■□ 裏切り(1) □■
×ヴァイパー、アルベリック、セレニス
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intermezzo:sotto voce       
アンケート(別窓):   ヴァイパーED後話はあり?なし?  次に攻略してほしいセヴン


 己の根幹から揺らがされ破壊される恐怖と言うものをどれだけの人間が感じたことがあるだろうか。

「…………………………。」
 安普請の椅子が少し動いただけで耳障りにきしむ。
薄曇の少し肌寒い季節と雨でも降りそうに垂れ込める雲と天気と同じに曇る男の横顔と、雨の前と言うものは独特の空気を持つらしい。「らしい」と感じる理由は簡単で、今までそれすら気に留めぬほどに無頓着だったから。
大柄な隻眼の銀髪の青年、強面の不良青年。銀の髪を撫でつけ逆立ててその中身までも尖っているかのような風貌で、左側面のほんの一部を上着と同じターコイズブルーに染めている。椅子に座っている彼の前には小さなテーブルとその上に同じくターコイズブルーを基調としたカードがあり、それらの存在は薄暗い外からの光だけで浮かび上がっていた。
 今の立場、与えられた仮初の力は悪巧みのため。世をはかなみ憎み崩壊を望みそれに麻薬のごとく囁いた声に抗わず、彼の前に無造作に散らばっているカードを与えられた。
 それは、悪魔のカード。彼が望みそれを手にすれば、望む相手にカードが示唆する痛みと災厄を与えられる。しかしそれを行使したことはない。
必要以上に頼りにしない、依存しない。切り札はあくまでも切り札。
切りどころを間違えれば、それはとたんに死に札に変わることを知っている彼の肩書きは「博打うち」だった。ヴァイパーと言う通り名で彼を思い出す人間もずいぶん増えたけれど、それはすべて彼の実力から来るものではあった。
 薄暗い部屋の中明かりもともさずぼんやりしていれば気分も滅入るというもので、夕暮れにはまだ間があることだけは知っているのか、ヴァイパーが椅子から立ち上がり、しかしカードはそのままにブーツの音を重く響かせながらドアへと向かう。
 己の根幹から揺らがされ破壊される恐怖と言うものをどれだけの人間が感じたことがあるだろうか。ヴァイパーはこの立場に身を置くようになるより以前にそれを強く感じた。
己は癒せぬ病に侵され、余命幾許もない身。ただの博打うちのままではもうどこぞでのたれ死んでいたかもしれない。軽く咳き込むだけで肺に、気道に焼ける痛みが走り肺は生きながら燃やされるような灼熱を感じる。
数回咳き込むだけで体の奥から血のにおいがこみ上げる。
生きながらえると言うことがこんなに苦痛とは思ってもみなかったけれど、それでも自死は選べないし選びたくはない。病気を苦に自殺した、恐怖と痛みに負けたと揶揄されたくはない。
今日は幸いたいした不調はないけれど、一瞬先はわからない。だから――――

 いつ雨が降るかわからないこの天気の中、ヴァイパーは外出して行った。
いつ役目を果たすための準備をしているのかよくわからない男の話を聞き、彼に力を与えた魔女は眉ひとつ動かさず、その魔女に使役されていながら同等の立場だけ与えられた若き騎士団長殿は苦虫を噛み潰した表情を露にした。
「ヴァイパーの奴、そんなに教皇が怖いか。
 闘う力も持たぬ僧侶風情が怖いとは、ごろつきはごろつきに過ぎないようだな。」
「…………………………。」
「セレニス、やはりあの男は買いかぶりのようだぞ。」
「帝国が大陸に誇る騎士団よりは使えるわ。高名な騎士たちは誰一人教皇候補を捕らえられないどころかことごとく返り討ちにされているわね。」
 女の淡々とした言葉だけで、その場に重い沈黙がもたらされた。
邪な繋がりは強い絆は生み出さぬことも顕著で、残されるの感情の大半は不快感。
騎士団長殿はさらに苦々しげな表情を隠そうともしないけれど、美しい魔女殿の言葉に反論できる事実もまたないから黙り込むしかない。
 表の天気とこの場の空気、果たしてどちらが重いだろうか。
ただひとつはっきりしているのは、この空気に耐えられずにヴァイパーは外出つしたわけではないことだけ。



