■□ 裏切り □■ ― 5:蛇の顎(あぎと) ―
ロクス
                          10   11   12   13   14   エピローグ   あとがき
intermezzo:sotto voce       
アンケート(別窓):   ヴァイパーED後話はあり?なし?  次に攻略してほしいセヴン


「……気持ちはわからないじゃないけどな、もう少し割り切った方が君のためだと思うぞ。」

 町は焦土と化した。
まだ焦げ臭い臭気が満ちるアルクマールの町外れの難民キャンプの中に、聖王国の教皇猊下がいた。彼は温厚そうな初老の男性と言う多くの僧侶に対するイメージとは違い若く美しくすらある優れた容姿の青年で、きな臭い風に波打つ銀の髪を弄ばれ、紫の瞳は少し疲れている。
「言っただろう、ヴァイパーに気を許すなって。
 君は……ご婦人だからああいう裏があっても嘘はついてなさそうな物言いをする男に気を許すかもしれないけど、同じ男から見りゃああいうヤツこそ油断ならないってピンと来るもんだ。
 僕がどれだけ君の姿形を褒めちぎっても知らんぷりしてるくせにあいつの言うことは真に受けて……君に対する話なら、僕のほうがよっぽど誠実だと思うぞ。
 いろいろごまかしちゃいるが嘘はついてない。」
 彼の目の前には、まるで天使かと見まがうほどに美しい少女が、叱るでもなく言葉の割に責めるでもない彼の言葉を耳にしながら今にも泣きそうにうなだれている。
教皇候補とは正反対の美しい少女、金の髪蒼い瞳の小柄な少女は本当は天使なのだけれど、背の翼をしまい人間の少女、教皇猊下と共に行動する尼僧として質素な衣服で身を包み日差し色の美しい髪を真白い布で隠して振舞っている。
 アルクマールとは六つの小王国が連合制を取りひとつの大国の形を成している「六王国連合」の中でも、人知を越えた力を手にしている魔道士たちが集うギルドの中枢「グランドロッジ」が存在する大都市。そんな重要な機能を有している大都市が、数日の激しい戦闘の末に陥落した。
六王国連合の存在を楔として長い年月の間打ち込まれていたグローサイン帝国が各地へと軍事侵攻を始め、国境を接していた六王国連合の首都に等しいアルクマールを攻め落とした。
代償は、都市機能と多くの人の命。自由な雰囲気ににぎわっていた街は打ち壊され焼かれそこここに死体が転がり、まるで街ごと死に絶えたかのような惨状の前に人々はそこを後にするより他はなかった。
火を消し死者たちを弔いそこで暮らしを続けるにしても、帝国兵は駐屯部隊を残していった。大半は街の外、帝国側の土地に陣を張ってまだ駐留している。
主だった施設や重要地点、歓楽街を押さえてにらみを効かせ続けている。
 騎士の国はすでにその銘を失って久しかったらしい、剣を振りかざした黒衣の悪魔たちに騎士の魂を見たものはほとんどいない。ただ蹂躙し尽くしただけ。
命からがら焼け出された市民たちは寄る辺なくさ迷うしかないと思われたが、他の町にいたりで難を逃れた魔道士を始めとして、アルクマールに迫る戦火の轍の話を聞きつけ周囲の町や遠方のギルドからギルドの中枢を守るべく駆けつけた魔道士やその護衛のウォーロックたち、または腕に覚えある小領主とその私兵などがそれぞれに救いの手を差し伸べて、それ以上の不幸の拡大はかろうじて逃れられた。
 そこにもうひとつの帝国の楔とも言える隣国のエクレシア教国の、未即位とはいえただ一人の教皇候補が美しい尼僧と共にアルクマールにいて、帝国兵の横暴を許さずたったふたりで彼らを追い放ったと言う吉報がもたらされた。教皇とは天使の勇者の能力を継ぐもの、1000年前の勇者であった教皇エリアスの魂を受け継ぐと信じているものも多く、それを強く印象付けるほどに美しくすらあり腕も申し分ないロクスがそのままとどまり、休む間も惜しんで負傷した者をふたつしかない掌で癒し続ける姿を見ることで、魔道士や剣を持つ者だけでなく難民たちも強大にふくれあがってしまった帝国を目の当たりにしても折れないだけの希望を彼の姿に見出した。
「――――とにかく、ここでは僕らは貴重な戦力だ。僕の癒しの手はこういう場だからこそ意味があるし、君は奇跡の行使者として振舞えなくても、」
 教皇候補ロクスが視線を上げる。その先には、まだ幼い、しかし肉親を失い住む家も失い焼け出された子どもたちが、不安げに若いふたりを見ながら数人固まっていた。
そんな不幸な子どもたちを見、ロクスはふわりとやわらかく微笑んだ。
「……あの子達にとって、僕はきっと君をいじめる悪い男に見えてるんだろうな。
 君が家族の誰かを失ったあの子達のひとりひとりを、保護した時に抱きしめただろ?
 あの姿がこの町の人たちにどれだけ心強かったか……君の背中に翼がなくても、この町の人たちには君が神に遣わされた天使に見えたと思う。
 他人のことなんて知ったことじゃない僕でも、君のあの姿を見てここでやれることがあるって気がついたんだ。」
 教皇候補ロクスが伴っている尼僧、ではなく、教皇候補ロクスを守護し祈りで奇跡を起こす天使シルマリル。純白の翼で天駆ける天使。しかし今の彼女は戦渦の中で見てはならぬ者、見るはずがない知り合いの姿を見てしまい困惑と落胆にしおれてしまった花のよう。
他者への労りなどどれほどの意味があるかなどと反発を抱えるロクスとしては、己の天使をいたく落胆させた共通の顔見知りであるヴァイパー――――クラレンス=ランゲラックを追い追求してもよかったのだけれど、今までの優しさすべてを踏みにじられないがしろにされてしまった天使様なのに不幸な子どもたちを前に彼らを抱きしめ涙した姿を見て、ここでやれることがあると留まり傷ついた者たちを癒すことを選んだ。
その中には、心が傷ついた天使様も含まれている。
「のんびりしちゃいられないかもしれないが、傷ついた魔道士や子どもたちが元気になる姿はきっと君を励ましてくれる。
 らしくないと言われちゃ笑うしかないけど、今は傷をなめあうだけでもいいと思う。いつも僕のそばにいて尻を叩いてろくでなしから足を洗わせようとしてる君は天使様だから、人間風情が恩を返そうと思っても出来ることには限界があるけど……君は救うことが義務じゃないことを忘れないでくれ。
 僕らにだって君に対してできることはきっとあるって思ってるよ、シルマリル。」
 優れた容姿と優しげな声色ですべてをごまかす男が本心から労わる言葉を口にしても、シルマリルは何も言えず、答えず。
今にも泣き出しそうなままうなだれてばかりいる。
いつもならそこで不機嫌になるロクスだけど今回は違うらしく、泣きそう、だけど泣けない天使様を黙って見守るばかり。
優れた容姿をろくでもない使い道にしか使ってこなかった男は、あろうことか己が信仰する対象であるはずの天使様に心奪われつつある。不実な男として甘ったるい笑顔と耳に優しく実のない言葉と声で慰めることなど彼にとっては戦うより簡単なのだけど、それで大事な天使様のお気持ちが癒されないことに気づいてしまったから虚飾は捨てるより他はない。
「……シルマリル。」
 泣かないでと何度言っても彼女にもどうにも出来ないのだろう。女心の難しさをこういう局面で突きつけられて、ロクスはどうしようもなくて間を埋めるみたいにしゃべり続けるしか出来ない。
きっと彼女の気持ちを晴れさせることが出来る存在は、おそらくもう以前みたいに笑い合える関係ではなくなったのだろうから己が癒すより他はない。


