正装とまでは行かないにせよ、それなりの格好をしてグイタディバイドを待つ。
 グイタディバイド当人には爵位こそないが、以前には大使、更にその前にはラーセルム国軍で将の位にあった。父は公爵であり、長兄がその後を継ぐことが決まっている。
 それくらいの知識は、リファスも持ち合わせていた。国軍からは学院卒業の際から今までに幾度も勧誘を受けたし、五古国大使ともなれば新聞にも載る。
 人となりの風評や、将として、また大使としての評判も、そう悪くはなかった筈だ。

「グイタディバイド卿がお越しになりました」
「通せ」
 リファスはぴっと背筋を伸ばし立ち上がった。サディアは座ったままで許されるが、リファスはそうも行かない。
 サディアの座る長椅子の後ろへ回り、控える。
 開けられた扉から入ってきたのは、堂々たる体躯に精悍な面立ちをした中年の男だった。
 品を保ちながらも砕けた服装をしている。
「サディア殿下、目通りを許されましたこと、まことにこの身に余る光栄と存じ上げます」
 片膝を付き、深く頭を下げる。
「ああ。よく来てくれた。どうぞ、椅子へ」
「失礼致します」
 リファスはじっとグイタディバイドを見詰め視線を外さない。
 従僕が扉を閉め、室内には三人きりになる。
「リファス、茶を」
「あ、は、はい!」
 促され、慌てて二人へと茶を入れる。
「……自分の分も用意しろ。話は長くなるだろう」
「……はい」
 残りを余りのカップへ注ぎ、サディアの隣……しかし、少し離れた所へ浅く腰を掛ける。
 サディアは小さく溜息を吐いた。
 本来、リファスの身分はこのグイタディバイドとそう変わりはしない。
「さて、グイタディバイド。ルシェラのことだが」
 足を組み、尊大な態度を見せる。それがひどく似つかわしく、男二人は微かに目を細めた。
 今の年齢で、十分に女王としての風格を漂わせている。
「はい。こちらに在らせられると、先日ファナーナ候よりお伺い致しました」
「お祖父様も、お前になら告げても良いと判断したのだろう」
「お目に掛かることは出来ますでしょうか」
「ああ……その前に」
 リファスの膝に、サディアの手が触れた。
 意味を察し、椅子から降りて少し広い所へ出ると、リファスはグイタディバイドに対して膝を付き礼を取る。
「閣下、初めてお目に掛かります。リファス・グレイヌール・アトゥナと申します」
「リファス・グレイヌール・アトゥナ…………聞いた名だな」
「典医グレイヌールの孫だ」
「それだけではございますまい。数年前、王立学院の卒業式の折に見かけた様な」
「ああ、お前はいたのか。私は顔を出していないが……リファスなら、さぞ目立ったことだろう」
「学院創立以来の神童と。それに、容姿にも非常に優れていましたからな。姉君によく似ていて……空の神殿の舞姫、エルフェス殿は確か姉上でしたな。幾度か、拝見しに伺いました」
「女の事は良く覚えているものだな。エルフェス殿も、ここに滞在頂いている。……今は、このリファスがルシェラの側に付き、身の回りの世話から看護まで全て引き受けている。まずリファスとお前を会わせねば、お前がルシェラと会うことは許されない。そういうことだ」
「……そういうこと、ですか。…………リファス殿、顔を上げてくれ。目を見せて欲しい」
 促され、顔を上げる。
 リファスとしても、グイタディバイドの顔をじっくりと見ておきたかった。
 真っ向から睨む様な視線を向ける。
 歳はまだ四十半ばには届いていないだろう。髭を蓄えているが、剃れば思いの外若く見えるかも知れない。
 精悍だが、茶色の目が優しいのは見て取れた。
 駆け引きなどはなさそうだが、年齢故にリファスには読み切れぬ部分もあるだろう。そう判断した。
 リファスにも隠すことなど何もない。サディアが信じる程の人間に、何を隠しても仕方がないだろう。
 ただ、真っ直ぐにグイタディバイドを見る。

 正直な少年だ。
 グイタディバイドはあまりに真っ直ぐなリファスの視線に当てられ、目を細めた。
 ルシェラに対する純然とした好意。それに裏打ちされ、年も上で社会的地位もある自分に対して剥き出しの警戒心を向けている。
 ルシェラを傷つける者ではないのだろう。それは、よく分かった。