 しかし、外出しても行くあてなどない。いつ死んでもおかしくない自分が行く先などあろうはずもない、ヴァイパーはたださ迷い歩くだけ。
別に悪のアジトの居心地が悪いなんて今に始まったことじゃないんだけれど、だから外出したわけでもない。
ただ外に出たかった。雨に降られてそれが原因で病を悪くしようと、何もかもがどうでもいい。間もなく死ぬのだから、そんなこと気にしても致し方ない。
この世のどこにも救いなどないことは百も承知。
 いや、ヴァイパーにはたったひとつだけ救いが与えられた。
死を目前にして与えられた救いとやらにどれほどの意味も見出せないのだけれど、救いと言えそうなだけあると言うか、理屈で片付けられない、依存できるだけのものを今さら与えられてしまった。

「あら、クラレンスではありませんか。
 雨が降りそうなのに、大丈夫ですか?」

 そして、彼の救いは彼の本当の名を呼びながら、いつもつらいその時に手を差し伸べる。金の髪青い瞳の美しい少女の姿を持っている彼の救い、それは人間の女ではない。
「お嬢さん、ホント偶然だな。今日は本当に予想外だ。」
「ええ本当に…あ、ロクスは」
「いいよ。別に奴を追いかけてるわけじゃない。本当に偶然だって言ったろ。」
「…そうですか?」
 そういえば、この近辺で最近夜になると不気味な声が聞こえる、と言った噂を耳にした。それはあの魔女殿の悪意から来る事象ではなく土着のモノたちの仕業なのだけれど、災厄を招こうとしている目的のもと集った者として、自分たちの目的に呼応して例年以上の力を持ってしまったことは容易に想像できる。
けれどそれを彼女に言えないままヴァイパー…クラレンス=ランゲラックは唐突に現れた美しすぎる少女につい鋭い目を細めた。同時に唇をほころばせる。
「今日は顔色がいいみたいですね。あなたはいつもつらそうだから」
「よしてくれ、そんなに見つめられてちゃ顔から火が出ちまいそうだ。」
「またもう……最近体調は悪くありませんか?」
「お嬢さんの顔見るだけで痛みとかそういうのは吹っ飛んぢまうよ。」
 彼女の目的はおそらく不気味な声の原因追求、といったところだろう。儚げな美しい少女の姿を持ちながら、彼女は人間ではない。
 大天使の命を受けアルカヤに舞い降りた天使シルマリル。それが彼女の名と立場。
 対するヴァイパーは堕天使の勇者「セヴン」のひとりクラレンス=ランゲラック。
彼女の口から出た男の名は教皇候補のそれ。クラレンスが付け狙い陥れようと画策しているはずなのだけれど、彼は利用されている自分を理解しつつ好きなように振舞っている。
なにも知らぬとはいえ、シルマリルはクラレンスにも分け隔てなく優しくて、それもありクラレンスは必要以上に悪役を演じきれずに男の表情を見せてしまう。
「そうですか?
 どのような形であれあなたの助けになっているのならいいことです。」
「お人よしだな、心配で放っておけないロクスの気持ちもわかるわ。」
 そう。シルマリルは放っておけない女。彼女が人間ではなくて、神の奇跡に守られている存在と言うことは重々わかっているんだけれど、どうにもこうにも危なっかしくてけれどいつも懸命でがんばっているから、クラレンスはらしくないと思いながらも悪役の顔を隠してひとりの男として立ってしまう。
邪なる手段を弄して彼女を、そしてその後ろにいるはずの大天使たちを陥れるのが目的のはずなのに、大天使はどうなろうとかまわないがシルマリルには手を出したくない、そんなことを思うようになってしばらくたつ。
誰しも己に優しい人間を陥れたくはないと思うのと同じ。
「お嬢さんこそ、雨が降りそうなのに外出か? 濡れたら縮みそうで心配だ。」
「ええ、用事があってこの町まで来ていますから。
 それに、もう用も済みました。今から戻るところです。」
「で、ロクスはあんたを働かせて何やってるんだ?」
「えーとー……実はー…………」
「わかった、もういい。二日酔いか。」
「え!?」
 クラレンスは他愛のない世間話をしながら、その中からさまざまなことを拾い上げる。それを繰り返していたら彼女の言葉は情報の宝庫だと気がついた。
ただ今回はそうではなくて、シルマリルとしては隠したかったのだろうがクラレンスから見ればそれだけであまりにもわかりやすい。彼女は女たらしのろくでなしのプライドを大事に、大事にしてくれる。
似たようなろくでなしとして特に通じるものがあるから、彼女が億尾にも出さずともわかると言うものだった。
 遠くに雷鳴がかすかに聞こえる。けれど雨はまだ降り出しそうにない。
この天気、しかも雷まで鳴るのならばあのろくでなしのこと、可愛い天使様に八つ当たりしかねない。
ロクスと言う男は一見柔和で温厚そうに見せているが、その中身は実にわがままで理解しづらく見栄っ張り。おまけにかなりひねくれている。ひねくれ者とかろくでなしと言う点ではクラレンスも他人のことを言えないのだけれど、己に好くしてくれる愛らしい少女をぞんざいに扱うことはまずない。
