■□ 裏切り □■ ― 9:終焉、そして ―
ヴァイパー、ロクス
                          10   11   12   13   14   エピローグ   あとがき
intermezzo:sotto voce       
アンケート(別窓):   ヴァイパーED後話はあり?なし?  次に攻略してほしいセヴン


 選ばなければならない現実に押しつぶされてしまいそう。

 けれど、シルマリルにはもう後がない。美しい少女は祈りをささげるかのように青い瞳を雲の向こうに隠すかのように瞼を閉じ、覚悟を決める。
彼女はただ美しい少女ではなく、幼くても天使で、己らの主の代行者として矮小なる世界とその住人たちに救いの御手を伸ばすのが存在意義で、それに抗うと言う選択肢はない。
選択肢など最初からない。目的の、使命のためなら己を犠牲にすることも厭わない。

「……妙なこと考えるなよ。君はまっすぐすぎて融通が利かないんだから心配だ。
 でもな、この世のことなどこの世でどうにかなるものさ。」

 迷わせるのは、その言葉。己の勇者に投げかけられた気楽に聞こえる言葉がシルマリルを迷わせている。しかしそれは正論でもあることをシルマリルは知ってしまった。
天使という存在の視野の狭さを彼女は知ってしまった。
全てが思うように運ぶわけなどないけれど、シルマリルが初めての使命を悪いものではないと感じ必死ながらもやりがいを感じるようになったのは、彼女の勇者たちだけではなくそれ以外の人間たちの存在も大きい。
特に彼女に優しかった毒蛇の彼の顔を何度も思い出す、けれど――――毒蛇は牙剥き獲物を仕留めそれを喰らわないとないと生きていけない存在で、彼は、絶大なる力有する禍々しい宝物を強い善性と厳しい戒律で守る者たちの象徴である教皇候補と、彼を守ることになった幼い天使様を獲物に選んだ。
彼が牙剥き襲い掛かってから幾日すぎたか、シルマリルはもう数えることすら忘れてしまった。
 それでも。選ばなければならない。いや切り捨てなければならない。
ヴァイパーことクラレンス=ランゲラックは箱庭世界アルカヤに未曾有の災厄をもたらそうと画策し暗躍する7人の人間の一人だから、彼と因縁深い己の勇者で教皇候補のロクス=ラス=フロレスとともに対抗しなければならない。
……対抗とは、すなわち抹殺。
 戦う力を持たないシルマリルの代わりに、ロクスはヴァイパーと戦う決心をとうの昔に固めている。己の守護天使を、大事な女性を傷つけた憎い男に一撃をくれないことにはロクスの怒りが納まらない。
天使という存在だけどか細くて生真面目でただ一所懸命な女に過ぎないシルマリルを嘲笑い傷つけたヴァイパーを絶対に許さない。
できるものならあの男を彼女の前に這い蹲らせ、頭を踏みつけて、謝罪の言葉を何度でも、彼女が遮り己の勇者の横暴を拒否するまで繰り返させたい。
おそらく彼女はそんなことなどかけらも望んでいないだろうことを教皇候補は知っているけど、読んでいるけど、理解しているけど、それでは己の気がすまない。
そこに彼女の意図などない。色恋沙汰が絡んだ男の私怨などそんなもの。
 読めないのは、天使を獲物に選び牙を剥いた男の真意。
読めなかろうと最後の幕は上がる。


「決着をつけようか、ロクス。」
「喧嘩は弱いから暴力抜き、じゃなかったのか?」
「このままじゃ埒があかねぇだろ。暴力ありだ。」
 そのやり取りだけで、最後の幕が開いた。
最後には最高潮らしく大立ち回りがよく似合う。