「教皇さま、これを渡してくれって片目のおにいちゃんが。」


「ロクス! クラレンスがあなた宛に手紙をって!?」
 夜の帳が下りた頃、教皇候補の眠るテントに優しい
昼間までの泣きそうな天使様はどこへやら、己を裏切った男の真の名を口にしながら駆けつけたシルマリルの声色と表情にロクスはあきれたため息をつきながら、しかし余計な言葉を口にはしなかった。
彼女の言葉は本当で、ロクスの男性にしては細い手に一枚の紙切れが握られている。
「手紙を預かったって子が片目のお兄ちゃんがロクスに渡すようにって手紙を預かったから渡したって」
「……落ち着けよ。
 確かに手紙は受け取ったけど、あいつからかどうかってのはこの状況だしな。
 でも確かめるしかないだろ、あいつがどっち側か、それともただのごろつきかはっきりさせりゃ君だってもう少し……とにかく、アルクマールの酒場にいるんだと。どうする?」
「行きます!」
「……訊くまでもなかったな。
 でも姿は隠せよ。でないとあいつが差出人だったらつけあがらせるだけだ。」
 簡潔に状況をまとめてその場にいなかったシルマリルに説明をしたロクスの表情は険しい。
ロクスはずっと、おそらく初対面の瞬間からヴァイパー……天使様がクラレンスと呼び微笑みかける男のことを、その口から語られる言葉を疑っていた。こういう形でお互いの立場が明かされたことも、予測はしてなくてもなんとなく可能性として抱えてはいた。
しかし確かにヴァイパーの態度はロクスとシルマリルでは明らかに違い、もしかしたら彼女には誠実だったかもしれない、あの男なりに彼女だけは裏切らないなどと言う矜持があるかもしれない、そんなことを思いつつ見て見ぬふりをし続けた。

 しかし。許さない。
天使様にこんな顔をさせた男を、シルマリルに裏切られた後の泣きたくても泣けないざらついた怒りと悲しみと落胆を与えた男を許せそうにない。
彼女を泣かせた分はきっちりと土下座でもさせてやらないことには腹の虫が収まらない。

 そんな怒りを胸の奥底に沈め封じて無表情を装うロクスだけど、反面自分の他者に関する関心のなさも腹立たしかった。もう少し強く彼女を戒めていたら、落胆は止められずともあきらめがつくぐらいの覚悟を備えさせることぐらい出来たかもしれない。
 だからこそ、確かめに行かねばならない。彼の立場を。彼の真意を。
あの男の目的はロクスに語った言葉がすべてではないことは明らか。ことによってはシルマリルを傷つけるかもしれない。
自分の身も心も削って他人に優しいこの女をこれ以上傷つけていい道理も権利も誰にもない。
「行くぞ。」
 シルマリルは一縷の望みに文字通りすべてをかけて。
 ロクスは疑惑を確信としてシルマリルの目を覚まさせるために。
ロクスの短い呼びかけひとつで新しい局面への幕が開いた。

 その先に開く毒蛇の顎が何を噛み砕くか。


                          10   11   12   13   14   エピローグ   あとがき
intermezzo:sotto voce       
アンケート(別窓):   ヴァイパーED後話はあり?なし?  次に攻略してほしいセヴン

2008/12/02
このあと「毒蛇との賭け」になだれ込みます。