むしろ彼女の存在があるから、もたもたと己のお役目そっちのけで探りばかりを入れている。
「二日酔いに特効薬なんてねえからな。あいつががたがた抜かすようならさっさと見捨てることだ。
 優しくしてくれるヤツに毒づくような真似するなんて、見捨てられて当然だ。」
「……大丈夫です、その元気もなさそうでしたから。」
「しおらしいロクスか。
 いい子にしてるあいつなんてそうそう見られるもんじゃなし、一回拝んでみたいな。」
 ふたりで話している間に町の人波は雨を感じて引き潮のようにあっという間に引いていった。気配だけ残るゴーストタウン、今日はどうやら旅人もいなかったらしい。
「クラレンス」
「ん?」
「雨が降る日は夕暮れが早いものです、雨も降りそうなので早く帰った方がいいですよ。
 特にあなたは体の具合が思わしくないみたいですし、体を冷やして熱など出たら大変です。
 それに」
「化け物も出ることだし、ってか?」
 多分、人波が引いた一番の理由はそれ。
そういう類の噂が広まるのは恐ろしく早くて、皆自衛のためにさまざまな行動に出る。そして化け物の類に最も効果的で手軽な手段は「炎に寄り添う」こと。
化け物に限らず、動物に至るまで炎は古くより畏怖の対象として本能に刻まれている。
人間とて例外ではない。
「ええ。
 私は訳あって平気ですけど、あなたは人間だし病気のようだし、腕に自信がないと言っていたし……」
「その時はその時さ。……って言いたいところだが、他ならぬあんたに心配されちゃあおとなしく言うこと聞くしかねえしなあ。
 仕方ない、ぶらぶらしてただけだし、帰るとするか。」
「近くなら一緒に」
「いいよ、二日酔いの不良僧侶をいたわってやんな。
 幸い俺はこの通り、今日は体調がいいんだ。」
「そうですか?」
 冗談かどうかわからない口調はクラレンス独特なのだけど、彼自身はまわりに思われるほど嘘は口にしていない。体調がいいのは事実で、しかも偶然の出会いがあったから重苦しくすらあった気分もずいぶん軽い。
寄ると触ると悪巧みばかりしている連中より、彼女のように素直な善人の方がつきあうのだったら遥かにまし。それだけではない、彼女はクラレンスのことをきちんと覚えていて、彼女の心配やいたわりの言葉が、それらしきものに縁遠かった男には今さらだけれど心地よかった。
 もっと早くに彼女との接点があったなら、クラレンスは多分違う道を歩いていた。
たとえ病に身罷りすでにこの世にはいなかったとしても、彼女の導きがあれば、諦めもなんとかつけられそう。今となっては天使様は癒えぬ病を抱えた男の苦痛を和らげることしかできないけれど、それ以上のことができようとクラレンスの立場では到底望めるものではなかった。
自分が陥れようとしている目的の存在に命乞いなどできようはずがない。
刹那だろうと耐え難い苦痛をやわらげてくれるだけで充分にありがたい。けれどそれにすがれない。
天使様は堕天使を打ち倒すためなら、その手に力を宿し人間風情など蹴散らすのがお役目。
「あんたは本当にいっつも一生懸命で可愛いなあ。」
 そう。クラレンスは彼女のひたむきさと、博愛を超えた慈愛を気に入っている。それを色褪せさせる真似など自らできるはずがない。
いつもいつもシルマリルを褒めちぎる男が見せた少年のような笑みとそれに潜む翳りに、褒められた当人は困ったような笑顔だけを浮かべた。褒められるようなことはしていないのに、と言う困惑ではなく、彼の笑顔の裏の翳りを感じられないほど天使という存在は間抜けにできていなくて、けれど追求することでもないからシルマリルは笑うだけ。
彼がどうして己の勇者となったロクスをつけ狙うのか、その目的、そして常人には姿どころか気配すら感じられぬ天使相手に声をかけ存在していることを疑わぬほど真っ直ぐに見つめられる理由などなど、シルマリルには彼に訊くに訊けぬことが山ほどある。
「まれに天使の姿や気配を感じられる者がいる」
あまりにも曖昧なその言葉を理由にし、シルマリルはこの青年のすべてを納得するようにしていた。
「――――――あら」
「っと」
 とうとう空がこらえ切れなくなり泣き出した。重く垂れ込める雲から鋼色の糸がぱらぱらと、その雲の様子から雨足が強くなるだろうことは容易に察することができる。
クラレンスは考えるより先に、小柄な少女の姿の天使様を建物の軒先に片手で押し込んだ。
……いつもそう、考えるより先にそうしてしまう。そして目の前の彼女は優しくされたからと悪巧みしているろくでなしに優しくして返す。
彼女にとっての当たり前は、クラレンスにとっては奇特でしかないのだけれど、別段それを恩に着せるわけでもなく、そのお慈悲がろくでなしには……痛いほどに染み入る。
「じゃあ俺も退散するよ。濡れないうちに帰るんだぜ。」
 いつか裏切らねばならぬ女相手に何をしているのだろう? その迷いも葛藤も当然クラレンスの中にあるから、彼の言葉も態度も謎めくばかり。
「待ってくださいクラレンス」

