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絵:
ゼネテス  レムオン  セラ

小説:
レムオン  /  ゼネテス        /  ベルゼーヴァ     /  セラ    


   根無し草の風来坊が、一所に根を下ろすことになった。
平民でもない、物心ついた時から冒険者であることを強いられた男が選んだというか引きずられたのは救国の英雄とまで言われる麗しい女で、しかも行きがかりで事実とは少々違うとはいえ、封建制度が根強い国の貴族の子女とされ特例として騎士であることを認められていて、天が彼女の歳相応の幸せと引き換えに二物も三物も与えた。
 この国の救国の英雄は類まれなる術者。今では軍の副指令と言う要職につきながら、市井で子どもたちに学問を教えている。
見目麗しく気取らないけどたおやかな立ち居振る舞いの女先生の下に子どもを通わせたい、と思うのはやっぱり娘の親が多くて、学問と行儀見習い両方を教えられる教師なんて稀有で人気は高い。
貴族の居住区の中、敷地の隅に居と学び舎を簡素な構え、身重の先生は平民と貴族の垣根を低くすることにも気を配っていた。

「せんせーい、また明日ねー。」

 薄曇の空の下、子どもの元気な声がこだまする。
抜けるような青空とはいえないけど、子どもたちは雨が降らない限り嫌がることもなくここまで来る。
大好きな小さな先生と勉強するのが面白くて、最近では先生のおなかが目立ち始めたこともあって、子どもたちは日々少しずつ大きくなる先生のおなかに触れながら、いろんなことを話している。
日差し色のやわらかい髪の先生はいつも優しげに笑っていて、難しい話をわかりやすく話してくれるから子どもたちは先生が大好き。だけど――――「先生のだんなさん」は誰も見たことがない。
いつもここにいるのは先生と、時々いる優しそうな髪の長いお兄さんだけ。
みんなそのお兄さんが先生のだんなさんだと思っていたりする。
 小さな先生が子どもたちがいなくなった教室の後かたづけを始めると、そんな彼女に手伝いの手を差し伸べた大きな手が見えた。
「あら、あなた。いつ帰ってきたんですか?」
 日に焼けた手の甲と細身の割に太い腕、腰に届きそうな長くしなやかな黒い髪。身重なのに教鞭をとり続ける妻が危なっかしくてしょうがなくてつい手を伸ばしてしまった彼が、「先生のだんなさん」。
「…帰ってきたら邪魔のような言い草だな。」
「実際邪魔ですから。こんな大きなのが転がるんだから――――あ」
「邪魔にならぬように気を遣っているつもりなのだが…相変わらず、俺に対しては厳しいんだな。」
 妻の容赦ない軽口に以前は怒っていたけれど、今では頭が上がらないらしくて夫は少しショックを受けたみたいに軽いため息をついて、妻が胸の前に抱えていた本の束を彼女の手から奪い取った。
せり出してきたおなかを押さえつけるみたいに見えた本が危ないもののように見えて、小さな彼女が心配でついそうしてしまう、そんなことが増えた。半年前、彼女との長い放浪の旅に終わりを告げた頃には、彼女とともに更なる旅へと出るつもりだったのに…愛し合う男と女だったふたり、程なく彼女が身ごもっていることがわかった。
「いつもの本棚にしまえばいいのだな。」
「ええ。あなたは背が高いから助かります。」
 妻すらも軽々と抱えるほどに強い腕、本数冊など造作もない。
半年前の自分からは考えられない今の自分、生来の冒険者気質で剣を振るうことしか能のない男は妻のように学問を教えるのはもちろん、自分の立ち居振る舞いで何かを学ばせるなんて考えることすら出来なくて、教鞭をとる妻の様子を見るたびに身にすぎた女を愛し妻にしたと痛感するばかり。
腹がせり出てこようと家事をこなし教壇に立ち夫に軽口なんて叩きながら優しげに微笑む。

