「うわぁ…………」
「ほぅ…………」
二人の美少女は、姿を現したルシェラに目を奪われ、ただ感嘆の声だけを洩らした。
化粧は施してはいない。先程と服装が替わっただけだ。
ただそれだけの筈なのに、このより輝かんばかりの美しさは何だというのだろう。
「あ……あの…………」
それ以上の言葉はなく、ただ見詰められる。
反応のしようがなく、ルシェラは困惑してリファスを窺った。
リファスは苦笑してルシェラの頭にぽむと手を置く。
「ったく…………ルシェラ、ほっといて、踊ってみようぜ」
「ええ、でも……」
「いいからいいから」
再び音楽を掛け、リファスはルシェラの手を引いて広いところへ出る。
姿勢良く一礼すると、ルシェラもつられて礼をする。
「女性の御辞儀の仕方も知らなきゃな」
「はい」
手を重ねる。
足を運ぶ。
足下は長い裾で隠され、ただ美しく翻った。
先導にルシェラは全てを任せ、導かれるままに足を進める。
リファスは重ねた手を引き、益々身体を寄せ合って舞う。
次第にルシェラの足下が覚束なくなっている為の行為が、傍目には睦まじく親密さが増したようにしか見えない。
「うわぁ…………」
「目も当てられんな…………」
少女達は目を反らせる。
そんな反応など見ても居ない。
リファスは足を止めようとルシェラに囁いたが、ルシェラは小さく首を振るばかりで納得しなかった。
こうしているのが、堪らなく心地良い。
「っ、あ……」
リファスの足に引っかかる。
「うわっ、っと!」
咄嗟に抱き止め、それでも重力に負けかけたのをふわりと抱き上げる。
「無理するなよ」
「……っは…………はぁ……ぃ…………」
息が上がってまともに返答も出来ない。
ひんやりとした床に寝かせ、頭は自分の膝に乗せる。
血の気がなく顔は真っ白だった。
「ったく…………サディア様、身体を少し冷やすものと、風輝石を! 姉貴は、俺の部屋から薬箱取ってきてくれ」
「分かった」
「了解っ」
こういう時の判断は皆相応に速い。指示を受けて二人直ぐに飛び出していく。
リファスはルシェラを抱き締め、生きる為の力が伝わる様にただ努める。
原理は変わらず理解できていない。
ただ触れ合ってさえいればルシェラの側からそれを吸い取ってくれる。
「急ぐな、って言ってるだろ?」
意識が混濁しているらしく、返答はない。
目は閉じてはいないが開いてもおらず、弱々しくも荒い呼吸が薄い唇の間から繰り返されている。
「……今倒れてどうするんだ。目的があるだろう?」
このところ、毎日のようにこの様だ。
一つ一つ出来る事が増える度に、ルシェラは無理を通そうとする。
生き急ぎ過ぎる。
そうは言っても、自身の先を知っているルシェラを咎める事は出来なかった。
時間は余り残されていない。気が急くのは、分かる話だ。
緩々と動かされた手が、胸元を掻き毟る様に動いた。
「痛むんだな。……もっと、俺から持って行けよ。大丈夫だから」
唇を重ねる。この手段が一番ルシェラを潤す事を知っていた。
ルシェラは顔を背ける仕草を見せたが、リファスは許さない。
教えられた手順で舌を差し入れ、ルシェラの舌を絡め取る。
くちり、と濡れた音に背筋を震わせたのはルシェラではなくリファスだった。
幾度も唇を重ね、身体も数度は重ねている。それでも、リファスはまだまだ子供だった。
育ちからしてルシェラに敵う筈もないが、ルシェラに溺れる事すら出来ず踏み止まり続けている。
「……っ……」
意識は怪しいが、慣れているルシェラはただ反射的に返す。
くらりと視界が揺れるのが分かる。経験はないが、恐らく貧血というのこんなものなのだろうと思う。
リファスは追おうとするルシェラの舌をいなして唇を離す。
これ以上はリファス自身も危ない。少し休めばまた与えられるが、一度に全部ではルシェラの看護が出来なくなってしまう。
「ごめん、ちょっと待って」
微かに頷きが返る。少し戻ってきている様だった。
「姉貴が薬を持ってきてくれるからな」
額が汗ばんでいるのは、踊った所為なのか痛みの為なのか分からない。
服の端で拭ってやり、軽く口付ける。
「……………………ごめ……なさ…………」
