寝台から逃れようとし、鎖が音を立てる。
 殆ど身動きが取れず、ルシェラは首輪を掴んだ。
 外そうと試みるが、鍵がかけられていて上手くいかない。
 鎖に縋りながら何とか立ち上がり、鉤から鎖を外した。
 とっさに身体を支えきれず、寝台に崩れる。
 公使の見開いた昏い目が、目前に迫る。
「ひ、っ…………」
 敷布を掻き、飛び退る。
 これ程動ける事を疑問に思う余裕もない。

 寝台から飛び降りて呼び鈴を思い切り引き鳴らす。
 騒々しい程の鈴の音が鳴り響いた。
 階下にはダグヌ達が控えている筈だ。

 その予測通り、直ぐさま忙しない足音が聞こえてくる。
「ダグヌ!!」
 床を這う様に、靴音が辿り着くより僅かに早く、ルシェラは部屋の扉を開けようとした。
 だが、鍵がそれを阻む。
 内側からも外側からも鍵で開閉をすることになっている。
 ルシェラは、それを持ってはいなかった。
 持っているのは、ダグヌ達か、セファンか、セファンにそれを渡された客のみである。
 強く扉を叩き、ダグヌを呼ぶ。
「ダグヌ、早く!!」

 靴音が漸く扉の前に立つ。
「殿下!? 如何なされました」
「開けて下さい、ダグヌ、早く!! お願い!!」
 ルシェラの切羽詰まった声音に、慌ただしく扉が開かれる。
 開いた瞬間、ルシェラはそこから飛び出し、目の前にいたものに縋り付いた。
「……殿下……?」
 足下に縋り顔を上げることも出来ず、ルシェラはただひどく震えた。
 呼吸が落ち着かず、肩で荒い息を継いでいる。
 軽く胸に痛みが走ったが、それどころではなかった。

「殿下、デュベール公使は如何致しましたか」
 答えられない。
 震えが過ぎて、これ以上言葉を紡げる状態ではなかった。
 ただ、震えながら寝台の方を指さす。顔は向けられない。
 縋り付いているのとは別の、もう一人が寝台に歩み寄っていくのが分かる。
 だが、ルシェラはそれでも顔を上げることすら出来なかった。

「……公使殿…………」
 背後で何かをしていることは感じるが、ルシェラに振り向くことは出来ない。
 縋り付いていた足の主が、そっとルシェラの腕を引き剥がす。
 自らの上着を脱いでルシェラにかけ、肩を抱いて抱き締める。
 慣れない香水の香りがした。
「…………あ…………」
 そこで初めて、自分が縋っていたものがダグヌではなかったことを知る。
 それはエイルだった。
 咄嗟に離れようとしたが、エイルの腕は力強かった。
 申し訳なく思いエイルを伺うと、思いの外真摯な顔で見詰め返される。
 常に飄々として不敬な態度を取る彼の、初めての優しく苦悩に満ちた表情に、ルシェラの瞳から涙が溢れる。

「……殿下…………」
 髪と背が撫で付けられる。
 ルシェラはそれに甘える様にエイルの首に両腕を回して強く抱き付き、ただ泣き続けた。
「ダグヌ。殿下は引き受けた。それの処理と、陛下にご報告だ」
「……分かっている」
 エイルに縋ってただ泣きじゃくるルシェラに苛立ちを感じながら、ダグヌは寝台の敷布で公使の遺体を包み、肩に担ぎ上げて部屋を出ていった。

 死人が出たばかりの寝台にルシェラを寝かせる気にもなれず、食卓側に置かれた椅子に腰を下ろし、膝にルシェラを抱え上げる。
 ルシェラは未だ涙に暮れながら、エイルの肩に頭を預けた。
「殿下……彼は、仕事が忙しく体調を崩していたのに、無理を押して体力を消耗し、亡くなったんです。いいですね」
「…………そんな…………」
「では何故、彼は死んだのです。貴方は理由をご存じですか?」
 頭を撫でてくれるエイルの手はとてつもなく優しい。
 ルシェラは漸く顔を上げ、泣き腫らした目でエイルを見詰めた。
 そして、考える。
 公使は、何故死んだのか。

