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絵:
ゼネテス  レムオン  セラ

小説:
レムオン  /  ゼネテス        /  ベルゼーヴァ     /  セラ    


  「では義姉様、兄様お借りいたします。」

 聞き慣れた、けど最近は聞いてなかった声を聞きながら、ロイはただ家の表で待っていた。
激動の青年時代に別れを告げて、奇妙な縁で結ばれた女性とこれからまだ長い旅路を共に歩き出して、さほど時間はたってない。彼の愛はただただ大切だった妹からその女性…妻に移って……いるとは言い難かったりする。
 その妹が久々に遠路ロストールより兄を訪ねてきた。彼女の来訪の理由は、兄は訊かずともすぐに察した。
じきに妹が義姉にあいさつを告げて姿を現し彼を促し、ロイは少しの待ちぼうけの後、彼女と連れ立って歩き出した。
「墓地は前の場所と同じですか?」
 妹は手ぶらで突然現れて、「デートに行こう」なんてふざけ半分で誘ってきたけど――――それがすぐに冗談とわかるのは、現れた妹は身重の様相。小さな彼女に大きなおなかはとても目立っていて、それを見るなりロイの笑顔が引きつった。
身重と言うことは当然おなかの子の父親がいる、可愛い可愛い妹を孕ませた男がいて、ロイはその男の顔も声も性格までもよく知っている。
「墓地はあの場所のままで広げたが…少し歩かねばならないが、お前は大丈夫なのか?」
「なにがです?」
「いや…その体が……」
 妹の亭主、おなかの子の父はロイの親友で、彼の妻の弟。
面白いことに、兄弟関係同士でともに結婚した4人の男と女。兄と姉、弟と妹、気まずいのはいつも男同士。兄が猫可愛がりしていた妹を、彼の親友があろうことか女にして挙句孕ませた。
けれど妹はどこ吹く風で兄を無視して、さっさと兄離れして己の愛する男のそばへと去っていった。
そんな妹が、身重の体をおしてまで生まれ育った村へと戻ってきた理由は至極簡単で……
「大丈夫ですよ、普段はこれでなんでもやってるんだから。」
「いやしかし…」
「兄様は相変わらずなんだから。義姉様の時もそうだったんですか?」
「シェスターは私がいつもついているから」
「いやだなー過保護。うちの人みたいに必要な時だけいればいいんですってば。」
 当たり前なんだけど、彼女の口から出た「うちの人」のフレーズがずしりとロイの頭に落ちてきた。
…彼のぞんざいな扱いはどうでもいいらしい……。
「動いてる方が産む時楽なんですって。
 うちの人も心配性で、いると何かと口も手も出してくるんで却って大変です。
 転んだらどうするんだ、とかいつも言ってるし。」
 たとえ妹でも女は強くて、男はいつも慌てるばかり。ちっちゃな妹は何がなんでも守ってやりたいとまで思うほどで、だけど産みの苦しみが間違いなくそこにあると言うのに、彼女はそれを乗り切ることしか考えてない。(逃げられるものじゃないんだから当たり前なんだけどそれが男には理解できない)