「大丈夫だよ。気にすんな。……少しでも動ける様になると、嬉しくて仕方なくなっちまうもんな。ちょっとした無理をしてれば、そのうち加減が分かってくるさ。…………あんまり苦しんで欲しくないんだけど、その時まで……ちゃんと俺が守るから」
ルシェラの呼吸は落ち着いてきている。
まだ死にはしないだろう。
まだ……。
ルシェラには自ら行動するという事がとても大切なのだ。
例え死に瀕しても、ルシェラが望む限りリファスに止める事は出来そうにもなかった。
また生まれ来る、それだけではない。死よりも大切なものだとて、あるのだ。
その内にサディアとエルフェスが戻り、適当な処置が施される。
薬は結局使わず、呼吸の補助をし首筋や脇の下を濡れた布巾で冷やした。
膝枕をしてやると、汗がじっとりと滲んでいるのが分かる。リファスの膝が何とはなしに湿っていた。
「全く……無理をするな、ルシェラ」
布巾を取り替えてやりながら、サディアは心配げにルシェラを見詰める。
「……この程度で倒れては、中々難しいぞ」
「……ええ…………そう…………でしょ……ね……」
悔しげに美貌が歪む。
「やはり、他の方法を考えるか」
使えない。
しかし、ルシェラは首を横に振った。
「無理だろう、これでは」
「…………後…………もう少し……あります……」
「お前が苦しんだのでは意味がない。それにこの様では、単なる足手纏いだ」
「サディア様!」
「本当の事だろう」
サディアは渋面を隠しもせず、咎める声を上げたリファスを睨んだ。
今更真綿に包んだ物言いをした所で状況は変わらない。
「……例え……貴女に必要ではなくても……わたくしは、参ります……」
意志の強い瞳だ。
サディアは軽く肩を竦めた。
これを確かめたくて、サディアはわざわざ強い物言いをしているのかも知れない。
「それは、好きにしろ。……そろそろいい時間だな。エルフェス殿、ありがとうございました。今日の練習はこれまでに。……私は用があるから夜まで外す。リファス、くれぐれも頼む」
「勿論。言われなくても」
呼吸が随分落ち着いてくる。
ルシェラはリファスに縋りながらも無理を圧して起き上がり、呼吸器を外す。
「無理するなって」
「…………もう……大丈夫です……」
「そんなわけないだろ!」
「お天気は……」
「薄曇り、ですわ。時折青空が見えます。私も本日はお止めになった方がいいと思いますけれど」
「…………木の、陰まで……」
リファスの肩に手を掛け、体重を掛けて立ち上がろうとする。
爪が肩に食い込んでいた。
リファスは眉を顰め、両の足を抱え込む様にして支える。それ程にせねば、今のルシェラは立つことなどままならない。
「せめて立てるくらい落ち着くまで待て」
「……ぅ……くっ……」
せっかく落ち着いた筈の息が、再び酷く乱れた。
そのまま強く抱き寄せると、抗うことも出来ずリファスの上に膝を付く。
「焦るな。まだ……時間はある」
「…………そんなもの……っ…………」
ない、のだ。時間など。
ルシェラはその事をよく分かっている。
「お前は……大丈夫だから。俺が守るから。……お前に生きる為の力が足りないなら、俺の全部をやるから。だから……大丈夫だよ」
「…………いりません……そんな…………貴方の、命なんて……」
「なら、余計に焦るな。負担を掛けたら、生きられる命も縮まっちまう」
ずるり、と手がリファスの肩から滑り落ちた。
「姉貴、ここと部屋の扉開けてくれ。ルシェラを運ぶ」
「ええ……」
軽々と抱き上げられる身体に、力はなかった。
部屋の寝台へと横たえられ、ルシェラは枕に顔を埋めた。
呼吸は辛いが、仰向けの方が余計に苦しい。また、力のない自分への情けなさに浮かぶ涙を隠す為でもあった。
自立したい思いは並でなく強くあるというのに、全てが許されない。
ただ気ばかりが焦るが、動けない。それが余計に情けなかった。
部屋の空気が重苦しく、リファスは慎重に窓を開け放ちつつも窓掛けを深く引く。
閉塞した空間の気配や空気は、容易くルシェラが支配してしまう。ルシェラの感情が強ければ、それは部屋に留まらず、建物全てを支配するにも至る。
ただのご機嫌取りのつもりではないが、ルシェラを落ち着かせなければこの不安定感は伝播してしまう。
「シータでも弾こうか?」
首が緩く横へ振られる。