 少女の姿をした罪つくりな天使様。
その小さな肩を包んでいた薄いショールをさらりと解き、濡れ始めた男を頭から包み込んだ。

「急いで戻ればそう濡れずにすむかもしれません。
 返さなければとか気にせず……さ、早く。」
「あ、ああ」
「では、またどこかで。」
 無邪気に再会を信じている天使様。それが偶然でしか手繰れなくても彼女は疑うことなくただ信じていて、今だってあまりにも鮮やかな残像を残して駆け足で立ち去ってゆく。
その姿はまるで夏の強い色の花が雨に濡れることで己の色味をさらに強く、鮮やかにするみたい。
そしてクラレンスに頭からかけられた薄いショールからは、ほのかに花の香りが立ち上っていた。
 残り香にこんなに未練を感じたのはどれくらいだろう? クラレンスは女を抱くだけの体力も失って久しくて、けれどこんなに強く女を感じたのも久しぶり。
あどけない少女の姿の天使様は、他の男の元へと戻る。クラレンスは彼女と親しくても仇為すものにすぎなくて、本当ならこんなお慈悲をいただける立場にはいない。
シルマリルの勇者のひとりのロクスは人間として男として被使役者としてクラレンスの行動を不審に思っているけれど、それはあながち間違ってはいない。いずれクラレンスはこんな慈悲を何度も与えた天使様を陥れ、彼女とその勇者からある物を掠め取ることを目的に命を存えさせられ力を得て立ち回っている。
そのお慈悲が心地よいのと同時に――――居たたまれない。
 クラレンスのターコイズブルーの髪が、上着が、雨に濡れて色味を濃くしてゆく。
なのにショールから立ち上る花の香りはかき消されることなく彼を包んでいた。




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アンケート(別窓):   ヴァイパーED後話はあり?なし?  次に攻略してほしいセヴン

2008/10/07

「ヴァイパー攻略ルートがあったなら」。
以前からの野望をとうとう形にいたしますー。イエー。(ヤケ)

…多くを語らぬことにいたします。
自分間違いなく血迷ってます。
どれだけヴァイパー好きなんだ。