小さくて頼りないはずの彼女が世界さえも救う英雄だったのはそう遠くない過去のことで、ロイの可愛い妹・泣き虫シルマリルはもういない。今ロイと一緒に歩いているのは、ノーブル伯のシルマリル=リューガ。なんだかんだで貴族の爵位まで得て、今はロストール軍で2番目に偉い立場にある。
隣にいる妹はとてもそんな風には見えないんだけど、妹が軍を率いて戦場を駆けずり回る姿は目の当たりにしたから否定のしようはない。美しい戦乙女のそばに寄り添っていた長い黒髪の死神のような男が、美しい彼女を最後に手にした。
「うちの人と私の子どもなら女の子がいいと思うんですけど、うちの人は男でないと嫌だとか言うんですよー。嫌とか言っても生まれてくるのに。」
「…その気持ちはわかるな。」
 仏頂面の親友が、どういう言い回しで嫌がったかは手に取るように想像できた。
彼女の亭主、ロイの親友の気持ちとしては、娘が生まれたら己がロイに味あわせた寂しさが間違いなく待ち受けていて、それがどんなものかを逆の立場で痛感したから嫌がっているらしい。
…ロイとしては「往生際が悪い」と言いたいところ。自分でも妹を親友に奪われたと知ってほんのちょっとではあるけど泣いたんだから、この可愛い妹を奪っていた分ぐらい、彼には娘が生まれたらぜひとも同じ思いをして欲しい。
 ふたり連れ立って少し歩いたもう少し向こう、小高い丘の上に翻る長い黒髪。
人影は花束を携えている。
その影を見てロイの笑顔が引きつり、シルマリルは少しだけ歩幅を大きくした。
人の気配でも感じたのか、程なく人影が振り向くとシルマリルがにっこり笑う。
「ごめんなさい、待ったでしょう?」
「………いや。」
 鋭い抜き身の剣のような容貌の、けれどどこか女性的な繊細さも持ち合わせる仏頂面の男。
現れた妻と親友の様子が少し懐かしくて、そして自分がなぜここに来たかを思い出して、彼は物憂げに目を伏せた。
低い声の彼のそんな様子は無愛想なのは相変わらずなんだけど、シルマリルは気にする風でもなく彼のもとへとたどり着くと隣に立ち、少し遅れて丘を登る兄を振り返った。
それを見てロイが痛感する…もう妹は、彼の妻。ロイの妹じゃなくなった。ロイを待つ間も夫と話している彼女は、仏頂面の男相手だと言うのに楽しげで――――そして、幸せそう。
「あ、花束とか持たせちゃってごめんなさい。」
「…ロイだけ迎えに行くんだったら、お前だけでなければ不自然だからな。気にするな。」
 差し伸べられた小さな手に、彼は素直に従い花束を手渡した。すぐ目の前には小さな墓石がふたつ。
「久しぶりだな、セラ。」
 程なくロイもふたりのもとへたどり着き、馴染みの顔ばかり、3人で墓の前に立つ。
兄弟同士の中から姉だけがいない、この3人でこの場所に来る意味がある。
「…姉さんは、気づいた様子か?」
「いいや、たぶん気づいてないだろう。」
 男ふたりの意味深な会話を、シルマリルは何を思いながら聞いているのだろう? 彼女は兄と夫から視線を外して木々の向こうに見え隠れする懐かしい森の風景と様変わりした生まれ故郷の様子を見やった。
「…それでいい。罪を犯したのはアーギルシャイアだ。姉さんに罪はない。」
「…ああ。セラ、お前もつらいだろう…私にもシルにも気を遣って」
「その話はするな。」