 ルシェラには分からない。
 苦しく厭な思いを多くしたことだけは覚えているが、具体的なことまでは思い出せないし、意識が戻ったときには、既に公使に息はなかった。

「俺の言うことに間違いはありますかね?」
「…………分かりません…………」
 言うことはなかなかに強気だが、声がひどく優しい。
 ルシェラは甘えたまま首を横に振った。
「分からないなら、貴方に否定は出来ない。なら、納得してください」
「…………ですが…………」
「この度の責は、夜遊びに励んで命を擦り減らした公使と、それを雇い働かせていたデュベールにある」
 ルシェラをあやすように、ゆらゆらと身体を揺する。
 何処か、慣れた様子だった。

 揺られて、漸くルシェラも落ち着いてくる。
 そして、公使との事を一つ一つ反芻していく。
「っ……ぁ…………」
 思い出すに連れ、血の気が失せていく。
「どうしました」
 再び、身体が震え始める。
 エイルに答えることも出来ず、そっと手を尻に回した。
「くっ……ぅ…………」
「殿下!?」
 エイルは慌てたが、ルシェラは行為を止めない。
 唇を噛み、奥まで指を差し入れて中を掻き出した。

「は、っ……ぁ……っ……」
 生き物の感覚は完全に失せている。
 だが、何かがぼろぼろと零れ落ちる。
 直視したくはないが、確認を取らないわけにも行かず、ルシェラは震えたままゆっくりと床を見た。
 黒い小さな破片が幾つも落ちている。
 ルシェラの視力では詳しく見えなかったが、それでも、これが何であったのか想像に難くはない。

「…………っ………ぅ……」
「…………これは……」
 無遠慮な手が添えられ、膝に落ちた黒い破片を抓む。
 黒く炭化した何かに、細い節足が見えた。
「……虫、ですか。一体何を……」
「ぁ……い…………いや…………」
 おぞましさが思い出され、ルシェラは必死になって指を奥に差し入れる。
 けれど、小さな子供の手では思う様に用を足せない。
 ルシェラは押し開かれる痛みに顔を歪めながら、手を丸ごと押し込もうとした。
「っ……い……た…………」

「無理しないでくださいよ。……ダグヌが戻り次第、湯を用意させましょう。それまで、我慢できますね?」
 手を掴んで止めさせる。
 ルシェラは強く振り払った。
 もうあのおぞましさも痒みも熱感もないが、あれが体内に入っていると思うだけで気持ちが悪くて仕方がない。
「ゃ……エイル…………」
「ダグヌが戻れば、ちゃんと処理しますから」
「いや…………厭……です…………早く……」
 一刻も早く、全てを掻き出してしまいたい。

「すぐに陛下が来ます。お仕置きされますよ」
 その一言に、ぴたりとルシェラが固まる。
 しかし、すぐに震えは始まった。
 遣り場を失った手がだらりと下がる。
「うっ……ぅ…………」
 思い出してしまったおぞましさは並ではなく、吐き気が込み上げてえずく。
 迫り上がってきた胃液を吐き出すことも出来ず、ルシェラは口元を被って堪える。
 エイルの手が、優しく背を撫でた。
「っ…………く…………」
 苦しさに生理的な涙が滲む。

「そんなに辛いんですか?」
 ルシェラはただ頷く。
 ただひたすら、気持ち悪さから解放されたい。
 エイルは必死で頷くルシェラを眺め、小さく溜息を吐いた。

「……じっとしていて下さい」
「っ、ぁ!!」
 エイルの手が優しく尻の丸みを撫でたかと思うと、指が一本、襞を掻き分けて中に入り込んだ。
 客を取る時のルシェラが中の清潔感にどれ程苦心するかは知っている。
 不潔だという思いはない。
 驚いて逃げようとするルシェラを抱き込み、耳元で囁く。
「殿下の手では無理でしょう。何を期待されたって困りますが、俺にも手伝いくらいは出来る」
「……きた……い……?」
「ダグヌや陛下なら、この状況を楽しみもするんでしょうがね。生憎、俺にはそんな趣味はありませんから」

 窘めるようにルシェラの頬に軽く口付け、行為を続ける。
 確かに、事務的な手つきだった。
 しかし、中を……奥まで触られていることに代わりはない。
 ルシェラはエイルの服を掴み、感覚に耐える。
 握った手指が白くなっていた。
「ぅ……ふぅっ…………」
 感情は籠もっていないながら丁寧な手つきがルシェラを煽る。
「っ、つぅっ……」
 ふいに、苦痛を示す声が洩れた。
 エイルは手を止め、ルシェラの様子を窺う。

