目的の扉を叩く。
「……はい」
「あら」
耳慣れた声が返る。エルフェスはほっと息を吐き、躊躇いなく扉を開けた。
果たして、祖父の姿を認めて微笑む。
「お祖父ちゃん、いたのね」
「エルフェスか。…………そちらの方は」
さっと寝台を隠す様に立ち位置をずらし、エイルへ不審げな目を向ける。
「殿下のお知り合い。こちらにいらっしゃるんでしょ?」
「知り合い、とは」
「…………見覚えのある顔だな」
寝台の側に膝を付いていた男が立ち上がる。
「セファンの付き人か」
男の顔を見て、エイルは直ぐさま片膝を付き頭を下げた。釣られてエルフェスも膝を付く事になる。
歩み寄った男の、上等な靴の先だけが見えた。
「何、何なの?」
「陛下がこちらにおわし遊ばされるとはつゆ知らず、失礼を申し上げました」
「構わぬ。セファンに言われて、様子を調べに来たか」
「…………そう思し召しても、仕方のない事かとは存じますが」
「違うと申すか?」
「セファン陛下はご存じありません」
「信じよと申すか、それを」
「叶いますならば」
「この方は、嘘を言ってはおりませんわ」
見かねたエルフェスが口を挟む。顔を上げ、ギルティエスを見上げる。
「エルフェス、口を慎まんか」
「……この娘は」
「真に躾がなっておりませんで……平にご容赦頂きたく」
リファスに続きエルフェスまで身分を弁えない言動に走ってはグレイヌールも頭を抱えたくなる。
「構わぬ。リファス殿の姉上か。よく似ている」
「……弟をご存じなのですか」
「先程、な」
「わたくしは、巫女でございます。仕える神に賭け、この方の言葉の真実を保証致します」
「……そなたの言葉がなくとも、案じては居ない。ただ、直ぐにセファンに知れてしまうのは良くないと思っているだけだ」
「……殿下のご容態は」
「お休みになっている」
手を解くことも忘れていた。エイルが安堵したのが伝わり、そっと離れる。
「立ってよいぞ、そなた達。ルシェラの側に居てやってくれ」
「失礼致します」
エルフェスは躊躇いなく立ち上がり寝台に駆け寄る。
ルシェラは目を閉ざし、深い眠りについている様に見えた。
熟睡するのは珍しい。起きていることも少ないが、深い眠りについていることもそうはなかった。
「無知でまことに申し訳ありませんが、貴方は……」
「私は、ルシェラの祖父だ。アーサラで国王を務めている」
「まぁ……それは……本当に、失礼を申し上げました」
「構わぬ。……いい娘だな、グレイヌール」
「痛み入ります」
「お祖父様がお側にいらっしゃるから、殿下もこんなにゆっくりお休みになっているのですわね。よかった……」
傍らに膝を付いて顔を寄せる。
穏やかな寝息に安堵した。
エイルは近寄ることも出来ず、また顔を上げることも、立ち上がることも出来ずにいた。
眠っていても、その顔を見る勇気が持てない。
何をどの様にしてあの海辺の牢獄からこの国へ来、この王宮にまで辿り着いたのかは知らない。
生きていた、ただそれだけで、国守の力の不思議を痛感する。
窓から落ちたのだろう事は、想像に難くなかった。だが遺体は見つからず、潮に攫われたのだと思っていた。
立ち上がり顔を上げれば、あの美しい白金の髪が見えるのだろう。
しかし…………。
「そなたは、ルシェラの側に居てはくれないのか」
「……何故私をそこまでお信じになるのです。殿下に害をなす存在でないと、どうして言い切れます」
「そなたからは、何も感じぬ。害意も、敵意も、悪意も……艶気もな。国守に繋がる家の主が、何の力も持っていないとは、お前も思うまいよ。私も、多少……勘を鋭くすることくらいは、出来る」
「しかし、セファン陛下は」
「力は一人一人異なるものだ。私とは発露の仕方が違う」
溜息が聞こえる。
セファンが何かしらの力を見せた姿など、一度も見たことがない。
人並みより若干体術や剣術に優れていることは知っているが、エイルが知るのはそれだけだ。
「そなたが、ダグヌと親しくしている姿を見たこともある。あれも清廉な騎士であれば、そなたを信じるにも値しよう」
「ダグヌをご存じで…………ああ、ダグヌは、シルヴィーナ陛下の乳兄弟でございましたか」
「うむ。幼き頃より知っている。故にそなたのことを案じては居ない」
「……承服致しました。陛下には敵いそうにもない」
肩にギルティエスの手が触れる。仕方なくエイルは顔を上げた。
