それから、どれ程そうしていただろう。
 女中の一人が何事かリシャールに囁く。
 リシャールは軽く頷き、漸く目を開けた。
「寝台の用意が調ったようだ。今日は疲れているだろう? よく休むといい」
「はい……でも、もう少しだけ……」
 リシャールの腕に微かに擦り寄る。
「さっき休みたいと言ったのは君だが……よいのか?」
「まだ日も暮れていません。今眠ってしまうと、夜が長いですから……」
「夜には夜の楽しみがある」
「夜は眠る為の時間です」
 また、僅かだがアルヴィンの表情が翳る。
「夜が嫌いか?」
「…………必要な時間です」
「そうか……そうだな」
 非常に子供らしくない。
 しかし、おそらく当人に関することは、何を聞いてもはぐらかすのだろう。
 城に行ってから。
 全てはそれからだ。
 甘い拷問にかけて、じっくりと口を割らせるのも一興。
 この時代の寵児とも言うべきリシャールは、知識人だけに許される残酷で甘美な行為を非常に好んでいた。
 無論、アルヴィン相手に痛苦を中心とした行為を考えている筈はない。もっと……大人の手段で。

「一月ほどは滞在できるだろうね?」
「そんなに……。待っている子が心配しますから。三日程でお暇させて頂きます」
「城は広い。あの子の暮らしを知りたいとは思わないのかね?」
「……あの子を殺した人も、まだお城にいるのですか?」
「いる筈がないだろう。全て処刑した」
 アルヴィンはほんの僅か表情を緩める。
 頭の回転は早いし、学もある。しかし口数は少なく、話すことは不得手の様だ。
 どちらかというと、人付き合いも苦手なのだろう。未だ、さして緊張は解けていない。
 全てが好ましく思えて仕方がない。
 僅かながら寄りかかられているのをいいことに、完全に腕に抱き込んでしまう。
 アルヴィンは途端に振り払おうとしたが、すぐに思い直したかの様に大人しくなった。
「…………離して下さい」
「厭だ。君はとても温かい……」
 頭頂にリシャールの頬が触れる。アルヴィンは俯き、小さく逃れた。
「暫く一緒にいて欲しい。三日程では、君だって、私だって、お互いだけが知るノウラのことを、語り尽くせはしないだろう?」
 一途に引き止めようとするリシャールの言葉に心が揺らぐ。
 拒みながらアルヴィンも、何故だかリシャールから離れ難い様な気分になって来る。
「アルヴィン君……」
 切なげな声音が耳の奥に残る。
 アルヴィンは小さく溜息を吐いた。
「…………分かりました。主がこの世界をお作りになられたのと同じ時間だけ、貴方とご一緒致します」
「一週間か…………いいだろう」
 ある程度の譲歩は必要な事だ。
 肯定しながらも、リシャールの脳裏には既に様々な欲望が渦巻いていた。

 いい歳をして、我が儘なものだ。
 嬉しそうなリシャールを感じて、呆れながらもアルヴィンは苦笑する。
 リシャールの笑みは、アルヴィンに何処か安堵を齎す様だった。
 腕の中で藻掻く様にして振り返り目を細めて見詰めると、リシャールは不思議そうに首を傾げた。
「私の顔に何かついているかね?」
「……いいえ。…………僕が、滞在するって言うだけで嬉しそうにして下さるから」
「本当に嬉しく思っているからだよ。君は、私が知るどの人間より心地がいい。ノウラに再び出会った様な気がするのだ」
 綺麗な顔に笑みが滲み、輝く程に見える。
 眩しく思えて、アルヴィンは益々目を細める。
 表情がひどく大人びていた。大人が子供の瑞々しさを羨む様な目でリシャールを見詰める。
「君は面白い表情をするな」
 指先が柔らかな頬を辿る。アルヴィンははっとして俯いた。
「とても新鮮だ。年相応にも見えれば、私より遙かに年上の様にも思える」
 顎先を捕らえ、顔を上向かせる。
「……顔を上げてくれないか。君をもっと見ていたい」
 アルヴィンは困惑して眉を顰めた。
 その眉間へ口付けられ、仕方なく眉を解く。
「甘いな」
「…………恥ずかしくありませんか?」
「何がだね?」
 にっこりと返されると、何も言えない。
 相手にしても仕方がない。アルヴィンはまた小さな溜息を吐いた。

 それから暫く他愛もない言葉遊びを続けていた二人の間へ、割って入るものがあった。
「リシャール様、よろしいでしょうか」
 女の声だ。
 リシャールは二人の時間を邪魔された事に不快感を示し、秀麗な眉を顰めながら答える。
「入れ」
 扉が開く。
「仕立屋が参りましたが、如何致しましょう」
 先の女だ。女中長などなのだろう。
 アルヴィンをちらちらと横目で見ながらリシャールの指示を待つ。
 アルヴィンは何処か居たたまれない気分になったのか、小さな身体を益々竦ませた。
「直ぐに通せ」
「畏まりました」
 下がっていく女に睨まれた気がして、アルヴィンはリシャールの後ろに隠れる様に身体を寄せた。
「どうかしたのか?」
「……いいえ……。あの……仕立屋さんって……」
 上目遣いは癖なのだろう。
 仕草は媚びる様なのに、瞳に浮かぶ色はリシャールを信じもせず甘えようともしない。
「君には衣服も必要だろう。一週間、今の一着で過ごすつもりでもあるまい?」
「僕が着てきたものもありますけど」
「私の城や屋敷には相応しくないのでな。新しい服では不満かね?」
「……そういうわけでは……ありませんけど……そこまでして頂かなくても」
「私がしたい様にするだけだ。不満がないなら、私に従って貰いたいな」
 そうまでして貰う謂われはない。拒もうと思ったが、そう言ったところで引き下がらないであろう事は安易に想像がつく。
 アルヴィンは諦めて小さくこくりと頷いた。

