「……ルシェラの一番は……貴方だから…………」
「馬鹿を言うな。誰がその様な戯れ言を信じるか!」
「……どうして戯れ言だと思うんです」
「ルシェラは私を拒絶している。それが、一番になどなる筈がない」
「……ルシェラは、貴方を拒絶しているんじゃない。貴方の、行為を拒んでいるんです。そして、ルシェラは、何よりそれに心を痛めてる。受け入れられない自分が悪いんだって、ずっと、俺の言うことも、サディア様の言うことも聞かないで、ただそればっかり! 貴方の方がよっぽどルシェラを拒否してる!」
投げ捨てる様に、髪を掴んでいた手が離れた。リファスは倒れ伏し、肩で息を継ぐ。
顔を見ていると、恐怖心はもう浮かんでこなかった。
この王は、何処か普通で、何処か脆い。
時折、自分よりも幼い様な反応をする。それが不思議で、少し不気味で……放っておけない気分になる。
似ていないと思ったが、この不安定さは何処かルシェラに通じる。
繊細なのか。恐らくは。
「枷を外して下さい。俺は、逃げない」
落ち着いて呼吸を整え、リファスはゆっくりと発音した。
セファンは目を見開いて落ち着き払った少年の顔を見る。
つい先まで怯えていた筈だ。それなのに、この瞬時の落ち着きは何だというのだろう。
さすがに気圧されはしないものの、リファスに一層の興味が湧く。
「外して……それでも、私に触れられることをよしとするのか?」
「貴方が手控えなければいいんです。俺が怯えようが、泣き喚こうが」
「それは難しい。気が削がれる」
「燃える男の方が多いんですけどね。俺の数少ない経験だと」
「しかし、その経験がお前を怯えさせている。不愉快なことだ」
「……陛下、貴方は、本当にルシェラを迎えに行く気があるんですか? それとも、ただここで俺とじゃれていたいだけか?」
目が挑発していた。
触れればまた怯えるくせに、どうしようもない性分だ。
セファンはその矛盾に眉を顰める。
「…………貴方らしい。その潔さは」
僅かに改められた口調。僅かながら認められたとでも思えばよいのか。
リファスは心の内で呆れる。
「こういう反応が欲しかっただけか。……なら縛ったりなんてしないで、ただ俺を怒らせればいいだけなのに」
「普通は、無理に縛られたら怒るものだと思っていたのだが」
「普通じゃないことは、その前に確認したくせに」
「ああ…………」
脆い。
若いのか。
そう考えた自分がおかしくて、リファスは小さく苦笑した。
この王の年は、自分の父親とそう変わらない筈だ。
「男の誘い方なんて知らないけど……貴方がそう望んで、俺にとっても……ルシェラを助ける為に必要だと思えるなら、もう少し我慢は出来る。ただ……普通に抱いてくれたら、酷くなんて怯えない。エイルさんに聞きました。貴方には、別に怖い様な性癖もないって。ないのに、何で縛ったりするんです」
「逃げられては困る。それから、貴方の方が技があるし、力は私の方が多少強くとも、大きく違うわけではない。手間取るのは好きでないからな」
「気付いてますか、陛下。貴方は、ご自身が思っている程大人じゃない。だから……俺も、貴方にそれ程怯えなくて済みそうです」
こんな口を利いても許すのだろう。
その期待通り、セファンは不愉快そうな素振りの一つも見せなかった。
ただ、言葉が意外だったのだろう。意味が分からない風に、困ってリファスを見ている。
「外して下さい、陛下」
「それは……出来ぬな」
「何故です」
「貴方を自由には出来ない」
何を恐れているというのか。
リファスは呆れ顔でセファンを睨む。
おずおずと口付けられる。
急にしおらしくなった態度が不気味だ。だが、セファンの脆さに気付いてしまった身としては、受け入れる他仕方がなかった。
「っ……ん……」
深い口付けも、もうそれほど怖くない。
