『お迎えに上がりました』
 一階の扉の外側には呼び鈴と通信筒があり、塔の何階にいても呼びかけられれば聞こえる様になっている。
 ルシェラには聞き覚えのない声だったが、ダグヌの知るものであったらしく、僅かに表情が緩む。
「エイルか。暫し待て」
 筒の中に向けて一声を掛け、ルシェラに向き直る。
 ルシェラは不安そうにダグヌを見詰め返した。

「迎えが参りました。お支度を致しましょう」
「…………はい」
 声が震えている。
 気付かぬダグヌではなかったが、連れて行かないわけにもいかない。
「ご安心下さい。外に控えますのは、セファン陛下の腹心でエイルと申す間者にございます。私の友人でもございます」
「……本当に……その方だけでしょうか」
「……確認致します。……エイル、殿下がお尋ねだ。その場にはお前だけか?」
『俺一人……じゃあないな。馬が二頭いるぜ』
 少しふざけた言葉が返る。
「申し訳ありません。軽口を」
「いいえ。……貴方のご友人なれば……信じましょう」

 未だ声は震えていたが、駄々を捏ねられる質でもない。
 寝台に手を伸ばし、衣類の端を引っ張った。
 椅子の背に縋りながら立ち上がり、ダグヌの手を借りて着付ける。
 気付けが終わると崩れる様に椅子に座り込む。
 履き物を履かせて貰い、髪を梳く。
 長く美しい白金髪を結い上げ、髪飾りで纏められた。
「あぁ……」
 思わずダグヌの口から感嘆の吐息が洩れる。
「ダグヌ?」
「……! 直ぐにお湯をお持ち致します」
 慌ててルシェラから目を反らし、ぬるま湯を張った浅い桶を持ってくる。

 顔と口内を洗わせ、準備を整える。
「殿下、これを」
 差し出されたのは大きめの白紗だった。
 ルシェラが受け取る前に、ふわりと頭に掛けられる。
 顔を覆い視界もほぼ隠してしまうが、移動はダグヌの腕の中である為不安感はない。
「参りましょう」
「はい」

 階下まで降り、扉を開ける。
 明るい事を想像していたが拍子抜けに薄暗い。
 空気が重く湿っていた。
 直ぐにでも雨が降り出しそうな天候だった。
 強い日光はルシェラの身体にひどく触るが、こう曇天であるのも余り望ましくはない。
「…………エイル、ご苦労だったな」
 人好きのする笑みを浮かべた青年が歩み寄ってくる。
 ダグヌが指しだした手に軽く触れ、目を細めて笑う。
「仕方ねぇよ。……殿下、お目もじ適いましたこと、光栄に存じ申し上げます。エイルと申します。お見知り置き下さいますよう、お願い申し上げます」
 ダグヌに笑みを向けて直ぐ、地面に膝を付き額ずく。
「…………よしなに」
 軽く地面に降り立ち、エイルに手を差し出す。
 エイルはその手を取り、軽く甲に口付けた。

 迎えと言っても、小作りな二頭立ての馬車が一台あるきりで、御者もいない。
 エイルが兼ねているのだろう。
 辺りにも何の気配もなく、微かな安堵を覚える。

「今日は……正妃陛下はお越しではないのですね……」
 エイルは顔を上げ、微かに笑った。
 ダグヌが気付けば不敬極まりないと剣を抜きかねないが、ルシェラはそもそも常道を知らない。
 厭な気のする笑いではなかった。
「国王陛下より直々の密命でございますれば」
「……陛下は……どちらに?」
 来る筈がないと思ってはいても、心の何処かで期待していた。
 父の姿がないことに少し残念な思いがする。
「国建ちの社にて、殿下のご到着をお待ちでいらっしゃいます。どうぞ」
 口付けられ取られたままだった手を引いて、馬車に乗るよう促される。
 ルシェラは薄物を片手で上げ、エイルに微笑みかけた。
 頭や顔に薄物を纏うことに慣れていない。
 話す時には相手の顔を見なくては不安になる。