 シルマリルはあきらめきれない。
「クラレンス!」
 だから、行動する。彼女は自覚していなくても、彼女も演者のひとり、いやヒロインだと言うことは男たちの中で間違いない。
ヒロインが悲痛に主役の一人の名を呼ぶと、当然呼ばれた本人のクラレンスだけでなく、彼女をめぐり対立しているロクスも振り返る。美しいヒロインは用意された残酷なシナリオがどこへと向かうのか知らないけれど、悲劇にまみれながらも己の痛ましさ、いや悲惨さなど気づきもせず、今できると思ったことを実行に移した。
「もうやめてください、あなたは重い病気なのでしょう?
 全てに絶望してあなたが破滅を望んで遂げられたとしても、それであなたの溜飲が下がるのですか? 空虚さに追い詰められて自滅するだけだと気づいてください!!」
 己に戦う力などない。罪にまみれ汚れその魂が救われなくなった親愛なる男に自ら引導を渡すだけの力も与えられていない。己にできるのはただ労わるだけ。慈しむだけ。癒すだけ。それは時に彼女にも彼にも残酷でしかない。
ヴァイパーは癒せぬ病に冒され死を待つばかりで、そこに天使であろうとシルマリルの介入する余地などない。魂の浄化と救済すら与えられない。
「あなたが悪魔に加担しても罪が増えるだけです。
 今まであなたの信ずる存在があなたに安息をもたらしましたか?
 戦う力もないくせにえらそうなことを言えないことぐらい、私が一番わかっています。けど、天使だからあなたたちが知らないことも知っています。
 悪魔に与した存在がどうなるか、私は天使だから知っています。……クラレンス、救いどころか気休めにもならないでしょうが、今のあなたの感じている苦痛など比べようもない罰が彼らには与えられるのです。
 あなたにそんな思いなどしてほしくありません、ですから」
 それでもシルマリルは何もせず流れに任せると言う選択肢を選ばない。
そんな彼女を教皇候補ロクスは「あきらめの悪いヤツ」「しつこい女」なんて揶揄しながら、笑いながらからかった。からないながらも否定はしなかった。
それが彼女の性格だと簡単な理屈で片付けた。
苦笑いしながらも嫌わなかった。
「……言いたいことはそれだけか?
 これは俺とロクスの問題だ、女子どもは引っ込んでな。」
 しかし、当然、クラレンスはロクスとは違う。彼は女に甘いロクスとは違い、眉をわずかも動かさずに低く短い台詞でシルマリルを突き放した。
 彼は誰も信じてはいない。信じているのは己のみ。
悪魔に加担したのは、好奇心と欲望と破壊衝動をくすぐられたからに過ぎなくて、そこに信念など微塵もない。皮肉にもその選択の後に天使様が舞い降りて、彼女は得体の知れないろくでなしにもただ優しかった。
すれたろくでなしが純粋で見返りを求めず優しいばかりの女に引きずられるのはよくある話、だけど己は悪魔の手先で彼女は幼い天使様。
現実を見れば見るほどクラレンスには何も残されていない状況ばかり突きつけられる。
 言いながら、決別を捜し続けた男は、美しい意匠を施された禍々しいカードを賭博師らしい鮮やかな指捌きで扇型に広げて見せる。白手袋に包まれているとは思えないほどの鮮やかなカード捌き、その向こうのターコイズブルーの隻眼は彼の鋭さを否応なしに強調し人間より上位の存在であるはずのシルマリルを見事に恫喝した。
「シルマリル、危ないから下がってろ。
 もうあいつと僕だけの問題じゃないけど、人間が起こしたことは人間が片付けなきゃならないんだよ。」
 けれど同類のロクスはシルマリルと違いひるまずに、己の信仰の象徴であるはずの黄金の錫杖を握りなおし、緊張漲る穏やかな声で守りたい女を背に隠す形で二歩、三歩踏み出した。
「あいつは僕が片付ける。……意趣返しはきっちりやり遂げないと男が下がるってものだ。」
 やわらかく波打つ銀の髪と紫水晶の瞳、微笑みがよく似合う顔立ちの、美しく、柔和で、美麗ですらある教皇候補ロクス。その姿形だけで女を魅入り放蕩を続けた破戒僧。