無邪気な表情で微笑まれ、戸惑う。
王と呼ばれる存在は、セファン以外をよく知らない。想定外の人の良さに、エイルは困惑を隠せなかった。
エルフェスはそっとルシェラの頬に触れた。陶器の様な頬は、それでも、柔らかな温かみが伝わる。
──……リファ…………ああ、いいえ……姉上……様……?──
目は開かない。ただ、声だけが伝わる。
「……申し訳ありません。起こしてしまいましたのね」
──いいえ……眠っては、おりませんでしたから……──
「申し訳ありません。愚弟がお側にもおらず」
──いいえ。……リファスは、どうなりましたか──
その問いかけに、ルシェラがリファスの現在を知っていることを悟る。
「……セファン陛下に、囚われていると」
──サディアがその様に…………では、まだ……その後は分からぬのですね──
重く深い溜息が零れる。
口を開こうともしないルシェラの様子に、エルフェスは一抹の不安を覚えた。
「……殿下、つかぬ事をお伺い致しますけれど……お話は」
緩く首が横に振られる。唇は辛うじて笑みの形を取っていたが、頬は強張った。
エルフェスは唇を噛んだ。戻ってしまっている。あまりのことがあったのだろう。
衝撃を受けることがあったのなら気にはなるが、聞くことも出来ない。
──言葉など……不要なのでしょう。伝えたい方に、伝えたいことを……何一つお伝えできないのであれば……──
堪えきれず一筋涙が零れ落ちる。
頬に触れたままだった手で軽く拭ってやる。
漸く、ルシェラは重い瞼を上げた。
瞳が虚ろに空を彷徨う。
小さく、首が傾げられた。
──……何方ですか。何処か……懐かしい気配が──
ルシェラの視線は、そのまま部屋の中へと投げられる。
視力が低い為に微かに眇め、一人一人気配を確かめていく。
──何方か…………とても、よく知っている方…………でも……──
「殿下、ご存じのお方ですの?」
エルフェスもはっきりとその方へ目を向ける。
ルシェラの視線は、一点に定まっていた。
エイルは上げていた顔を伏せ、深く額ずく。
しかし、ギルティエスはそれを許さなかった。
肩に触れ、促す。王には逆らえず、渋々エイルは立ち上がった。
背を押され、ルシェラの方へと踏み出す。
──とてもよく知っている方……優しい方…………──
「エルフェス殿、ルシェラが何を言っているのか、分かるのか」
「はい。私も、巫女でございますから……。とてもよくご存じの方だと。優しい方だと、仰せです」
ギルティエスに微笑んだ後、エイルに凛とした視線を送る。
意を決するしかない。
数歩進み、寝台の傍らに跪く。
「殿下、真にお久しゅうございます」
見る間に、ルシェラの顔が強張った。
──……そ……んな…………──
起き上がろうとしたが腕が身体を支えきれない。崩れ落ちそうになったところをエルフェスが支え、抱き抱える様にして起こす。
──まさか…………でも…………──
双眸が大きく見開かれ、止め処なく涙が溢れ零れる。
エルフェスに支えられながら、ルシェラは必死で身を乗り出した。
「ぃ……ぅ……」
名を呼びたい。
しかし唇から先へと出てくるのは声にもならない音だけだった。
もどかしい。
──エイル……エイル…………生きて……──
死に顔を覚えている。
命を奪ったのは自分だ。それも、エイルの命では足らず、直ぐさま視界は閉ざされた。
奪った筈の命が目の前にある。
動悸が上がり、呼吸が乱れる。しかし、ルシェラは構わずエイルへと両腕を伸ばした。
「殿下、ご無理は!」
グレイヌールが駆け寄り呼吸を助けようとするが、その手さえ振り払う。
──エイル……!──
「殿下は必死で貴方を呼んでる」
釣られて潤んだ瞳でキッとエイルを睨む。
──……エイル…………本当に……──
「きゃぁっ!」
ルシェラがあまりに身を乗り出したもので、エルフェスの腕には余る。
支えきれず、ルシェラ共々床に崩れ落ちる。
そこへ、腕が、伸びた。
「全く……貴方の無茶はこっちの心臓に悪い、殿下」
エルフェスとルシェラを纏めて抱き止める。
ルシェラはエルフェスに構わず、そのままエイルへと腕を伸ばし縋り付いた。
「ぅ……う…………っ…………」
許されるならば、声を上げて泣き叫びたい。しかし、今のルシェラにはそれさえもままならぬ事だった。
さっとエルフェスは身を引き、二人の邪魔をしない様距離を取る。
エイルはルシェラを抱き上げ、その背をそっと撫でた。