「……そう睨まないで欲しいものだな」
 苦笑を隠せない。
 リファスは非礼に気付き、咄嗟に顔を伏せる。若さを揶揄われた気がした。
「ルシェラ殿下をお護りしてくれたのか。感謝する」
「…………その言い方は、気に入りません」
 ルシェラは、この大使崩れのものなどではない。
「そうか。……殿下のご様子は」
「今は眠っていると思います。状態は悪化していない。……だけど、意識もないから」
「分かるのか」
「サディア様に、方法を教えて貰いましたから」
 表情が硬い。それなりに納得はしたが、この瞬間で信じ切ることなど出来はしない。
「目が覚めたら……私は会わせて貰えるだろうか」
「……ルシェラに聞いてから、その時の様子で判断します」
「ああ。……そうだな。お伝えする際に、殿下が御身を傷つけられぬよう、配慮を願う」
「どういう事です」
「…………私は、殿下に何をして差し上げることも出来なかった。国でのことを思い出し、恐慌状態に陥ってもおかしくない。ただその事が心配でならない」
 そう言い差しながらも、グイタディバイドは緩く頭を振り、額に手を当てた。
「否……そうではないな。私が、詰られるのが怖いのだ。だが、余り昂じてはお身体にも障ろう……」
「詰られる様なこと、したんですか?」
「何も出来なかった。それが、私の何よりの罪だ」
 この男も同じだった。
 それをリファスに詰れる筈もない。
 ルシェラに対して、誰が、一体何をしてやれるというのだろう。
 泣きそうに歪められた顔を見、グイタディバイドも目を伏せた。
 堪え難い。
「……よいか、二人とも。ルシェラのことは、セファン殿に会ってからどうにかする他ないのだろう。ルシェラがああまで囚われている限りは。その為には、ともかく私達が王宮へ行くことが肝要になる」
 埒があかない。
 そう判断したサディアが口を挟む。
 この男共は、どうしてこうも過去ばかりを眺めて考えるばかりなのか、苛立ちを隠せない。
「ああ…………はい。殿下」
「それで、どうするって」
 さすがに、切り替えは早かった。せねばならない事は、それなりに弁えている。
「お祖父様が直接動けば、余計に怪しい。裏へ手を回すのは、お前の方が得意だろう、グイタディバイド。ルシェラとリファスの、祝賀会への招待状を手配して貰いたい」
「殿下が直々にお越しになる……! いや、それは……いかがなものかと思いますが」
「あの顔こそが全ての証だ。老人達には、覚えている者も多くいるだろう。その存在を見せつけてしまえば、誰も迂闊に手出しは出来ん」
「そうは仰有っても……」
 グイタディバイドは渋面を隠さない。
「ルシェラ殿下は、何故こちらにおわし遊ばされるのですか? その辺りの詳細を、まだ伺っておりません。逃れてこられたとだけ……状況次第では、サディア殿下のお申し出も、承伏致しかねます」
「私の命でもか」
「はい。何方であろうと」
 澱みがない。
 サディアは溜息を吐き、そして苦笑する。
「私も、詳細は知らない。ルシェラも認識していない様だし、当然このリファスも知らない。説明はしかねる」
「逃げたのではない、そう繰り返し言ってました。それに、ずっと一貫して、帰りたい、許して欲しい……そう……」
「窓から落ちた、と言っていたな。私達に分かるのは、それだけだ。無意識の力が働いたのか、それとも精霊達がルシェラを守ろうと自主的に動いたか……どちらかだろうが。この星の全ての精霊からなる物質は、ルシェラを傷つけないからな」
「……窓から落ちた……殿下が王城内よりどちらかへ移された事は存じ上げておりますが、そこで斯様な事が……。やはり、首を取られても、五古国会議を開くべきだった」
「仕方がなかろう。お前は自分の責務を果たしにラーセルムへ戻った、そこから悔やまねばルシェラは助けられなかった」

 グイタディバイドはセファンから塔を追われた後、即刻でラーセルムへと立ち返り、王とサディアへ報告書を叩き付けた。
 その知らせを受け、サディアの父である先王と力を継いだばかりだったサディアは五古国会議の開催に向けて動き出した。
 だが、各国王の日程の調整などもあるし、日々の責務もある。
 翌々日、立ち迫っていた重要な視察に王は妻を伴って城を出、そのまま帰らぬ人となった。
 馬車が山道で落石に遭い、片輪を踏み外し、そのまま谷底に落下したという。
 そして。
 ティーアの口添えあって、先王の妹婿が、暫定的に王位に就いた。サディアは当時まだ十一歳。それが、十八になるまで、と言う約定で。
 グイタディバイドは直ぐさま更迭され、五古国会議はその折りのいざこざで立ち消えとなった。

