掛けて、もう潮時とでも言うかのように静かに続ける。
「このままずるずると一緒にいても、お互いにいいことはないんじゃないでしょうか…」
 彼女が何を語っているのかがわからないから、セラは怒った表情を見せない。けれどシルマリルは自分が何を語っているか知っているから、今にも泣き出しそう。
「…具合が悪いが故の弱気ならば聞かなかったことにしておこう。」
 彼女の言葉を遮る形でようやく口を開いたセラの言葉はそれ、口ぶりだけならばなんて心無い言い方だろうか。しかしそれが実はある意味優しさなのだと言うことを、シルマリルは知っていた。思い余って相手にぶつけた心無い物言いを「聞かなかったことにしておく」としか返さない兄の親友の低い声に、頭が冷えたあと感謝したことを彼女は忘れてはいなかった。けれど―――――
「もう…優しい言葉、かけないでください……」
 その言葉に、目をそらした彼女の様子に、はっきりと涙を飲んだ声にセラがわずかに眉を動かした。
そして彼女の隣、少し間隔を空けて並べてあるベッドの縁に、彼女と向き合う形で腰を下ろす。
…ここまで時間が過ぎればさすがの彼も彼女が何を語りだしたかを飲み込めた、聞き流していい話だとは思えなかった。
「俺に不満があるのか?
 何度も言っただろうが、言いたいことがあるなら言え。何でも堪えて溜め込むのがお前の悪い癖だと言った覚えがあるが。」
 今までのセラとは違う。シルマリルは上から押さえつける物言いをしていいと思う相手ではなくなった。大事な相棒、いや今では共に何かを探し出したいとまで望むようになった大切なひと。
…だから、思うところがあるなら聞く耳は持つように望んだ。そして彼女のいいところも悪いところもすらりと口から語れるほどに相棒のことを見ていた。
しかしシルマリルはすでになにやら決めてしまった様子で、セラの声にもう耳を傾ける気はないというかのように首を大きく横に振った。日差し色の美しい髪が揺れる様子が、今は残酷かつ不釣合いに美しい。
「いいえ…違う…違うんです……」
「何が違う? わかるように言えと何度」
 セラがいらついて声を荒げた途中、当然シルマリルが立ち上がった。そしてもつれる駆け足で部屋を飛び出してゆく。
唐突な彼女の様子だったけど、ここに来て体調が悪いのが出たのだろう、部屋を出たあと戻れずにセラの手を煩わせたこともあったからと、セラは仕方なく立ち上がり便所へと足を向けて彼女のあとを追うべく扉へ足を向けたけど