「ご無事で何よりでした、殿下……」
──…………エイル…………──
縋る腕の力はひどく強い。
背が軋む程だったが、エイルは何も言わず、ただ努めて優しくルシェラを撫でる。
抱き締める身体は、記憶にあるより些かしっかりとしている様だった。
ここに来てから、守られたのだろう。自分達がしてやれなかったことを、ルシェラは漸く他国へ来て受けることが出来たのだ。
「ティーアにいらした頃より余程お元気そうで、安心しましたよ」
縋る腕に力が加わる。
「……お亡くなりになったのだと思っておりました。国守様はは、やはり特別な力をお持ちだ」
──……わたくしこそ…………貴方は、わたくしが……殺したと……──
ルシェラの声は、エイルには届かない。
ただ、腕のに込められた力から、ルシェラが何を伝えたいのか大体を悟ることは出来る。
「貴方を救う為に持っていた呪符に、俺が救われました。だが……気付いた時には、貴方の姿はなかった。窓から落ちたのは分かりましたが、その先は分からなかった」
──風が……救ってくれました。気付けばこの国に……何があったのかは、わたくしにもよく分からないのですけれど……──
説明したいが届かない。視線を走らせ、エルフェスを求める。
手を伸ばして彷徨わせると、意図を酌み取ったエルフェスが手を取ってくれる。
ほっと息を吐いた。
ここ数ヶ月は普通に話が出来ていた。声が出ないのは不便で仕方がない。
──風が救ってくれたとお伝えして下さい──
「……風が、救ってくれた……」
「風?」
「あたしが通訳するわ。貴方には殿下の声が聞こえないんでしょ?」
「……話せないんですか、殿下」
エルフェスに返答するより、ルシェラとしっかりとを目を合わせる。
ルシェラは強張った顔で頷いた。その表情に、エイルは、とうとう力任せにルシェラを抱き締める。
不敬だという概念は既に頭から失せていた。衆人の目も彼方へ去る。
これまで、意図的にルシェラに入れ込まない様にしてきたつもりだ。だが、しかし。
「っ……」
息を呑む音が耳元で聞こえた。それでも、腕を離すことは出来ない。
「…………殿下…………申し訳ありませんでした」
──……エイル?──
任務上の責任以外は考えない様にしてきた。だがそれでも、助けたいと思う命を見過ごすことなど出来なかった。
仕事と割り切って幾つもの命を奪ってきたが、だからこそ余計に、守りたいと願う命に対する想いは並ならない。
かつて、守れなかった命の為にも。
「生きていて下さって、良かった」
腕の中の身体はやはり酷く細く、儚い。だが、確かな温もりに、例えようもない安堵を覚える。
「……殿下……」
絞り出す様な声音に、エルフェスは思わず目頭を押さえた。
誰もエイルを咎めはしない。ルシェラを思うなら、仕方のない行動だと思えた。身分など、関係がない。
しかし、ルシェラ自身は何処か理解し切れていない様子で、身を竦ませる様にただエイルを伺う。
──……エイル…………──
「貴方を守れなかった。合わせる顔など、ないというのに……」
──貴方を殺したわたくしこそ……──
「守りたい命を失うのは、一度でいい……」
──……守りたい、命……わたくしのことを、そう思って下さるのですか……?──
「……お嬢さん、殿下は、何て仰有ってる」
不安げに視線を合わせ、唇が戦慄いている。何かを言いたげだがエイルには分からないのがもどかしい。
「あ、え、ええと……守りたい命だと、そう思って下さるのか、って……」
「…………俺が思うのは不敬なことですが……皆、貴方を守りたいと思っている筈ですよ。ご存じないのは貴方だけだ」
涙の滲む眦を指の腹で拭ってやる。
「殿下のご無事は確認致しました。……俺は、もう戻らなくてはなりません。ダグヌにも伝えねばなりません。……ですが、また直ぐに、お会いするでしょう」
窘める様に背を撫で、ルシェラの身体からゆっくりと手を離す。
しかし、ルシェラはエイルから離れようとしなかった。エルフェスと繋いでいた手を解き、エイルに縋る。
そのままでは話がままならない。エルフェスは直ぐにルシェラの肩へと触れた。
──…………貴方は、リファスをご存じなのでしょうか──
「この方から、リファスの無事を知らせる呪符を預かっています。あの子に会ったそうですわ」
──……ご無事なのですね──
振り返り、縋る視線でエルフェスを見詰める。