濡れた音と何処か酒の香りの混じる唾液に酔わされるが、身体は震えなかった。
むしろ怯えているのはセファンのようにも思える。
手慣れている筈なのに、余裕が感じられない。
セファンの気が済むまで口腔を嬲られたが、それはリファスに性感を齎すものでさえなかった。
「……貴方は……特別の様だな」
「何がですか」
「貴方が憎くて仕方がなかったというのに」
「今は……憎くない?」
「ああ……いや、憎い。憎いが……」
セファンは自身の感情に困惑している様に見えた。
リファスは真っ直ぐにセファンを見詰める。もう、視線は揺らがなかった。
「俺の言葉を信じてください。俺だって貴方が憎いけど……でも、貴方とルシェラが和解しない限りルシェラは幸せになれないし、ルシェラが幸せじゃないと、俺だって不幸なんです。……ルシェラは貴方を求めている。父親として、家族としての貴方を。それは貴方が望むものじゃないかもしれない。だけど、お互いに折り合いのつくところを探さないと、ただルシェラは失われていくだけだ」
「あれは、また生まれ来る。兄は言った。私が正しい治世を行ったなら、また会うこともあるだろうと」
「貴方の治世は、俺が聞いた評判では間違ってない。ただ、貴方は人として間違ってる。どうして家族を家族として愛せないんですか? 今のままじゃ、同じことの繰り返しだ。次のルシェラは、どのようにして育てる気なんです。今で三人目……これ以上の失敗は許されるものじゃない」
「貴方に言われるまでもない!」
リファスの肩を掴み、ぐっと引き寄せる。
顎を僅かに上げるようにして、リファスは顔色一つ変えずじっとセファンの様子を見詰める。
子供のする顔ではなかった。
その表情を見て、セファンは不愉快げに顔を歪める。
あの、かつての老人そのままだ。
記憶など全くない様子なのに、目の色がそのままに過去を伝える。
その老人の事は、兄についてを除けば嫌いではなかった。
ただ、その一点がある為に、幾度殺しても飽き足らない程の憎悪を覚えてもいた。
兄が心を寄せたのも無理はないと分かっている。
若かりし頃の美貌が見る影もなくなっても、代わりに味わい深さというものが男をどうしようもなく魅力的に見せていた。
齢を重ねるごとに無駄がそぎ落とされた体躯、軽妙な話しぶり、器楽や歌の腕前。知識。おまけに、子供なら誰もが憧れざるを得ない程、剣の腕に優れていた。
何もかもがただひたすらの賞賛に値するものだった。
優しくて、大きくて、何でも出来る、そんな大人。子供だった自分とも、目線を合わせて話をしてくれたことを思い出す。
もう、三十余年も前の話だ。
「私の、何がどう間違っているというのだ。私はルシェラの事を想い、ルシェラが出来るだけ安楽に暮らせる様に、兄上と同じようにして、そして、私を愛してくれる様に……ただそう願って、その様になる様努力してきた筈だ!」
「その結果ルシェラは人を恐れ、貴方を恐れ、心を壊し、自分を壊して……何もかも……失ったんじゃない。初めから、何も与えられていない。ルシェラを傷つけ、壊しているのは貴方です。ルシェラはそう思っていなくても、貴方がそれを分かっていなくても、周りから見れば直ぐに分かる。貴方が、間違っているんです」
「私が…………? 何故、何処がだ!」
肩を掴んでいる手に力が込められる。リファスは痛みに微かに眉を顰めたが、その他には表情一つ変えない。
「貴方は、ルシェラに、何を説明しましたか? 何故ルシェラが嬲らねばならなかったのか、何故塔の中に閉じこめられて育てられたのか、何故乳母が殺されたのか、言葉を尽くして、ちゃんと説明しましたか?」