「ちょっとお客さん、身重の奥さんとケンカするなんて何考えてるんですか!」

 セラが部屋を出ることはなかった。
唐突に飛び込んできたのは宿の主人で、彼が何を言ったのかもとっさに理解できなかったセラがあからさまに眉をしかめた。…言葉の意味だけは、理解していたらしい。
「誰が俺の」
「あんな美人の奥さんもらって何が不満なんだか…来てからずっと奥さんつわりがひどいの知ってたでしょ?」
「……何?」
 話が見えない。けれど店主はそんなセラの内側の話など無視してブツブツと続ける。
「うちのが先に気づいたけど、奥さん今が一番大変な時期なんですよ。亭主ならもちろん聞いてますよね?あんな若い娘が赤ん坊産もうとするんだから亭主がしっかりしないと」
「…あれはあれでも一応二十歳だ。」
 ここにいても埒があかない、そう思ったセラが肩で主を押しのける形で扉から部屋の外に顔を出すと――――廊下の壁にもたれてへたり込んでいるシルマリルの姿が見えた。そんな彼女を心配してる宿の女将がいて、セラはそのまま部屋を出て相棒のもとへと足早に歩み寄って彼女を覗き込みながら腰を下ろした。
 少し時間を置くと、人々が口にした言葉の意味がようやくつながりだす。相棒の性格、自分たちの間柄、人生の先輩たちは若く愛らしい女の変調を経験から理由を読んでいて、セラよりもずっとはっきりと確信していて…
「…シル。今朝から何も口にしてないお前だ、もう吐くものがなかろう。」
 唐突に聞こえた低い声に、憔悴しきった細い肩がびくんと跳ねる。
けれど体力が落ちている小柄な女がその場からすぐに逃げ出すことはできなくて、セラはそんな彼女を軽々と、しかしそっと抱え上げた。そして揺らさないよう気を遣いつつ彼女がもといたベッドに戻す。
「何かこいつが口にできそうなものを用意してくれ。呼ばれたら取りに行く。」
 部外者を追い払いたいのが半分、本音が半分。まだ頭の中は混乱してる。
けれどセラはもともと鈍い男じゃなくて、彼女の態度の理由がさすがに読めたから、怒るよりも先、自分の置かれた立場に気がついた。
主人夫婦はそう請われて仕方なく出て行った、シルマリルは…真っ青な顔で、泣いていた。
「…迷惑…かけません。お嫁さんにしてくれとも言いません、けど…産ませてください。
 あなたが嫌がるんだったら私はこの子を産むしか子どもを授かる方法がありませんし一日も早く顔を見たいんです。あなたが嫌ならひとりでなんとか育てますから、お願いします――――」
 シルマリルは己の体の変調に、当然周囲よりも早くに気づいていた。
それは当然のこと、若い男と女が互いに求め合い体を重ね合わせて、結果は目に見えている。貞淑な少女は両親と兄のしつけに従順で、しかし自分を女にしたたったひとりは何を思っているかわからないほど厳しい顔ばかり見せているから、いつしか不安がふくらんで彼の差し出した手と誘いの言葉を信じられなくなってしまった。
…自分は肉欲を処理するために手をつけられただけ、その結果身篭っても彼が産むことを許してくれるとは思えなくなってしまった。
「…俺の腹の中まで決めつけて思い込むな。誰がいつ嫌だと言った?」
「だって」

「戻る先はノーブルか、ロストールか、それとも兄の元に一度戻りたいか?
 いずれにしても…」

 そこで一度言葉を切り、セラは長い黒髪をかき上げた。それで見えた彼の今の表情は――――困りながら、赤面していた。
「ようやくお前が手に入ったと言うことだな。
 しかし俺はいい亭主にはなれそうにもないが」
 どこまで食い違うふたりなのだろう? 告白することもない男、当然甘い言葉など囁くはずもない。
積もり続ける行き場を失った熱すべてをただ彼女にぶつけ続けた男、貪ることで彼女のすべてを食い尽くそうと無意識に望み続けたけれど、セラはシルマリルを食い尽くすことはできなかった。
彼女はまさに無限の存在、けれど己から何かを、たったひとりを求めることはほとんどなくて…口数が少ない仏頂面の男と心配性の女は、結局どこかで衝突し合ってしか理解できないのかもしれない。
赤面していたのがシルマリルに凝視されていることに気づいて耳まで染まる勢いで真っ赤になって思わず目をそらしている彼の様子に、シルマリルは泣き笑いのまま重い体を起こしてセラにしがみついた。
「ロストールで暮らしましょう?
 あなたと一番歩いたあの石畳を毎日歩きたいんです。」
 抱え慣れているはずのシルマリルが重く感じたのはなぜだろう? セラはしがみついてきた彼女の舞い上がりそうな囁きを聞きながら、彼女の言葉で、何度も繰り返したはずのその光景を頭の中で繰り返す。
…時間を問わず、何度も何度もふたりで歩いた石畳のある街で暮らしたいと望んだシルマリルの声がセラに実感をもたらすのはいつになるのだろうか。
無限の魂は回り続けるメビウスの輪のごとき運命を閉じて母になる。セラは男として初めて恋焦がれた女を腕に抱いて父になる。

 それは、彼女が幼い日に夢見た己の姿そのものだった。
その時は隣にいる男の顔が見えなかったり兄だったりしたけれど、時を経て隣に立つ男は長い黒髪の美丈夫。
不器用な男を最後まで勘違いして、それでも彼女はひとりの男に束縛されることを幸せとして選んだ。

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