 話す事も人付き合いも苦手……となれば、当然ながら身体を測られる事も苦手である。
 かちかちに固まりながらも仕立屋に詳細に身体中を測られる。
 見るに見かねたのか、最後の一カ所を測り終えるや否や、リシャールはアルヴィンを腕の中に抱き込んだ。
「もういいだろう」
「では、明後日には一着お持ち致します」
「幾らかかっても構わん。一着は明日中に、城まで持って来て欲しい。人を多く使えば、上がらないわけでもあるまい。他は数日待ってもいい。その分の手当は十分に出す」
「……畏まりました」
 我が儘には慣れているのだろう。仕立屋は何一つ口答えをすることなく、次は持って来た布を幾つも広げてみせる。
「こちらなど、東から運ばれました上物でございまして」
 東洋風の刺繍が施された明るい色合いの布をアルヴィンへと当ててみせる。
 リシャールは暫く眺めていたが、積み上げられた布の下から思うものを見つけて引っ張り出した。
「これがいい。出会った時から、君には白い色がよく似合うと思っていたのだよ」
 光沢のある美しい布だ。純白で、光の加減で模様が浮き出る様になっている。
「……こちらは、遙か遠い国より参りました絹織物でして、ご覧の通り、少し風合いの違う同色の糸で刺繍が細かく入っております。大変に高価なものですので……皇帝陛下のご息女がご結婚の際にでもと思って手元へ置いておりますもので……」
「出した、と言う事は売るつもりがないとは言わせん。これがいい。アルヴィンによく似合う事だろう」
 その他にも、仕立屋が驚く程の鑑識眼で、幾つかの布を選んでいく。
 大変高価な布ばかりなもので、仕立屋は支払いについて大変な不安を覚えていた。
「ふむ……青もよいな。よく似合っている。君は何を着ても愛らしいが……白と青がいい」
「…………はぁ…………」
 一人悦に入った様子のリシャールに対し、アルヴィンの様子はかなり投げやりである。
 着るものになど、何の興味もない。身体の表面が覆われていれば、そのまま布を身体に巻き付けただけでも別に構いはしない質だ。
 リシャールが何に対してここまで気合いを入れているのかが全く理解できない。
「あ……あの、僕は何でも……」
「私に任せたまえ。君を一流の貴族の子息に仕立てて見せよう」
「……そんなの、頼んでませんけど」
「折角私の手にあるのだぞ」
「一週間で、何が出来るのです」
「一週間あれば十分だ」
 リシャールは含み笑いを見せる。
 厭な気がして、アルヴィンはさり気なくリシャールから逃れようとした。
 しかし簡単に腕を掴まれ、抱き寄せられてしまう。アルヴィンの細い腕では、リシャールから逃れ切る事は出来なかった。
「では、頼んだぞ。下がっていい。金はマリーエから受け取れ」
「はい。ではまた、明日」
 公然とアルヴィンに触れるリシャールに辟易したのだろう。仕立屋は逃げる様に出て行った。

「あ、あの……」
 余程抱き心地がよいのだろう。リシャールは全くアルヴィンを手放そうとしない。
 辟易して声をかけても、擦り寄られるばかりだ。
「暑いんですけど……」
「私は心地よいよ」
「貴方じゃなくて……」

 何処まで自己中心的なのだろう。
 だが、嬉しそうなリシャールを見ているとそれ以上何も言えなくなる。
 この顔を望んでいた。
 嬉しそうな顔。
 笑った顔。
 望んでいた………………。
 何を?

 アルヴィンは首を振り、顔を覆った。
 気分が悪い。頭の中が揺さぶられる様だった。
 力なく膝を折るとリシャールが支えてくれる。
「どうした?」
「い、いいえ……」
「顔色が悪いな。疲れたか。身体が弱い様だな。申し訳ない。もう休むといい」
 何も言わなくても早合点をして一人で話を進めてくれる。
 付き合いは、楽と言えば楽なのかもしれない。殊に、アルヴィンの様に口が立たず流されやすい人間には。
「夜食には呼ぶ」
「はい。……じゃあ、失礼します」
 やっとの事で腕の力が緩む。アルヴィンは直ぐさま逃れ、そそくさと部屋を出て行った。

「…………ふぅ」
 我ながら若々しい事だと思う。
 アルヴィンに引き摺られる様に、気分が若返り華やいでいる気がする。
 求めていたものに巡り会った、そんな気がしていた。
 今宵早速寝床へ忍び入ってみよう。
 最近は女にも飽きた。あれ程愛らしいなら、少年も悪くはないだろう。男を抱いた事がないわけでもない。快楽という快楽は味わい尽くした気でいる。
 あの程の年ならばまだ、性別も浅い。少なくとも、リシャールの目にはそう見える。
 もう十分な大人として扱われる年齢である筈だが、男としての匂いがあまりに希薄だった。
 希薄なのはそればかりではない。
 触れる身体はリシャールを落ち着かせるだけの温もりを持っていたが何処かひやりとした感覚がし、生気というものにも乏しい。
 表情も乏しい。
 人形の様だ。
 微笑めば本当に愛らしいというのに、この一日では殆ど見せてくれない。
 一週間で手放したくない。
 リシャールは自分の城の地下に設えた一室を思い出し、昏い微笑を浮かべた。


作 水鏡透瀏

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