「言える筈がなかろう。お前は人の命を食らわねば生きていけぬと、食う手段に最も適しているのが男に抱かれる事だなどと、その様なこと……塔での暮らしは、初代のルシェラが望んだ事だ。人の心がルシェラを乱す。それを知って、却って興味を引いて塔を抜け出し、心を壊して亡くなったルシェラもいる。乳母の件は私の落ち度だ。アーサラの手前、公に出来ることでもない。……言えぬ……」
「ルシェラは、薄々分かっています。何となく分かるからこそ、余計に不安なんです。貴方が思っている程、ルシェラは弱くない。人の心もそうです。今のルシェラは正しく理解できてる。その上で、自分を守る術を覚えて、ここに来たんです。もっと早く分かっていれば、ちゃんと練習出来てれば、今ここまで体調を崩していなかったでしょう」
「それは結果論に過ぎぬ。幾つの子供に、それを言わねばならなかったというのだ」
「なら、何で閉じこめたんですか! 王宮以外の所に!」
セファンは弾かれた様にリファスから手を離した。
激昂して乱れた呼吸を微かに整え、リファスはセファンを睨む。
「……王宮から出したのは、単なる貴方の我が儘です。貴方が頭からルシェラを否定してかかったから、今こんな事になってるんです。何で、それが分からないんですか?」
愛されていれば。
全てを認められ、受け入れられて、そうして愛されてさえいれば。
自分達もこうまで遠回りする必要などなかった筈だ。
「貴方は独善的過ぎる。ルシェラは貴方の玩具じゃない。貴方は父親としての責任を果たしていない」
「父親……」
「貴方は、ルシェラの父親でしょう? 兄でもなければ、恋人でもない。父親です。貴方のお父様は、貴方やルシェラにどう接していましたか?」
「父親としての父のことなど、知らぬ。幼き日の私の父は兄であり、貴方だった」
「俺は、ルシェラや貴方に、そんな風に接していたって!?」
身動きが許されたなら、掴み掛かってやりたい。
がちゃがちゃと枷がうるさい音を立てた。
「貴方が兄にしていた様にしようとも、ルシェラは私を受け入れぬ。なら、私は私が思う様に行動するしかないだろう」
「俺と貴方では立場が違う!」
「何が違う。ただ、愛していただけだ」
話が巡る。
何故分からないのかが、リファスには分からない。
辛うじて自由な左足で蹴り飛ばしてやろうとしたが、反動を付けようと動く間に押さえ込まれる。
「く……ぅ……」
「油断ならないな。……このまま少しでも強く力をかければ、お前の足は折れるだろう。それが厭なら、大人しくすることだ」
足を折られたら、ルシェラを抱き上げることも、支えることも出来ない。
リファスは屈辱に顔を歪めた。
睨む目だけは一貫して本当に変わらない。
セファンは緩く首を振って溜息を吐いた。
「貴方と話をしても、埒があかないな」
「……俺もそう思います。貴方には、分かって貰えそうにない。残念です」
「分からぬのは貴方だ。私の何が間違っているという」
「もう何度もお話ししました。貴方はもっと優しく、温かく、ルシェラに接するべきだった。今からでも遅くないんです。お願いですから……ルシェラを息子として……愛して上げて下さい」
「兄と同じではないルシェラなど、ルシェラではない」
「同じになんてなるわけないでしょう!?」
「何故そう言い切れる」
本当に何も分かっていない男だ。
これでよく稀代の王と謡われるものだと呆れる。
「人は積み重ねられていくものです。貴方に会う前の俺と今の俺だって少し違う。ルシェラは一人だけで、生まれ繋いでいるものかも知れないけれど……貴方のお兄様が生まれ育ち亡くなられてから、もう何年も経って居るんでしょう? その間に生まれて、生きたルシェラ達だって居る。お兄様と同じには、絶対にならない! お兄さんと過ごした頃の貴方と、今の貴方が違うのと同じ事です。歳が積み上げられたら、それだけ人は変わっていく。少しずつでも……!!」
「しかし、兄上は仰有った。私が正しい治世を続けていれば、何時かまた会える時が来ると……!!」