「失礼しました。やっぱり痛みますかね」
「い、いいえ…………あの……」
 ルシェラはもぞもぞと腰を動かし、僅かにエイルから離れた。
 そして、片手を自分の股間へ遣る。
 その様子に、エイルは悟った。
 昂ぶっているのだ。
 意図せずとも指を差し入れて動かしているのだ。仕方のないことだった。

「我慢せずにイって下さい。服なんて洗えば済む」
「いいえ……あの…………」
「何です?」
 苛々する。
 ルシェラは身を竦ませたものの、潤んだ瞳でエイルを見詰めた。
「鍵が…………」
「鍵?」
 二人の身体の間に出来た隙間から、ルシェラの股間を伺う。

 形ばかりは大人だが、まだ小振りで子供らしいそれは半ば立ち上がり、ふるふると震えている。
 その根元が、戒められていた。
 革の輪ががっちりと茎を噛んでいる。
 それには小さな鍵がかけられていた。
 エイルは不快感を隠そうともせず舌打ちした。

「すみません…………」
「殿下に対して怒ってなどいません。あの死体が持っていたら厄介だな……」
 怯えた様を見せるルシェラに微笑んでみせる。
 この不快感がルシェラの所為ではないことは、十分に分かっている。
 こんな幼気な子供に対しての公使の変態性に、つくづく嫌気が差したまでのことだ。
「寝台の側のおもちゃ箱に……あるかも、しれません……」
「おもちゃ箱?」
「公使殿は、そう…………」

 エイルは指を引き抜くと、ルシェラを椅子に座らせ、示された箱の側に寄ってそれを開いた。
「…………ちっ」
 目を覆いたくなる代物に舌打ちを繰り返す。
 ひっくり返して探したいものだが、これらがルシェラの視界に入るかと思うとそうも出来ない。
 使われてきた物々かも知れないが、ルシェラにとって望ましいものではないことは瞭然だ。
 一つ一つを取りだしては箱の陰や寝台の下に置き、鍵を探す。
 しかし、それは見付からなかった。

「……ありませんね」
「そんな…………」
 昂ぶって赤みが差していた頬から血の気が失せる。
「あと少しで大体掻き出せますから、我慢してください。それとも、もう止めますか?」
「厭!! …………お願い……します…………」
「分かりました。大人しくしていて下さいよ」
「は…………はい…………っん、ぁ……」

 もう一度膝に抱き上げられ、エイルの指が入り込む。
 奥の奥まで入り込み、ルシェラを弱くする場所をも十分に弄っていく。
「ぁ、あっ…………や……」
 堪えきれない声が洩れる。
 思えば、公使との行為の最中からずっと、達することを許されてはいない。
 燻るものののあった身体に再び火が点るのは、当然のことだった。

「あ、あは……ん…………っ」
 堪えきれず、自分自身を手で掴む。
 先端からは、透明な粘液が滲み始めていた。
 甲高い声はすっかり情事の時と同じ、十分に艶と媚びを含んだものになっている。
 この声で興奮する男も後を絶たない。
 しかし、エイルは苦々しい表情をするばかりで、息を荒くもしなければ、気を昂ぶらせることもなかった。

「や、っぁ……」
「……これ以上は無理ですね。後は排便を待つしかない」
「あ、ん、ぁ……や、やめ……ないで…………」
 引き抜かれようとした指を襞が窄んで引き止める。
「貴方が辛いだけでしょう?」
 エイルは眉を顰め、それに逆らって指を引き抜いた。
「あっ、あぁぁっ…………ん…………」
 敏感な襞を擦られ、ルシェラの背が仰け反る。
 頭の中が一瞬白く染まったが、それはイメージだけの話だった。

「はっ…………はぁっ…………」
 びくびくと腰が引き攣っている。
 達したい思いはあっても、それが許されない。
 拷問のような、快感と苦痛の狭間に放り出される。
 ルシェラは混濁する意識に抵抗しながら、エイルに強く縋り付いた。
「殿下が怖くないと仰せなら……短刀でこれを切ることも可能ですが」
「………………怖くなんて…………」
 腰の震えが止まらない。
 突き上げる奔流が出口を失って右往左往している。
「…………傷付いても…………わたくしは…………死なない…………」
「畏まりました」

 腰に下げていた短刀を鞘から引き抜く。
 片膝の上にルシェラを乗せ、片手で短刀を、もう片方でルシェラの小振りなものを抓む。
 しかし、折良く、呼び鈴が鳴った。


作 水鏡透瀏

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