エルフェスは、はっきりと頷きを返した。
「ええ。ご心配には及びません」
──サディアが……リファスは、セファン陛下の手に落ちたと申しておりました。その事も、ご存じなのですか──
「ええ。私も、このエイル殿も……存じております」
「リファス殿のことか…………殿下。俺が、陛下の命で攫いました。今は、陛下の寝室にいらっしゃいます。命は、無事だと思いますよ」
──命より、心を心配しているのです。陛下は、リファスの様に美しく輝かしい方がお好きだから……リファスは、大人の男性との関わりを好まないというのに、陛下の御前では、どうなるか──
「……リファスが陛下のお好み……?」
エルフェスの顔色が変わる。
「確かにお好みの様だったが…………陛下はリファス殿への対応に困っていた。あんなに焦る陛下なんて面白いもの、初めて見ましたよ。……無理強いは出来そうにないご様子だった」
──本当に?──
伺う視線は、通訳を必要としない。エイルは、しっかりと頷いて見せた。
──では……まだリファスは無事だと……──
「未だ無事な保証は」
エルフェスも心配でならない。リファスもルシェラ程ではないにせよ、その美貌故に望まぬ目に遭ってきた。
ルシェラと共に顔を強張らせるエルフェスも見て、エイルは微かに表情を曇らせた。
思い返せば、初めの泣きじゃくる幼げな様と、離れる直前の気丈な様は印象が一致しない。
触れる前に一言欲しい、それは、いきなり触れられれば厭でも取り乱してしまうと言うことだったのだろう。
気に掛けていた「妙な趣味」という部分も、どうも引っ掛かる。
「……何か嫌な思い出でもあるのか」
「貴方程じゃなくても、あの子だってそれなりの経験をしてきているわ」
「俺がどんな生き様してきたかなんて、お嬢さんに分かるのか?」
「分かるわよ。大体は。目を見ても感じるし……間者なんて、そう希望してつく職業じゃないもの」
「……さすが巫女さんってところか。……リファス殿について深く聞くつもりはないが……拙いかもな。貞操が無事じゃない可能性は、高い。気丈にも堪える腹は括っている様だったが」
「そんな……!」
エルフェスもルシェラもその一言に完全に色を失くす。
覚悟を決めたつもりで居ても、どうしようもないことはある。
殊にルシェラには、リファスの恐怖が手に取る様に分かった。
自身の体験を伝えたのと引き替えに、リファスが経験してしまったことも悉に聞いている。
ルシェラには、身に迫る恐怖として捉えるしかなかった。望まない相手に、無理に身体を開かれるのは、想像を絶する恐怖であり、唾棄すべき嫌悪だ。
かたかたと震え始めたルシェラに、エイルはもう一度ルシェラを抱き寄せ、宥める様に背を撫でる。
「今現在のことは分からない。だから戻って様子を確かめて来ようって言うんです。殿下、それでいいですね。また、必ず参りますから」
──お救い出来ないのですか……──
「……助けられないの? 連れ出すとか、」
「時機を見ないとな……今すぐって言うのは、無理だろう。陛下が許さないし、俺も、あの方を敵に回すのは未だ拙い」
「……陛下は、男が好きなの?」
「どっちかと言えばな。女は後が面倒だと思っている節がある。……そもそも、ある一人を除いて基本的に他人に興味がないからな……」
ちらりとルシェラを見る。
ルシェラには分からないのだ。セファンが全てを間違っていたが為に、ルシェラには愛されていた自覚が全くない。
「あたしが代わりになるわけにもいかないって事ね……」
──どうすればリファスをお救い出来ますでしょうか……──
「お嬢さんの犠牲精神は見事だけどな。簡単に言う事じゃないぜ」
「どうすれば……」
「陛下のお考えが未だ分からない。様子を見た方がいい」
──サディアもそう申しておりました。……陛下がリファスを掌中に置かれることを望まれるなら、お救いするのは容易ではないことでしょう……──
「陛下がリファスを望む可能性があると仰有るのですか?」
通訳をする余裕など失せている。
どれだけ不遜に扱っていても、大切な、可愛い弟だ。
気丈に、強気に振る舞っていたエルフェスが色を失い焦る様に、エイルはルシェラの言葉を知りたいと思いながらもその事に口を挟むのは押し止めた。
兄弟は、掛け替えのないものだ。身の危機を聞けば、正気など失せる。
──……リファスは誰からも好かれる方です。陛下のお心が傾いても、それは仕方のないことでしょう──