「当たり前でしょう! 同じ人は、同じ人なんだから!」
子供のリファスに分かる理屈が、何故大人のセファンに分からないのかが理解できない。
「兄上が嘘を仰有ったのか」
「そうじゃない。貴方が分かっていないだけだ。現に、昔を知っているサディア様は、貴方の様なことを一言も仰有らない。アーサラの陛下だって仰有らなかった」
「あれにも会ったのか。……あれは、兄上のことなどよくは知るまい」
「貴方よりは余程物の道理が分かっていらっしゃる……っ」
押さえ込まれた足へ体重が掛かる。骨が軋んだ。
苦痛に歪む顔で、それでもセファンを睨む。赤く染まった目元が、ぞくりとする程の色香を放っていた。
だが、セファンはそれにそそられる以前に、思わず僅かに力を抜く。
リファスは益々困惑した。
「痛いから……離して下さい。どうせ逃げられない」
「私も痛い目には遭いたくない」
「蹴りません。また貴方が怒らせない限り」
セファンは漸くリファスから離れた。
寝台を降り、距離を取る。鎖で繋がれたリファスはそこまで届かない。
「…………貴方が理解するまで、帰すわけには行かぬ」
「貴方を分かったって、帰れる訳じゃないでしょう」
「ルシェラが我が手に戻れば、貴方など必要ない」
「今のルシェラは貴方の思うルシェラじゃないんでしょう? なら、手に入れる必要が何処に」
「あれは国家機密だ。それに……あれが死なねば、次がない」
「ルシェラを殺せるんですか?」
「…………方法は、古代の資料に残されている。私も、目の当たりにしたことがある」
「………………それって……」
陽の光に触れ瞬く間に赤く爛れた肌を思い出す。
一日も晴れた外へ出していれば、ルシェラは生きてはいまい。
少なくとも全身を爛れさせ、正気を保っていることは出来ない筈だ。
そうまでして、ルシェラの死を望むのが、実の父親だと言うことが信じられない。
「そんなに……ルシェラが憎いんですか」
「憎い、か。そうだな。兄上と同じ顔をしながら、兄上ではないことは憎い。だが、違ったものは取り替えればよい」
「人間って、そういうものではないと思います」
「人……か。あれは」
「そうでないなら、何だって言うんです」
「この世で最も神に等しき者。そして、最も魔物に等しき者だ、あれは。兄上は神に等しかった。だが、今のルシェラはただ人の命を食らう、魔物に近しい者」
「人です。神に近かろうと、魔物に近かろうと、心は人だ」
その美しさも、秘めたる力も、人としての範囲は大きく逸脱したものだろう。
だからといって、ルシェラは人としてのささやかな幸せにすら縁遠いのだ。
神と崇められることが、魔物と恐れられることが、幸福に繋がらないことは、リファス自身が一番よく分かっている。
その容姿と優れた資質故に、リファスも周りからは常に一線を引かれていた。
ルシェラとは比べものにならぬにしても、人としての範囲を越さないセファンより遙かに、ルシェラを理解できていると自負があった。
ルシェラは純粋で優しい。見目だけではなく、心根まで美しい。それが、魔物などであろう筈がない。
「……俺がこうしていたら、そのうちルシェラはここへ来るでしょう。その後、どうするつもりなんです」
「連れ帰る。この国で処理をするわけにも行くまい」
「処理……何をするつもりです」
「塔へは戻さぬ。客も取らせぬ。私も抱かぬ。それで、よいのだろう? 日当たりのよい温室の一つでも与えれば、直ぐだ」
「…………俺はどうなります」
「貴方など必要ない」
「俺は、貴方達の言う『運命の輪』の中に居るんでしょう。それなら……俺は、ルシェラにとって必要な存在の筈だ。貴方のお兄様だって、俺と一緒にいたんでしょう? それなら……貴方の思うルシェラの生育に、俺は必要な筈だ!」
はったりだ。