「殿下!……私ごときの卑しい者がご尊顔を拝し奉りますのは身に過ぎたる僥倖。神罰が下りましょう。どうぞ、お控え下さい」
 そっとエイルの手が直ぐさまルシェラの顔を覆わせる。
 口調はひどく軽々しかったが、僅かに眉を顰めてダグヌに視線を送っていた。
 一連を見て、ルシェラは深く頭を下げた。
「……申し訳ありません」
「殿下がお謝りになられることではありませんよ」
「ご不快でいらしたのでしょう?」
「まさか! いきなりで、驚きは致しましたが」
「何に?」
「殿下のお顔立ちに。心積もりはしてきたつもりでしたが、これ程にお美しい方だとは……」
 紗越しにルシェラの顔を見詰め、目を反らし深く傅く。
「皆が執心する理由が、よく分かります」

 軽口が過ぎた瞬間、ルシェラは反射的にエイルの手を振り解きダグヌの腕に飛び込んだ。
 肩で息を継ぐ。
 執心する人々……考えたくもない事だ。
「エイル! 貴様……!!」
「厭! ダグヌ!!」
 ダグヌに縋り付き、膨れる怒気を掻き消す。
「やめて……下さい……」
 人が持つ負の感情はルシェラの中に入り込み心も身体も踏み荒らす。
 感受性が強いの一言では済ませられない。
 感応力が高いのだろう。
 周囲の人々や環境の影響を直接に受けてしまう。

「申し訳ございません、殿下。ご加減は、」
「……早く……早く、参りましょう。陛下がお待ちです……」
 震えている。
 冷たい手に手を握られ、ダグヌは深呼吸をして心を落ち着かせると、馬車の扉を開けてルシェラを中に乗せた。
「暫くお待ちください」
「……貴方も」
「勿論、私も同伴致します。エイルと話がございますので」
「分かりました」

 静かに扉を閉め、エイルを引っ張って御者台の方へ寄る。
 こうすれば、ルシェラから姿は隠れる。
「エイル。お前はもう二度と、殿下の前で口を開くな」
 馬に押し付けるようにしながら、ダグヌはエイルを睨んだ。
 真っ直ぐ前しか見ることの出来ないダグヌとしては、エイルにとって珍しい行動ではない。
 それだけ必死なのだと思うと、少し息抜きに揶揄ってやりたくもなる。
「過保護すぎねぇか、お前」
「お前も殿下と接していれば分かる。お守りせねばならんのだ。殿下だけは……是が非でも」
「相変わらず生真面目だねぇ。でもよ、シルーナ様と重ね過ぎてないか?」
 垣間見た顔立ちはまさしく、記憶に残るシルヴィーナのものだった。
 色合いも風情もまるきり違うが、思い出を呼び覚ますには十分なものである。
「お顔立ちと気品を除き、さして似たところもなくていらっしゃる。そういった事ではない。殿下が……私に甘えることで精神の均衡を保てるならば、容易いことだ」
 最早ダグヌには、ルシェラとシルヴィーナが似ているとは欠片も思えない。

「大人しいけど、聞いていた程危なくも思えないんだが」
「今日はまだ、ご気分が良くてあらせられるのだ。これ以上殿下のお気持ちに差し障るような振る舞いをするなら、お前であろうと、斬る」
 帯びた剣の柄に手を掛け、浅く鯉口を切る。
「物騒だな」
「これくらいの覚悟でなくては、殿下のお側は務まらん」
「まぁ……そうだろうな。陛下があまりに後宮に行かないから、正妃陛下方も随分ご立腹だ。また一波乱あるだろうぜ。精々、守ってやれよ」
 肩を叩き、抱き寄せるようにしながらダグヌの手を剣から外す。
「さて、行くか。あんまり陛下を待たせられないしな」
「……ああ」

 それから、ダグヌはルシェラの隣に乗り込み、エイルは御者台に座って、漸く馬車は動き始めた。
 ルシェラは暫くの間物珍しそうに車窓を眺めていたが、そのうちに酔ったらしくダグヌの膝に上体を倒して目を閉じた。

 三十分ほど揺られていただろうか。
 王宮の裏に広がる森の奥、馬車が止まる。
 余程に遠回りをし、出来る限り王宮の建物に近付かない様な進路を取っていた。
 ダグヌは気付いたが何も言わなかった。
 ルシェラは無論、塔から離れたことすらない皆ので、距離を知らない。
 到着した時には、既にセファンは待ち疲れた様に側の樹に寄り掛かっていた。

 ルシェラは蹌踉めきながらも地面に降り立ち、緊張しながら父の前へ跪いた。
 慣れぬ衣装は落ち着かず、その上、豪奢なものは自分に似合わない様な気がして尻の据わりが悪い。