「ふたりとも、その話はやめましょう?
 親が子より先に亡くなるのは当たり前のことなんです、私たちはそれが少し早くて不幸だっただけ。
 …あなた、何度そう言わせれば気がすむんです?」

 辛気臭くなりそうな男たちを遮ったのはやっぱり明るく朗らかな妹で、彼女の笑顔にため息をついて目を伏せたのは夫であるセラだった。男ふたりの意味深かつつらそうな会話を聞いていたくない様子で、シルマリルはにこにこ笑い続けるけど有無を言わさぬ強さがある。
「…すまない。一番つらい思いをしたのはお前なのに……」
 セラは忘れてない。自分たちが複雑に絡み合っている一本の大樹のような関係だったことを。
みなそれぞれに悲しい思いをし、けれどそれぞれに現実を見つめてこうしてここにいる。
あれだけ守り通したかった姉よりも守りたいと強く望んだ女、出会ってすぐにセラの守りの手を必要としなくなった彼女に執着したのはセラの方で、離れられても離れたがらず、まるで駄々っ子みたいに彼女のそばにあり続け、身を擲ってひとりの女を守り通した。
その結末が、これ。彼女はすべての言い寄る男たちを袖にして、一番目立たなさそうな、だけど一番近くにいた男を伴侶に選んだ。彼女の淡い恋も過去に変えて、現実を見て…セラを選んだ。
「ほらほら、やめてって言った先からまたするし。
 気にしてないなんて言いませんよ、うそっぽいでしょ?」
 彼女は忘れた、とか気にしてない、とか、空々しく響く言葉は言わないし言えない。
けれど、シルマリルは不器用な夫がどれだけ自分のことを考えてくれたかを、4年もの時間を通して痛いほど感じている。
そして今、強面のクセに黒い髪の向こうの目は頼りなさそうに戸惑っている彼の脆さを愛しいと思っている。今日こうしてここに来た理由はふたつ、
「私の両親に、あなたを紹介しに来たんですよ?
 愛想笑いのひとつも見せてくださいよ。」
「…無茶を言ってくれる……。」
 まずは、ここに眠る父母に彼を紹介すること。彼らが誇りに思った兄弟はそれぞれに独立して別の道を歩き出す。特におとなしく美しい娘は両親の心配の種でもあった、あの乱世の中で荒くれに汚されるんじゃないか、それを心配するあまり父と兄は彼女を村の外へと出さずに「あの日」を迎えた。
母も美しい娘に女のつらさと厳しさを、怖がらせる勢いで教え躾けた。
その甲斐はあった? 彼女はその美貌からしたら地味かもしれないけど彼女を裏切らない、正しい意味で彼女に誠実な男と結ばれ、もうすぐふたりの命を受けた新しい命が生まれ出る。
 シルマリルが、セラから受け取った花束を手に、墓の前に跪いた。
「あの日」から、もう5年がすぎた。父母はこの小高い丘の上から村を見下ろしている。
セラは妻の背中を、何も言えずに見守っている。黒髪に隠して隣を見たら、微笑みを消した親友がいた。
「…父様、母様、私も二十歳になりました。」
 揺れる声が、男たちの胸に突き刺さる。大の大人の男がふたり、少女の彼女をずいぶんと泣かせたことは忘れてない。何かを守りたがりながら実は強く依存していた自分を突きつけられて、セラはまるで裸にされたみたいで、逆らえずに気の弱い親友の妹と言う存在に引き摺られて今ここにいる。

 今日は、彼女と出会った日。そして彼女の両親の命日。

彼女の不幸と現在の関係は密接につながっていて、今思えばセラの幸せは常に彼女の犠牲の上にある。
人のいい親友と美しく気の弱いその妹は、セラたちと関わらなければただ静かに、ゆっくりとこの村の中で時を重ね老いてゆくだけだったろうに――――
「…兄様、そろそろ戻りますか?」
「…ああ、そうだな。お前とセラはどうする?」
「俺は…このまま戻る。
 お前たちだけならなんと言うこともないだろうが、俺が現れてはさすがに姉さんも気づくだろう。
 村の入り口にいるから、シル、お前は早く切り上げろ。そこで落ち合うぞ。」
 妹に問い掛けられて、久しぶりに可愛い彼女と話をしたロイは当たり前のように妹と共に妻ももとへと戻るつもりで口を開いた。けれど妻の弟は目を伏せてそう告げて、あれだけ執着した姉の顔を見ずに当たり前のように妻との日常に戻ると言った。
そして、妻は……
「…いえ、あなたと一緒に戻ります。」
 彼女も当たり前のように、夫との日常に戻る。だって彼女の日常はもうここにはない。
それはすべて過去のかけら、シルマリルは無意識に大きなおなかをさすり、そしてはっきりと笑った。
「いつもみたいに言わないんですか?…『危ないから手を貸せ』って。」
 笑いながら差し伸べられた小さな手に何を思う? セラがクセのように顔の半分を手で覆い表情を隠し、そして…無骨な手が、細い女の手を取った。そんな彼の様子に、複雑な表情で妹夫婦を見ているロイの様子に、シルマリルがもう一度まぶしく笑った。
けれど、彼女は笑うだけ。
「…ではな、ロイ。」
「落ちついたらロストールに遊びに来てください。」
「…シル、足元に気をつけろ。」
「はい。」
 ふたり連れ立って戻るらしく、別れのあいさつはまたそのうち逢うこともあるだろうと言うことなのか、手短に、あっさりと。シルマリルは心配性の夫に手を引かれて、村から丘に通じる道をロイと来た通りに、今度はセラと戻ってゆく。
兄ではなく夫につき従う妹の様子に、ロイは妹がもう戻らないことを感じた。
彼女は間もなく彼の子を産み、そして生まれ育った村の外で彼とその子どもと暮らしてゆく。
時にこうして父母の、兄のもとへと訪ねて来ることもあるだろう、けれど……

 彼女の、そして彼の性格なら、妹が再びこの村で暮らすことはない。

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