だが、ルシェラの側に居なくてはならない。セファンを見、睨む。
セファンはそんなリファスを眺め、ややあって口元を歪める様にして笑った。
「……そうか。この度はこれまでで最も失敗だと思っていたが……貴方の存在か、鍵は」
僅かに側へ寄り、上からリファスを見下ろす。
「前回は貴方が側に居た。理想に育っていたが、私の不注意で亡くしてしまった」
「……そうやって、一つ一つ確かめながら、理想のルシェラを作ろうっていうんですか!? ルシェラは、貴方の玩具じゃない!!」
「そのつもりはない。玩具を求める様な子供ではない」
「子供のままですよ、貴方」
「過ぎた口を利く。…………安心しろ。貴方を処分はしない方がよい事に気がついた」
嬉しげに笑う表情は、何処か無垢だ。
「……腹立たしいことだがな。貴方の力を借りねば、兄上を取り戻せぬというのは」
「…………貴方が道理を分かりさえすれば、俺なんか要らないのに」
「私は運命の輪の中の者ではない。……ルシェラが真に受け入れるのは、輪の中の者だけなれば……貴方を我が手に収めておくことに利はある筈だな。貴方が今、そう言った」
「子供の言うことを一々真に受けないで下さいよ」
これで本当に、ルシェラが恐れ怯える程の王なのだろうか。
幼い頃からの刷り込みというのは、恐ろしいものだと痛感する。
ルシェラなら抵抗できた筈だ。ルシェラなら、逃れられた筈だ。
そう思っても、リファスにも、不可抗力で怯えてしまうのは分かる。心は、そう簡単なものではないのだろう。
「貴方をただの子供だとは思えない。十分に大人の目をしている。子供扱いをするつもりはない」
「どうしようって言うんです。俺を」
「飼ってやろう。しかしその前に……ルシェラだ。ルシェラが我が手にあれば、お前も厭でも私に付き従わざるを得まい。昔の貴方と同じだけの能力を有しているなら、私や国の役にも立とうしな」
「かう、って」
「こういう事だ」
セファンが微かに離れる。
そう思う間もなく、再び近寄り、首に手を掛けられた。
「なっ、ぁ!」
かしゃり、と微かな金属の音がした。
手が離れても、未だ首に違和感がある。
「なに……何を」
「飼う、と言っただろう。お前はルシェラを手に入れる為の生き餌だ」
「何で、こんなもの!」
手や足に嵌められたのと同じ、枷が首にも嵌められたことを悟る。
外そうと藻掻くが、手は空しく宙を掻くだけだった。
「ルシェラの姿を見て直ぐに用意させたのが、役に立つとはな」
「ルシェラを繋ぐ気だったってのか! くそっ」
「逃さぬ為には仕方がなかろう。私とて、枷などしては面倒だ。好んではいない」
「なら、外して下さい!」
「面倒は好まないと言っている」
「枷なんて、手や足だけで十分でしょう!?」
「意味のない枷だと思っているのか?」
声に嘲笑に似た響きが含まれる。
趣味以外で首輪など有り得ない。そう思うが、セファンの様子は何処かおかしい。
「ルシェラの為に用意させたと言っただろう。あれがその気になれば、簡単な枷など引き千切ってしまうのでな」
「……呪具だっていうのか……でも」
触れているところからは何も感じない。リファスはそういったものに敏い筈だった。
「咄嗟では用意できるものも限られる。ここが、五古国で良かったと言うべきか。いい地場をしている」
「何を……」
「これでも、私は国守を排出する五古国の王なのでな。多少なりとも力は持っている」
「力、だと」
「簡単な術でも唱えてみるがいい」
侮られているのが気に障る。
眉を吊り上げセファンを睨む。
「どうした。ルシェラを守ると粋がるのだ。術の一つや二つ、使えるのだろう?」
「この枷で封じたって言うんですか」
「試してみるがいい」
「俺で遊ばないで下さい!」
「術の一つも使えずして、ルシェラを守ると豪語するか」