その思考回路は容姿や立場とは正反対で俗っぽく傲慢で、必要ならば暴力を振るうことも辞さない彼は、僧侶である前にひとりの男に過ぎない。
そんな彼の深い場所に関わらざるを得なかった厄介な存在、逆らえるはずのない天使という存在のシルマリルだったけれど、彼女はロクスのあきらめに似た予想に反し懐が深く許すことを無意識に理解していて、己の勇者とした男の戯れの数々に難色を示しつつ否定しつつも許すみたいにありのままを受け入れた。
 そんな存在を傷つけられたロクスが、男の面子にかけても許さないと見得を切るのは、彼の振る舞いとして不自然なものではなかった。
「ロクス、それは私怨ではっ」
「なんでもいい。君らにとって悪いことでもつまらないことでも、人間にとってはやり遂げる力になるんだ。
 危ないから下がってるんだ、シルマリル。」
「そういうこと。理由なんて当人にしか意味がないし理解できないもんなんだよ。
 あんたごと片付けることだってできるが女子どもを巻き込むのは俺のポリシーじゃない。無関係じゃねぇが見逃してやろうってんだ、あっちでおとなしくしてな。」
 ろくでなしの戦う理由などいつも至極単純で、つまらない面子や体裁のために、男たちは時に命まで賭ける。
「さ、下がりません! ふたりともやめてください!!」
 男ふたり、まったく正反対の台詞を吐きながら、シルマリルには同じ言葉を投げつける。
「下がっていろ」――――ロクスは危ないからと、クラレンスは見逃してやると理由は違うけど、共通しているのは、この戦いの場からシルマリルを遠ざけようとしている言い分。
しかししつこい娘は、あきらめの悪い天使はなおも食い下がるみたいに、腰が引けているのに素直に言うことを聞こうとしない。
 そんな彼女をその場から力ずくで離れさせたのはロクスだった。初手を踏んだのはクラレンス、手にしたカードではなく別のカードを懐から出して剃刀のように操りロクスへと踏み込んだ。紙で怪我をするのと同じ、薄い紙切れがロクスの逃れ損ねた前髪をひと房宙に舞わせ、その場を離れなかったシルマリルに気を取られたロクスは乱暴に彼女を突き飛ばし体勢を崩した。
 クラレンスは返す手でロクスの目を狙う。
戦い慣れているはずのロクスは後手を踏んだこと、シルマリルに気を取られたことで逃れきれない。
「ロクス!?」
 突き飛ばされたシルマリルは舞い上がった血飛沫に悲鳴をあげた。
目を狙われたロクスはカードに捉えられ顔の右半分がたちまち自分の血にまみれた。
それでも戦いに慣れてしまった教皇候補はひるまない。見事に踏みとどまると踏みとどまった側の足に一瞬で重心を移動しそれをばねにして長身の体の全てを使い溜めを作って十字光る杖を突き出した。
それで今度はクラレンスが受身に回る番、極限まで消耗した肉体では受け流すことすらできずに利き手のカードをばら撒いてしまった。
 ターコイズブルーのカードがひらひらと宙を舞い、それは奪った武器を敵の手に戻すまいとするロクスの次手で薙ぎ払われてシルマリルの元まで飛ばされる。
クラレンスのカードは悪魔のカード、悪魔の首領サタンの魂が砕かれ形を持ち名を与えられた魔石ほどではないにしろ、おおよそ天使が触れられる類のものではない。
一瞬、ほんの一瞬、クラレンスの体全てが強張った。

 そして次の瞬間最も大きく動いたのはロクスでもクラレンスでもシルマリルでもなく、大量の血飛沫がシルマリルの小さな手を真紅に染め上げた。

                          10   11   12   13   14   エピローグ   あとがき
intermezzo:sotto voce       
アンケート(別窓):   ヴァイパーED後話はあり?なし?  次に攻略してほしいセヴン

2009/01/09