「…せんせい、それだれ?」

 ふたり以外の声のあどけない問いかけに、ふたりとも同じ方向を見やるとさっきあいさつをして帰っていった子どもがふたり立っていた。見慣れないおじさんを見つけた子どもたちの目はまん丸で、夫がふたりに視線を流すとふたりともびくんと肩を跳ねさせた。
…強面の美丈夫と評された彼は子どもからしたら怖いらしく、夫が慌てて視線を外し長い前髪を片手でくしゃりとかき乱す。(ショックだったらしい…)
「あら、外雨ふり出したの?」
「うん。」
「みんな大丈夫かしら…ちょっと待ってなさい、着替えと拭くものを持ってくるからね。」
「せんせー、さっきのおじちゃんは?」
「…あら? どっか行っちゃったね。」
 子どものあどけない言葉どおり、夫がいつの間にやら姿を消していた。
だけど濡れた子どもをそのままにしておけるはずもなくて、「先生」は着替えと体を拭くものを取りに子どもたちだけそこに残して急ぎ足でその場を後にしようとしたけれど
「ほら。早く拭いてやれ。」
 同じく足早に戻ってきた夫の手には、大きなタオルが2枚。彼はその一枚を妻に手渡し、怖がられたというのにそれを広げて逞しい腕で子どもを包み込んだ。
妻も慌てるみたいに子どもをタオルで包みながら、強面の夫の面倒見の良さをつい思い出していた。
「おじちゃん、せんせーのなぁに?」
 子どもはなかなかに容赦なくて、夫に抱かれ体を拭かれている子どもがあどけなく問いかけるんだけど…夫はそれにどう答えればいいのか、とっさに切り返す言葉が出てこない。
「そのおじちゃんはね、先生のだんなさん。おなかの赤ちゃんのお父さんなのよ。」
 かわりに答えるのは当然妻で、別の男の人を見慣れている子どもたちが驚いて本物の夫の顔をつい見てしまう。(その素直さは結構残酷)
しかし妻が何も気後れせずにそう答える様子は夫にとって結構気恥ずかしくて、少々顔を赤くしながら子どもの視線から夫が目をそらすんだけど

「じゃあセバスチャンさんはだんなさんじゃないの?」

「おいシル、お前いったい」
「セバスチャンさんはね、先生のお家をきれいにするために働いてる人なのよ。
 先生のだんなさんはこの人、セラって言うの。怖い顔してるけど、とっても優しい男の人よ。」
 「怖い顔」、いつも眉間にたてじわを刻んでるみたいな仏頂面の夫に反論の余地はない。
子どものやわらかい心は素直で、素直すぎて大人の胸に刺さるんだけど、それすらも楽しんでいる様子の妻の笑顔は底抜けに明るい。使用人の、夫と誤解されていた男の説明も、彼女は上からの視線でなくわかりやすく説明してしまった。…妻の頭のやわらかさにも、驚くばかり。
潔癖で、女遊びが派手な男の部下だというのに、そんな上司のフォローを徹底的にする堅物だと夫ですら思っていた。ただ頭がいいだけじゃないと、夫婦になってから知ったこともたくさんある。
 けど妻も、彼を夫にしてから知ったことがたくさんある。
今子どもを抱えながら腕に包みながら体を拭いている横顔がそうで、仏頂面を見せながらもその手つきは限りなく優しい。妻もその壊れ物を丁寧に、壊さないようにと扱う手つきで扱われたことが数多くある。
彼にとっては、妻が壊れ物そのものだった。
不器用だけど優しい手つきに子どもは敏感で、怖い顔といいながらも嫌がるそぶりは見せずに彼に任せているあたりから察するに、「大好きな先生のだんなさん」だということは理解できたらしい様子に、妻が嬉しそうに笑った。
 夫が子どもをあらかた拭いて。タオルを裏返し小さな体を改めて包み立ち上がって大きな手で小さな頭をそっと撫でた。
「…暗くなっても雨がやまない様子なら、俺が送っていこう。」
 出会った当初からそういう台詞を、低く口にする人だった。妻はそんな彼の様子を愛していることを、彼は気づいていない。
「まかせてもいいんですか?」
「身重の女房を雨の中子ども送りにやるわけにはいかんだろうが。
 俺がいる時ならそのぐらいやれる。それに女が送るよりは男の方が子どもだって安全だ。」
 子どもたちは「怖い顔のおじちゃん」の前だというのに、身構えることもなく仲睦まじい夫婦の様子を眺めている。怖い顔のおじちゃんときれいで優しいちっちゃな先生は、並ぶととっても優しげに見える。

「先生のだんなさん、カッコいいね。」

 ふたりで並んでいる様子を見てそう言った子どもの台詞に、夫が初めて微笑んだ。
長いしなやかな黒髪と美麗ですらある整った顔立ちが与える「怖い顔」という印象は間違ってない。
笑わない美しい表情は「怖い」だけ、それを妻と、彼女が教える子どもたちはよく知っている。

 笑うとさらに魅力が増すことも、知らないのは当人だけ。


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