「歌でも、」
「独りに………………少し……疲れました……」
「ああ……」
仕方なく、せめてもと髪に口付ける。
ルシェラは僅かに顔を上げ、緩慢にリファスを暫く見詰めると目を閉じた。
唇から浅く吐息が洩れる。
「…………ごめんなさい……」
「いや、いいんだ。そうだよな。少し休んだ方がいい。部屋の外に出てるから」
「……ええ……」
額にも唇を押し当てる。淡い光が一瞬散った。
サディアに学び、このひと月で覚えた術だ。
互いを繋ぐ糸の様なもの。光が二人を繋ぎ、互いの変化を伝える。
普通の呼び鈴はあるが、眠る様に体調を崩しては知らせる術がないし、このところのルシェラは気分の安定と身体の安定の釣り合いが取れていなかった。
一人にするのは不安だが、もともと人付き合いの得意な方ではないルシェラは四六時中他人と顔を突き合わせていては疲弊してしまう。
「じゃあな。一時間おきに様子見に来るから」
「……はい…………」
やっと口の端に微笑みを滲ませ、ルシェラは再び枕に頭を沈めた。
リファスもそれを見届けて部屋を出た。
「リファス、殿下のご様子は?」
心配げに廊下で待っていたエルフェスは、冴えない弟の顔色に眉を寄せる。
リファスは強がって、微笑んで見せた。
「取り敢えず、寝たいって」
「そう…………」
「俺も、ちょっと昼寝するかな……」
「そうね。それがいいかも。あんたも、このところ疲れ過ぎでしょ」
「大丈夫だよ、俺は。ルシェラがいるのに疲れてなんていられない」
表情は硬い。
確かに、ルシェラと共に過ごす様になってからこちら、夜も深くは眠っていない。昼夜を問わず付きっきりで、自分の時間など取れない。
エルフェスは思わずリファスの頬を摘んだ。優しく慰めるには、互いのこれまでと性格が深く関わりすぎている。
「何すんだよ!」
「さっさと休みなさい。殿下だって直ぐに起きちゃうわよ。いつまでもそんな辛気くさい顔してないでよ」
素直にはなれない。
だが、それが姉なりの気遣いだとリファスには分かった。
少々頬を膨らませながらも、素直に受け入れる。
「分かったよ。……俺が寝てる時に呼び鈴が鳴ったら、頼む」
「言われなくてもね」
とはいえ、そう寝付けるものでもない。
ルシェラにかなり多くの生気を与えた為に多少の疲れはあってもリファスはまだ若く、体力は有り余っている。
ルシェラの部屋と隣接した自室へ下がって寝台に身を投げ出しても、別段睡魔など訪れもしなかった。
ルシェラのことを思うと、ますます眠れる筈もない。
焦る理由はよく分かるのだ。
自分がルシェラの身体に対して何もしてやれない為に、彼の不安を取り除いてやれない為に。
母や祖父にも出来ないことが、どうして自分に出来るだろう。
ルシェラに大丈夫だと言ってみせるのは、自分自身にもそう言い聞かせているのだ。
そうでもしなければ、リファスとて足が竦んで動けなくなってしまう。予想されるルシェラの未来は、そう明るいものではない。
たとえ事が成就し、サディアの弟妹達が救い出され、セファンの許しを得てティーアへ戻ったとしても……ルシェラの命は、確実に磨り減っていく。
何もしてやれない。
その場その場での苦しみを和らげてやることは出来ても、それは、何の根本的解決にも繋がらないのだ。
リファスはまだ若くて元気が良かった。
今が盛り、とまでは言わないにしても、好きな相手がいれば自然に性欲の方向へ考えが及ぶこともある。
自身の持つ心的外傷による恐怖心や理性が勝ってはいても、全く考えもしないわけではない。その相手に考えられるのがルシェラでは、一人悶々とするしかないのだ。
年齢も性別も重要な要因ではあるが、それ以上にルシェラの命が阻む。
ルシェラに求められても……ここへ来てからも、ルシェラの求めに対してリファスは全く応じることが出来なかった。
抱きしめただけで折れてしまいそうな身体に、何の無体が出来ようか。
結局リファスからは何も出来ないのだ。
堪えられなくなったルシェラがリファスを押し倒した時だけ、二人の身体は深く繋げられる。
リファスとて、触れたくないではない。
だが、この唇に赦しを貰う他、何も出来ない。
枕を抱え、ごろりと寝返りを打つ。
辛い。
苦しい。