「まず、アーサラへでも助けを求めるべきでした」
 苦渋に満ちた顔で吐き捨てる様に言う。
「言うな。お前は、成すべき事をしている。それだけだ」
 誰しもが抱く後悔。だが、ルシェラはそれでも、父の事しか考えられないのだろう。
 グイタディバイドとサディアの様子を眺め、リファスは唇を噛む。
「…………お慰め、痛み入ります。分かりました。一通り、ご用意は致します。しかし、まだ時間がある……一度ティーアへ行き、様子を見て参りましょう。観光でも視察でも、私なら何とでも言える」
「セファン殿の様子を見てくるか」
「それが一番でしょう。腹の探り合いは得意ではないが、今の私にはそれ程にしか動けない」
 分からないのだろう、それでも、ルシェラには。
 皆が皆、ルシェラの為に尽くそうとしている。それでも、ルシェラは口を開けば父親の事しか言わない。
 苛々する。
 目の前の茶に口を付けたが、味も香りも分からなかった。
「……頼む。だが、早めに戻ってきて欲しいものだな」
「その前に……お目にかかれますか、殿下に」
「ああ…………リファス、お前はどう思う」
 何故分からないのだ、ルシェラには。
 こんなに尽くしても、尽くしても、尽くしても!
 掴もうとしても、その指の間からこぼれ落ちていく砂の様に。
 ルシェラはリファスに全てを許してくれているというのに、それでもリファスのものにはなっていない。
 心は、全てセファンに掌握されたまま。
「……リファス?」
 それでも、本当に、ルシェラが自分の意思でセファンをただひたすらに選び続けるというなら、それを守ってやろうとも思う。
 だが、今のルシェラは……ただ、囚われているだけだ。
 それでは、救われない。誰も。

「リファス!」
「っ…………ぁ……ああ…………サディア様……」
 我に返る。
 思考に入ると、その世界は泥沼の様だ。ずぶずぶと沈んで、容易には浮かび上がれそうになくなってしまう。
 サディアはそれを見て取ったのか、リファスの鼻先を軽く指で弾いた。
「何を考え込んでいる。グイタディバイドをルシェラに会わせたい。構わないか」
 自分の頬をぱしりと叩く。リファスの表情が改められる。
「すみません。……ええと、ルシェラですよね。……はい。だけど、自然に目が覚めるまで待って下さい。ルシェラには休息が必要です。踊り疲れているから。それに……貴方の名前を聞いて取り乱す様なら、少し時間をおかないと。……ルシェラ自身が、最優先でしょう? グイタディバイド卿だって、サディア様だって」
「それは勿論」
「まだ目覚めそうにはないか」
「寝付いたばかりです」
「そうだな…………では、グイタディバイド。ルシェラが目覚めるまで、リファスに、我が国の現状の説明を頼む。私は、他にすることがあるのでな。お祖父様の所にいる」
「畏まりました」

 リファスも何も知らぬではなし、現状の説明は知識の範囲とそう違いはしなかった。
 だがその先のこと……先王派と現王派の貴族や役人の名をそれぞれ覚えて行くには少々骨が折れる。
 懇切丁寧な説明とリファスのそれなりに優秀な頭がなければ、二時間程の講義は無駄になっていたことだろう。
 絵姿まではないものの、およその人相と名前の一致も……至難ではあるが、重要人物だけは教え込まれる。
 現王派の大臣、重鎮達。日陰にやられた、先王派の貴族達。
 現王派の中でも、小物から、ティーアの息の掛かった者達まで。
 先王派も、サディア擁立派もいれば、ティーアの息を嫌うだけのものまで。
 どちらも一枚岩ではない。
 現状を打破する為には、サディアが立つ他に、纏め上げる手はないのだろう。

「少し、休憩にするかな」
「…………はい。お茶、お代わり入れてきます」
「ああ、頼む」
 湯入れを手に部屋を出る。
 と、扉に手を掛けた所で額の辺りにちりちりとした感覚を覚えた。
「あ…………」
 立ち止まり、宙を見る様に振り返る。
 ルシェラの感覚がした。
「どうした?」
「すみません。お茶は後で。ルシェラの目が覚めそうだ」
「おお、それは! 直ぐに行って差し上げてくれ」
 湯入れを台に置き、リファスは部屋を駈け出る。
 グイタディバイドも、それに続いた。