「俺一人で守れるだなんて思ってない! 守りたいけど……俺には何もかも足りてなくて、ルシェラには何もしてやれない。側に居て、思うだけ命を分けてやるだけだ」
「それが腹立たしいのだ。生き餌になりうる貴方が」
愛している。
愛せない。
兄だ。
兄ではない。
憎い。
愛しい。
セファンの感情が様々に混乱している事を感じ、リファスは不審げな目を向ける。
憎いと言いながら、兄ではないから取り替えたいと言いながら、それでもルシェラに食われたがる。
こんな男がよく国を治められるものだ。
世界の崩壊が進んでいる。
それは何より、ルシェラが望まないことだろう。
「……食われたいんですか? ルシェラに……」
「……兄上に食われてしまえば良かったとは、思う。さすれば兄上は、今暫く生き延びることが出来た筈だ」
「人一人の命すら、ルシェラにとってはほんの僅かな気休めにしかならない」
「それでも……気休めにでもなれるならば、それで構わなかった。そうすれば、私は、兄上の一部になれた筈だ」
「貴方が死んでいたら、ティーアは誰が治めることになっていたんです」
セファンに兄弟はいない。
軽々しく死を口に出来る立場ではない筈だ。
「国などどうにでもなる。私一人が居ないごときで立ち行かぬ政など、あってはならぬ。国を形作る者のうちどの首でも、すげ替えが効かぬならそれは仕組みが誤っているのだ。我らは、その上で、最低限以上の行いを果たす為に尽力を惜しんではならぬ。それが個々の存在する意味合いだ。それが兄上の望まれたよりよい治世を行うことになると考えている」
国に対する姿勢は見上げたものだった。兄ルシェラの遺言を正しく受け止め、尽くしている。
だというのに、何故ルシェラに関してだけこうまで間違えるというのか。
「……王様としての貴方は、尊敬できると思います。今仰せの通りに、本当に行動していらっしゃるなら」
兄だと、愛したいと思いながらも、セファンはルシェラを仕組みの一つだと受け止めているのだろうか。先の物言いから、不安を覚える。
国守という立場や、死んでもまた生まれ来る者だということから、仕組みの一つだとも言えるだろうが、それでも、決して「ルシェラ」という存在以外のものではすげ替えることの出来ぬものだ。
そして、ルシェラの心は……記憶は、一つ。
「だけど、ルシェラは……仕組みの歯車であると同時に、決して動かすことの出来ないものです。お兄様に、変わりはない……それを、ご理解下さい」
「………………兄と異なるものをどう認めよと申す」
「かつてのその……ルシェラを知っている方のうちで、今のルシェラを認めないのは貴方だけです。ご自身の目が曇っていることに気付いて下さい」
「私の目が誤っていると?」
「貴方が、貴方のお兄様が望まれた様に優れた治世を行う偉大なる王であるなら……ご自身の過ちをお認めになることが出来る筈です」
「……私は、そんなものではない。兄上に未だお会いできぬのがいい証拠だ」
世界の評判通りの王ではあるのだ。決して奢ることだけはない。自信の力を過信してもいない。父親としても、一人の男としても失格だろうが、その点だけは評価できる。
「……自らの力の限りをご存じなのなら……過ちに気付き、修正していけばいいんです。人は初めから完璧なんて事は有り得ないんですから」
吟遊詩人の手として声に力を込めたいが、枷の所為なのか思う様に行かない。
それでもただ真摯に言い募る。
凝り固まった頭を柔軟に、理解すればいいだけのことの筈が、ひどく難しい。
セファンは唸る様な音を洩らし、俯いた。
しんと、静寂が訪れる。
これ以上、リファスにも言える言葉が見つからない。
折しもそこへ、扉の叩かれる音がした。
続
作 水鏡透瀏
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