ルシェラの側にいることが何より至上の喜び……そうは思っても堪え難い。
苦しむ顔など見たくないのだ。ルシェラが苦しむくらいなら、自分が苦しんで、苦しみ抜いて死んだ方が余程ましだ。
いっそ……ルシェラの痛んだ身体の中身と、自分の健康であろう中身を全て取り替えることが出来れば、今程苦しい思いもないだろうとさえ思う。
心臓と肺だけでも取り替えられたらいい、そう思って真顔で祖父に言ってみたこともある。勿論、こっぴどく叱られたが。
リーンディル神殿で文献を漁ればそんな禁呪も出てきそうな気もする。
リーンディル神殿。
その場所も、リファスを陰鬱な気分にさせる。
行かなくてはならない場所なのだろう。行きたい場所でもある。
ルシェラが安楽に過ごせる数少ない場所なのだと、前にサディアが言っていた。
そんな所があるなら、是非一刻も早くと思う。
しかし、地図で見るその場所は、ひどく遠かった。その上、世界の屋根とまで言われる高い山脈の上にある。行ける筈がない。
問題が山積し過ぎている。
いっそのこと、二人で互いの命を絶ってしまえば、これ程苦しくないのではなかろうか。
そう考えた自分に嫌気が差し、強く頭を振る。
もう一度、寝返りを打つ。
深く溜息を吐いて目を閉じたその時、扉が叩かれる音がした。
「…はい?」
「私だ。構わないか」
「サディア様……? どうぞ」
扉が開く。
リファスは軽く身体を起こした。
「何ですか? ルシェラは一人にしてくれって」
「ああ。今は大丈夫の様だな」
サディアは一歩入り、開いた扉に寄りかかる。
「眠っていると思います。そう、感じるから」
「……お前に、会って貰いたい人物がいる。構わないか?」
「誰ですか?」
「グイタディバイドという者を知っているだろうか」
「……聞き覚えはあります。高名な名門貴族の」
五古国間の大使は、王家に列する家柄の人間しか就けない。それ程の名門ともなれば、国内でも著名である。
「三年前まで、駐ティーア大使を務めていた。ルシェラとも、旧知の仲だ」
「…………まさか、客の一人とか言わないでしょうね」
「そのまさかではあるが、ルシェラを抱きはしていないだろうな、恐らく。ルシェラへの目通りを願い出ている。一応、先にお前に面通しさせねばなるまいとな。これからの件で力を借りようという人間でもある。お前自身の目でまず確かめねば、納得できまい」
「……お気遣い頂いてありがとうございます」
形ばかりの感謝を口にするが奥歯を噛み締める。
どの面を下げてルシェラに会いに来るというのか。
リファスの考えていることが手に取る様に分かり、サディアは苦笑を浮かべた。
「案ずるな。客にもいろいろある。グイタディバイドがもしルシェラを抱いていたとしたら、それは天変地異の前触れだろう」
「……貴女がそこまで信じるなら…………」
「まあ、お前も会えば分かる。……人が良すぎて、血筋の他では出世も出来ぬ口だ。現に私やルシェラに入れ込み過ぎて、三年前大使の位を更迭された」
「……そんな人が、ここに来て大丈夫なんですか? ここに貴女がいることなんて、上の方へは簡単に知れているでしょう?」
「ああ。だが、この屋敷の中へ直接手を出せるのは国守だけだ」
「行き帰りだって危険だ」
「だから、私が加護している。予見して人一人を守る力くらいは、私にだってある」
サディアが軽く指先を合わせると、淡い光が散る。
「更迭されたとは言え、蔑ろには出来ぬ家柄の男だ。祝賀には参加する。力を借りられたなら、心強い」
「…………分かりました。もう、来られてるんですか?」
「もう少しで来る筈だ」
「そうですか」
寝台から降り、簡単に身なりを整える。
サディアは片眉を上げてその様子を眺めた。
「……私では寝台から降りもしないのにな」
「すみません」
「構わない。それだけ、かつての感覚を取り戻しているのだろう。私達は、それだけ気安い仲だったと言うことだ。何時までも他人行儀では、私も落ち着かない」
肩を竦め、サディアは廊下へ出る。
「一階の応接室だ。支度が調ったら、来るがいい」
「分かりました」
続
作 水鏡透瀏
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