 そっとルシェラの眠る部屋の扉を開ける。
 リファスは中に入ったが、グイタディバイドは廊下に留まった。
 側に椅子を寄せて座り、まだ眠っているルシェラの手を取る。
手はいつも通り、ひんやりとしていた。
 額の髪を払い、掛布を直してやる。
 口元が僅かに綻んだ様に見えた。
 顔色は変わらず悪い。閉じた瞼さえ青褪めて見える。
 居たたまれなくなって、リファスはその眦に口付けた。
「ん…………」
 息とも寝言とも付かない音が洩れる。
 手を、頬に当てた。
 冷たく血の巡りの悪いルシェラの身体に、熱い血潮を流し込む様に。
 リファスに出来ることと言えば、その程度のことでしかない。
 もどかしくとも、出来ることをするしかない。
「……ぅ…………ん…………」
 身動ぐ。
 目が、薄く開いた。

「起きたか?」
「……………………ぇえ……」
 まだ何処か寝惚けた様子で目を細め、じっくりとリファスの顔を確かめた後、微笑む。
「ごめんな、起こして」
「いいえ…………」
「落ち着いた?」
「……はい」
 リファスに腕を伸ばす。
 抱き合う様にして、ルシェラはゆっくりと身体を起こした。
「水、飲むか?」
「いいえ。…………あの……何方かいらっしゃるのですか?」
 扉の方を気にしている。気配を感じるのだろう。
 リファスも扉を見た。開け放っているが、グイタディバイドは影に身を隠しているらしく姿は見えない。
「…………ラーセルムの人で、お前に会いたいっていう人がいるんだ」
 出来るだけ軽く言う。
 ルシェラはリファスを見、小さく首を傾げる。
「ラーセルムの方……?」
「うん。……サディア様もご存じで。お前が構わないなら、会って欲しいって」
「……何方ですか?」
「ティーアにいる頃のお前のことも知ってるって」
「……………………ラーセルムの方……国での、わたくしをご存じ………………」
 瞳が不安に揺れる。
 縋る様な視線でリファスを見詰める。
 不安、しかし……何処か、期待のある様な。

「グイタディバイド様……知ってるか?」
「…………ああ………………」
 細い指が口元を被う。見る間に瞳に雫が満ち、零れ落ちた。
「…………ご無事で…………」
「会えるか?」
 尋ねれば、繰り返しの頷きが返る。
 身体を僅かに浮かせ、扉へ向かおうとするルシェラを制して横たえ、扉の方へ声を掛ける。
「お入り下さい、グイタディバイド様。ルシェラが、会いたいそうです」
 声を受けて、男が姿を現す。
「ああ…………」
 現れた顔を見て、ルシェラが呻いた。
「……殿下…………ご無事で…………」
 扉から一歩入った所で、グイタディバイドは膝を付いた。
 リファスを押し退け、ルシェラは寝台から落ちる様にして降りる。
「ルシェラ!」
 助け起こそうとする手も振り払い、這う様にグイタディバイドの元へ近寄る。
 直ぐさま、グイタディバイドの腕が伸ばされ、ルシェラは柔らかく抱き止められる。
「あ…………ああ…………」
「殿下…………」
「グイタディバイド卿、ご無事で、何より……」
 甘える様に、顔を擦り寄せる。
「殿下こそ……よくぞ、ご無事であらせられました」
 髪を撫でる。
 手触りは、記憶にあるより更に艶やかに、滑らかになっていた。
 顔を覗き込む。
 この年の三年は大きい筈だった。
 子供の柔らかさの失せた面立ちはより精緻に、怜悧に研ぎ澄まされている様に見えた。
 ただ、身体はこうして蹲る様にしていては、そう育った印象を持てない。薄い肩も、長く細い手足も、変わりない様に思える。
 表情も変わりなく見えた。頼りなげで、儚く、自我の弱い、力のない瞳が全てを物語っている様だ。
「三年かかりました、殿下に再び……こうしてお目に掛かるまで……誠に、申し訳もなく……」
「いいえ! いいえ…………あの時、貴方がわたくしを助けて下さった。自由にして下さいました。感謝しています。あのままでは、わたくしは気が触れていたかも知れない」
「何を仰せになられます! そもそも、殿下はあの様な仕打ちを受けて良い方ではいらっしゃいません!」
 忘れる筈もない。三年前、どの様な仕込みをされた上で、グイタディバイドの前に差し出されたものか。
「私は、殿下をお守りできなかった……あれ以来ずっと、御身を案じておりました」
 抱き締める。細い身体は、触れる端から崩れてしまいそうに儚い。