「陛下にお目通り叶いました事、まことに光栄に存じます」
 深く頭を下げ、口上を述べる。
 王は、複雑な表情でルシェラを見詰めていた。
「顔を上げよ」
「はい」
 身体を起こす。しかし、やはり父の顔は見られない。
「何故お前を召したか、分かるか?」
「いいえ、陛下」
「……ダグヌに教えられ、随分と立派に成長したものだな」
「……勿体なきお言葉に存じます」
 何が言いたいのか分からない。雑談はよいから、早くこの場から解放されたかった。
「参れ」
「……はい」

 連れられたのはそこに建っていた社だった。
 祠と呼ぶには大きく、神殿と呼ぶには小さい。
「扉の文字が読めるか?」
 指した扉には古代文字が細かく彫り込まれていた。
 歩み寄り、文字に指を這わせる。
 一文字一文字を確認しながらでなくては、さすがに読めない。

「……聖なる力の継承者に……この扉の内なる力を与えん……我は汝と共に在り……汝の行く手阻むもの全てに災いをなさん……我……汝が手を取りて……この世に秩序を齎さん」
 途切れ途切れに、言葉の意味を確かめながら読み上げる。
 意味は、よく分からない。

「この扉は、国守の継承者でなくては開ける事が出来ない。……国守については学んでいよう。…………まだ早かろうが、お前の身体は既に限界だろう。力を継げば……今暫くは生き長らえる」
「何を仰っておいでです……?」
 父王の言葉を聞くにつれ、次第にルシェラの表情が強張って行く。
 しかし、そんな様子を無視して話は進む。

「お前は名を継ぐ者だ。ルシェラの名は建国の聖者のもの。国守にはこの名を継ぐ者が就く。……お前の成長振りはダグヌより聞いた。今のお前ならば、国守として十分な力を振るう事が出来よう。国守の位はこの国を守護するもの。その力は神に次ぐとも言われる。お前は殊に強い力を潜在的に秘めているらしい。力を……受けてくれるな?」

「お断り……出来ないのでしょう?」
 声が固い。
 睨み付ける様に父王を見詰める。
 一瞬、妖気にも似たものがルシェラの身体から立ち上った様に感じられ、王は僅かにたじろいだ。
「……謹んでお受け致します」
 片膝を付き深々と頭を下げる。
 もとより、自分の意志など関係ないと言う事は分かっている。
 王の命は絶対だ。

「済まぬな……お前には、苦労ばかりをかける」
「仰らないで。そんな言葉、聞きたくない……」
「……そうか。…………では、頼む。扉を開け、中へ」
 立ち上がった途端、目眩を起こして王の腕へ倒れ込む。
 酷く顔色が悪かった。
「あまりに辛いならば、後日にしても良いのだぞ」
「いいえ……大丈夫です」
「中にはお前一人しか入れぬ。歩けるか?」
「ご心配なく……」

 突き放す様に支えてくれる腕から離れ、扉に縋る。
 両手を扉に当てた。軽く押すと簡単に開く。
 一歩踏み入れる。中は暗かった。
 窓も、人工的な光源もない。
 不安になり父王を振り返る。
「案ずるな。何もお前に危害を加えたりしない」
「……はい」
 蹌踉めきながら、中に進む。
 と、突然、扉が閉まる。更に進むしかなかった。

 遠くに明かりが生じる。
 光に向かい歩く足を速める。
「──汝が、継承者か──」
 何処からか声が響く。
 ルシェラは立ち止まり、周りを見回した。
 僅かな明かりはあるが、まだ目が慣れない。
 様子は窺えなかった。その上音源も掴めない。

「……ルシェラと申します。……貴方は…………」
「──我は汝が力の源。さあ、受け取るが良い。ルシェラの名を持つ者に、我は持てる力の全てと、ルシェラの軌跡を託そう。手を────」
 何かに吊り上げられる様に、すうっと左腕が上げられる。

 掌が上へ向く。
 遠くにあった光が突然近付き、その上へ乗った。
 鶏卵より少し大きいか。
 そう大きくもなく、強過ぎるという光でもない。
 光を間近にしても、周りが見えない。
 闇の中にただ浮いている様な印象だ。
 光は蠢き、ルシェラの左手首に纏わり付いた。
「我は汝と共にあり、汝に仇為すものを殲滅せん────」

 光が次第に強くなって行く。
 視界を奪われ目を閉じると、そのまま意識は足下へと吸い取られて行く。
 そうして、次第に気が遠くなって行った。


作 水鏡透瀏

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