「あっ、あぁ……」
 相も変わらず質の悪い油の臭いの漂う薄暗い部屋で、ルシェラが乱れている。
「やぁ…………ん……」
 仰臥した男の腹を跨ぐようにして雄を銜え込み、腕を支えられて何とか身体を揺らしていた。
 声は掠れ、却って妙な艶を刷いてはいたが、呼吸が苦しいらしく八割方音にすらなっていない。

 流れた二年の歳月は、この部屋に置いて何の意味もなしてはいなかった。
 朽ちかけた寝台も、椅子も、卓も、何もかも、この二年……いや、それよりも長い間、この部屋は何の変化も受付はしなかったのだろう。
 時が滞り澱んでいる。
 ここに暮らすルシェラ以外の、訪れるもの全てがそれを感じていながら、誰も風を吹き入れようとはしなかった。

「ふぁ……」
 身体が大きく傾ぐ。
 支えられてはいても半ば意識がなく、長い髪が男の腹に蜷局を巻いた。
「使えぬやつめ」
 舌打ちと共に低く洩らした男は、その父、ティーア国王セファンであった。
「起きろ。私はまだ終わらんぞ」
 穿たれたまま力無く腹の上に倒れ付したルシェラの頬を叩く。
 ルシェラは緩慢ながら身体を起こそうとしたが、余力はなかった。

 前戯から始まり、既に数時間が経過している。
 このところ、こうしてセファンがルシェラを抱くことは増えていた。
 ダグヌとの行為に比べ、あれ程の命を下しただけはあってセファンは冷酷に息子を犯す。
 年を重ね、経験も多く重ねている故か、客達よりも更に上手を行くことも多い。
 ルシェラのなけなしの体力は、殆どがこの行為に費やされていった。
 その翌日には何とか血色もよく、起き上がり歩くことが出来るものの、また直ぐに伏せ、客に侘びを入れることも増えた。
 世界随一の大国の、当代きっての大王ともなれば、すまぬの一言で済ませはしていたが、客達の間にも口には出せない不満が広がっていた。

 セファンは決して弁解はしなかったし、何を話すこともなかったが、ルシェラは薄々勘付いていた。
 客を取れないのは、父王に抱かれているからではない。
 生きている、ただそれだけのことが最早自由にならない。
 どれ程冷たく乱暴に犯されようと、父がこの身体のことを一番理解している。それが分かる。
 辛くとも、苦しくとも、それを父親としての愛情だと受け取り、ルシェラはただ行為に堪えた。

 相手から受ける生気が、滞りがちなルシェラの身体の気の流れを整える。
 そう表すのが最も近いだろうか。
 交歓は、交換だった。
 そうすることで、何とか命を維持している。
 男がいなくては生きても行けない。

 生気を受けて生き延びる。
 それがどういうことか、ルシェラは認識していない。
 抱かれた翌日のみ回復する体調の意味をルシェラは知らない。
 客達も知らぬこと。
 王と……そしてダグヌが薄々気付いているのみだ。
 常人は性交渉の後体力を使えばそれきり。
 病身で……まして、胸の病を押して行為に及べばそれこそ命に関わる筈。
 それを理解したとき、ルシェラの受ける衝撃はいかばかりか。
 そう思えば、ダグヌは口を閉ざすしかない。

 ダグヌとは、結局一年に一度ほどしか身体を繋ぎはしない。
 ダグヌが手控えてしまうし、ルシェラにも、その気にならぬ男に無理に抱かせる身体的ゆとりを持てなくなっていた。

「っ……」
 荒々しく髪を掴み、引き起こされる。
 痛みに顔を歪めたが、それ以上には何も返せない。
「仕方がないな……」
 セファンはルシェラの腰を掴んで自身を抜いた。
 肩を押し身体をずらせて、目前に引き抜いたばかりの男根を晒す。
「銜えろ。それくらいの役には立とう」
 後頭部を掴み、口元にそれを押し付ける。
 苦しげに息を継いで半ば開いていた口へ無理矢理に押し込んだ。
「ぐ、っ……ぅ……」

 癖の強すぎる味に吐き気を催しながらも、ルシェラは口腔を犯す父の逸物に舌を絡める。
 早く出て行って貰わないことには、呼吸が出来ない。
「んっ……」
 鼻に掛かる苦しげな音が洩れる。
 意識のあるときには巧みな舌捌きも、この体では発揮の仕様もなかった。
 ただ、小振りな口には過ぎた大きさの男根である。その狭さと、唾液による潤いだけでもそれなりのものだ。