 リファスはただ、じっと二人を見詰めるしかできなかった。
 入り込めない空気がある。
 国でのルシェラを知っているからこその絆だということは分かる。その為にグイタディバイドが傷つき、悩んでいたことも。
 そして、その存在に、ルシェラが救われていたということも。
 分かる。
 分かるのだが、思わず拳を握り締める。
 悔しいのだろうか。
 嫉妬しているのだろうか。
 苛立つわけではない。ただ、足下が崩れていく様な錯覚に襲われる。

 ルシェラに必要なものは、確かに、まだ若過ぎる自分の腕などではないのだと、そう痛感させられる。
 確かな、大人の手が要るのだ。
 父親の代わりの出来る、母親の代わりの出来る、そんなものが。
 こればかりは、どうしようもない。
 幼い日を取り戻すことは、ルシェラにとって本当に大切なことなのだと、分かってはいた。

「…………貴方がいて下されば……わたくしも、本当に……安心できます」
「そう仰有って頂けるだけで、私も存外の喜びです」
 年の差も、親子程だろう。
 慈しみ合う姿には、じわりとくるものがある。
「貴方なら……ご存じでしょうか。サディアはわたくしに、何も教えては下さらない……」
 きゅっとグイタディバイドの袖を掴む。微かに震えているのは、何の故か。
「何をでございましょう」
「国の……ティーアのことを。リファス殿は勿論ご存じない。サディアは教えてくれない……貴方なら…………貴方は、ティーア大使でいらっしゃるから」
「……申し訳ございません…………私は、三年も前に、ティーア大使の任を解かれております。今も……政からは遠離っておりますので、あまり詳しいお話は致しかねます」
「それは……………………」
 ルシェラの表情が固まる。
 三年前……自分のあの醜態が、グイタディバイドの栄達の道に影を落としたことは、想像に難くなかった。
「…………わたくしの責……なのでしょう……?」
「まさか! 殿下には、関わりのないことでございます。丁度我がラーセルムにて政変が起こった。それだけです」
 触れ合う端から、ルシェラにはグイタディバイドの嘘が分かる。
 気遣いに、涙が滲んだ。

「……申し訳のないこと…………」
「殿下がお気に病まれる様なことは、何も」
 緩く首を横に振り、グイタディバイドの言葉を制する。
「殿下……」
 グイタディバイドの唇に、細い指が触れた。
 それ以上は口を開けなくなる。
「…………貴方まで、巻き込んでしまった…………これは、わたくしと、セファン陛下だけの事でしたのに……」
 リファスは唇を噛む。
 グイタディバイドは気が付かないだろう。ルシェラに会い、ルシェラからの気遣いを受けて感涙している人間には。
 ルシェラは意図などしていないだろうが、言外に滲む感情をリファスは敏感に感じ取った。
 邪魔をした、そう聞こえた。父親と、自分の間を。
 そんな話ではない、そう、分かっているが……。
「………………貴方が、助けに来て下さるのではないかと……ずっと思っていました…………それが、今なのですね。貴方が手をお貸し下さる。ならば……わたくし達の、これからのことは安心してお任せできるのでしょう」
 手がグイタディバイドの顔から離れる。
 グイタディバイドは確かに頷く。
「はい。確かに……お引き受け致します。ですからどうか、殿下がお気に病まれることのございませんよう。私は、こちらを辞した後、一度ティーアへ視察に参ります。まだ、祝賀会が開かれるまで時間がございますので」
「…………父上に、ご伝言をお願いできませんか」
「王宮へ伺うことは難しゅうございます。今の私には肩書きがない」
「父上には、お会いになれない?」
 王宮の仕組みなどよく分からない。肩書きというものも、ルシェラにはよく分からない事だった。
 小さく首を傾け、困った様に眉を顰める。
「申し訳ないことです」
「そう……ですか…………」
「祝賀会の折りには、セファン陛下もお越しになる予定です。そこでなら、殿下ご直々にお会いになることが出来ましょう」
「…………分かりました…………」
 落胆を隠せない。
 ルシェラの心を占めるのは、それでも、やはりセファンただ一人なのだ。
 グイタディバイドは震える腕で、それでもルシェラを強く抱き締めた。
 リファスは居たたまれなくなり、気付かれぬ様にそっと部屋を辞した。


作 水鏡透瀏

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