「陛下は、リファス殿を随分お気に召した様だった。どう利用されるかは、これからのお考え次第だろう」
──この身が引き替えに値するものなら、良いのですが…………──
「それは……なりません、殿下。リファスもその様なことをよしとは致しませんわ」
──……分かっています。今のわたくしでは、何のお役にも立てない。陛下は、最早、このわたくしを求めてはいらっしゃらない。……この身が潰え、新たなるルシェラが生まれ来るまで……リファスをこの手の中へ籠め置かれるおつもりかと思います──
青褪めた顔。瞳が瞬く間に潤む。
エルフェスの言葉と、ルシェラの腕の力や震えから、大体何を話しているのかを悟ることは出来る。
エイルは眉を顰めた。
「リファス殿を攫った時、陛下は、リファス殿を殿下を連れ戻す為に使うおつもりでいらっしゃる様だった。殿下が本当に、リファス殿を取り戻したいとお考えなら……時機を見て攻勢に出ることは出来るかも知れない」
「殿下の御身に何を」
「守りたい人がいるなら……殿下、俺は貴方をただ守らなければならない弱き存在だとは思っていない。ダグヌを負かす程の剣の腕をお持ちであることは、存じています。貴方が、強い力をお持ちであることも存じています」
ルシェラの身体を僅かに離し顔を見合わせる。
直ぐに潤んだ瞳が縋る様に見上げてきた。頼りない。
しかし、その奥に、確かに潜む決意とリファスに対する想いを感じた。
国にいた頃には殆ど持ち合わせていなかったものだ。
これならば大丈夫だと、エイルは確信を持つ。
「リファス殿をお助けしたいなら、殿下こそ、気丈にして頂かなくてはなりません。……まず、陛下がどうなさるおつもりかが分からなくてはならない。いいですね。殿下。必ず有益な情報を持って参りますから、貴方は暫くここで待っていて下さい。お嬢さんもだ。下手に動かれると困る」
──……わたくしが……お守りする…………そんなことが──
声が聞こえる必要は最早感じなかった。以前よりずっと瞳が雄弁に語る。
声が出ても表情が死んでいた頃に比べれば余程、ルシェラはしっかりと生きていた。自身の考えを伝えるという考えを持ち合わせ始めていた。
「殿下がお救いするんですよ。今貴方は自由で、囚われているのはリファス殿なんですから」
──わたくしが……自由……?──
「手筈は整えます。しかし、貴方の力が必要だ。いいですね」
目を見合わせることが出来る。見詰め返してくる視線も泳がない。
エイルは口元に笑みを乗せた。
あまり不安は浮かばなかった。勘は悪くない。悪い表情は悪いことを呼び込む。不敵に笑うくらいで丁度いいのだ。
ルシェラも、いつかそれを覚えることが出来るかも知れない。ティーアで……セファンの下ではなく、この国で、リファスや、その姉に囲まれ、暮らしたなら。
ルシェラが海辺の砦から去ってから未だ五ヶ月程にしかならないのだ。回復は著しい。
──わたくしに……あの方の為に僅かなりとも、出来ることがあるなら……──
目に決意が滲む。
エイルは尚更微笑んで見せた。
ルシェラの背を優しく撫で、そっと引き離すとエルフェスへと預ける。
「また直ぐに戻ります。待ってて下さい」
「大丈夫なの」
「お嬢さんが下手に動かなけりゃな」
──陛下の下へはサディアが様子を伺いに参りました。思慮深い方ですが、顔を合わせたら無理をしない様にお伝え下さい──
「サディア様がセファン陛下の所へ行かれたのですか? そんな……危ないんじゃありませんの」
「サディア様……? ラーセルム王女の、サディア殿下か?」
「あの方のお導きであたし達はここまで来たのよ。だけど……あの方が動くのは危険が過ぎるわ。あの方の為に、ここに来たっていうのに」
「…………この国の現況は知ってる。セファン陛下が深く噛んでるが、陛下は今の状況をよく思っていない。……心配は要らないだろう。無理をしてなければいいが」
──エイル……サディアを頼みます──
「……殿下が、サディア殿下を頼みます、って」
「ご命令頂かなくても、そう致しますよ」
ルシェラの手を取り、甲に口付ける。
そして深く一礼をすると、エイルは颯爽と部屋を出て行った。
ルシェラは何処か不安げな目で、それを見送った。
続
作 水鏡透瀏
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