「っ、んぐ……!!」
 これ以上の行為に時間の無駄を感じ、セファンは早々に気を遣った。
 ルシェラの喉奥を放たれた精液が打つ。
 応じきれず咳き込もうとしたが、既にその力すらない。
 息が出来ずルシェラは喉を掻きむしりながら意識を失った。

「ダグヌ、これへ」
 階段に続く扉を開け、控えていたダグヌを中に入れる。
 苦しみ悶えながらも、のたうつ事すら出来ず痙攣している身体を一瞥し、ダグヌを促す。
「助けたくば助けるがいい」
 ダグヌは直ぐさまルシェラに駆け寄り、口の中から精液その他、粘性のものを掻き出した。
 それでも足りぬのを見て取ると、口を付けて強く吸い上げる。
 痰の詰まって苦しがる赤子に母親がする様だった。

 吸い取ったものを携えていたちり紙の中に吐き出す。
 唾液、痰、精液の名残、その中に幾筋もの紅いものが混じっている。
 喉を痛めたものか、それとも肺から出たものか……。
 考えたくもなく、ダグヌは行為に没頭する。

 そのうちに吸い上げられるものもなくなり、ルシェラの呼吸も多少ながら落ち着きを見せ始める。
 ダグヌはルシェラの顔を拭き清め、枕を頭の下に敷いてやった。
「陛下、やはり……」
「もう無理か」
「その様に拝し奉ります」
 セファンは眠っているのか死んでいるのかすら定かではないルシェラの顔を見遣った。
 忙しなく浅い呼吸だけが、ルシェラをこの世に引き止めている。
「……考える。この様でも、明日一日は持つだろう」
「はい」
「雄を喰らわねば生きてもゆけぬ癖に、それすら侭ならぬとはな」
 表情もなくルシェラを見詰め続ける。
「明日、使いを寄越す」
「では、王宮の方へ」
「それはない。ルシェラの居所は、この塔のみ。ただ、国建ちの社へ参拝はさせるかも知れぬ。その用意をな」
「……は」

 セファンはダグヌに手伝わせて身繕いを整えると、それ以上ルシェラに視線を遣ることはなく退室した。
 夜更けである。
 共をしようとするダグヌを仕草だけで制し、セファンは一人王宮へと戻って行った。

 湯に浸した布でよくルシェラの身体を拭き清める。
 階下には浅い湯桶等の用意もあったが、安易に動かすことすら侭ならない。
 執拗に散らされた紅い刻印も既に失せている。
 所詮は鬱血の痕。切り傷も癒える身では残らぬも道理だった。

 目を開けていることより、閉ざしている時間の方が長い。
 前にルシェラの瞳をよく見たのはいつだっただろうか。
 開けていること自体も少ないが、更にその視線を上げていることも少なかった。
 元々そう口数の多い方ではなかったが、今では肯定か否定か、その二つの他に発するのは嬌声くらいのものだ。
 客との最中のことなどは知らないが、恐らくそう変わりはせまい。
 意識が確かでも、何かに怯えた様に目を伏せたまま、殆ど何事にも反応がない。
 さりとて心を壊しきってしまっているわけでもなかった。
 完全に狂ってしまった方が楽だろう。
 父王が、そう望む様に。

 齢を重ねて更にすらりと伸びた肢体も、子供特有のあどけなさが失せ始めた代わりに大人へと足を踏み入れた面立ちも、全てが息を飲む程だった。
 しかし、それ以上に虚ろな表情が白痴美とも称するべき美しさを醸している。
 より人形の様に。
 白磁人形か……神殿にある玻璃の彫像か。
 まざまざと淫らな行為を見せつけられながらも、ルシェラは白く透明な空気を纏ったままだった。

 髪は拭うだけではどうしようもなく、枕を首に当て、頭の下に湯を張った桶を置く。
 卵白や酒、蜂蜜などを混ぜた洗髪剤で洗い、流し、絹布に包んだ香りのよい花で揉む様にする。
 客を不快にさせない心配りだけは許されていた。
 調度が整えられないのは、客も隠れた逢瀬を楽しむという設定上異論も出ないが、ルシェラが美しくないことには困る。

 そうしている間にも、ルシェラの意識が戻ることはなかった。


作 水鏡透瀏

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