「あのね、アルヴィン。あたし、思うのよ」
「あたしは、貴方と誰かを繋ぐ為にいるの」
「だからあたし、外に出るの」
「貴方から離れるんじゃないわ。ただ、貴方を心から求めている人がいるの。その人を、あたしが捜して上げる」
「貴方にも、その人がきっと必要だから。そして、きっと……あたしにも」

 褐色に近い肌の色に緑玉の瞳が映える。
 それをきらきらと輝かせて見詰められると、アルヴィンには何も言えなかった。
 ただ二人で黙って寄り添っているだけで心地よかった。
 言葉など殆どいらなかった。
 賢い少女だった。
 この地上とは違う、もっと美しい世界と繋がっている少女だった。
 拾った時には、親を失い寄る辺ない姿を放っておけなかっただけだったが、その内にノウラはアルヴィンの全てになっていた。
 何年を共にしたのだろう。
 出会った時には、まだ手を引かなければならない程の幼子だった。
 壊れた馬車の瓦礫の下で泣いていたのを拾ったのだ。

 ノウラは、遙か東から商人に連れられてきた子供だった。
 実の親の顔も知らない。ただ、商品として商人が手に入れ、売られる為に西へ運ばれてきた。
 それが街へ向かう途中に野盗に襲われ、奪い去られて残骸となっているところへ、アルヴィンが通りかかったのだった。
 馬車の瓦礫の下、暫くは意識でも失っていたのだろう。怪我はあっても重傷ではなく、何より生きていた。
 アルヴィンはどんな生き物だろうが捨て置かれたもの放っておける質でもなく、泣き叫ぶノウラを数多く囲った小動物達などと同じようにして連れ帰った。
 戸惑いながらも、決して拾ってきただけの責任を放棄することなくノウラが十四歳になるまで共に過ごし……そして、ノウラはアルヴィンを残して旅立った。

「心配しなくて良いのよ。あたしは、ただ、貴方とその人の間にいたいの。貴方が欲する人、貴方を欲する人の間に」
「……それが誰だか分かっているの?」
「いいえ。分からないわ。でも、カードが教えてくれる」
 ノウラは悪戯っぽく笑っていた。
「きっと、貴方に会えて良かったのね、あたし」
「僕だって……君に会えて良かったと思ってるよ」
「ええ。これは、きっと運命だから」
「カードに出た?」
「そうね。凄く遠い昔から決められた、運命。そう思うの」
 寝台の上で戯れながらの、言葉遊びの様だった。
 彼女が何を見ていたのか……アルヴィンは、知りたいと思わなかった。
 ノウラが見ている世界はアルヴィンにも見えたが、その先を知るのが怖かった。
「……探すって、何処へ行くんだい?」
「もっと西よ。ここより、もっとずっと」
「危ないよ。戦が酷い」
「大丈夫よ。自分の運命は見えないけれど、貴方があたしを迎えに来てくれるのは分かるもの」
「それでも……」
「あたしだって戦えるわ、いざとなったら。それに……今あたしの心に触ってる人が、きっと守ってくれるから」
「本当に?」
「本当よ。あたしには、分かるの」
 くすくす笑いながらアルヴィンの額に軽く口付けて、ノウラは寝台から飛び降りた。
「行くわ」
「…………迎えに行くよ。何時だって。手紙を送るんだよ」
「ええ。そうするわ」
「…………また、ちゃんと会えるよね」
「貴方が迎えに来てくれるのなら、会えるわ」

 優しい。
 とても優しい息遣いがすぐ近くにある。
 つい昨日も同じように、優しく温かく抱き締められていた。
 目を覚ましたくない。
 リシャールを心地いい人だと認識していた。

 意識が覚め始めてすぐに、自分が泣いていたことに気付いた。
 懐かしい夢を見ていた。
 こんな所まで来てしまったからだ。
 ノウラが言っていたのは、半分本当で、半分は嘘だった。
 彼女がリシャールと自分を繋いだのだろう。リシャールが本当に、ノウラの言う自分が欲し、自分を欲する人かは分からないが、そう思う。
 しかし、リシャールはノウラを守れなかったし、自分もノウラにはそれきり二度と会えなかった。
 カードはやはり、彼女自身の運命を示してはくれなかったのだ。

 後ろから抱かれている為に、リシャールの顔が見えないのが残念で、ごそごそと向きを変える。
 と、足が引っ張られる様な感覚がして、うまく動けなかった。
 目を僅かに開けて、掛布から出した自分の足を見る。
 ……よく分からなかった。
 何処か重い。
「…………何…………」

 もう少し目を開けて、重い方の足を軽く上げてみる。
 じゃらり、と重い金属の擦れ合う音がする。
 足首に何かが巻かれ、そこから鎖が下がっているのが分かった。
 一気に目が覚める。
 リシャールの腕から抜け出し、寝台の足下に近寄る。
 手繰ろうにも、少し短く作られていて近寄るしかない。
 鎖を辿ると、寝台の足に繋がれているのが分かる。錠前が付けられていて外す事は出来そうにない。
「い、っ……」
 細かい細工を施された銀の足枷を外そうとするが、途端にアルヴィンは痛みに顔を歪めた。
 こちらにも鍵が掛かっており外れない。

「リシャール様っ!」
 怒鳴るが、起きない。
 思わず、馬乗りに近い形にリシャールの上へ乗り上がって思い切り平手で頬を打つ。
「っ…………ん…………」
 今ひとつ寝起きが良くない。
 まだリシャールには少々早い時間だった。
 裸の為に胸倉を掴む事も出来ず、アルヴィンは続けて頬を、殴った。
「……くっ…………ぅ…………」
 さすがの衝撃にリシャールの目が薄く開いた。
 夜遅くに重労働をした為に、疲れているのだ。嵌め込んだ鉄の棒は決して軽くはなかった。
「…………頬が……痛いな…………」
 声がぼんやりとしている。
「外して下さい、これっ」
「ん…………ああ、よく似合っているよ」
 寝惚けている。
「巫山戯るな!!」
「くっ!」
 もう一発、アルヴィンの右の拳が綺麗に頬へ埋まる。
 目に星が散った気がして、リシャールは呆気なく枕に沈む。
「起きろ!」
 髪を掴んで引き起こす。
 アルヴィンを認め、冷たい色の瞳が楽しげに笑った。
「…………怒った顔がいいな……目が美しい……」
「……鍵は!?」
「うん……後でな」
 ごそごそと身を屈めて掛布に包まる。
 アルヴィンは問答無用でそれを剥ぎ取った。

「………………起きろ」
 何処から出したものか、低い声にはかなりの凄味が効いている。
 掛布を探り、手繰り寄せようとするリシャールの手に躙り寄って膝で踏みつけ、全体重を乗せる。
「………………う………………痛いな…………」
「なんて事をしてくれるんだ!」
「君を帰したくないと……何度も言っただろう?」
 漸くはっきりと目を開けてアルヴィンを見、嬉しげに微笑む。
「だからって、こんな足枷なんて……!」
「檻だけでは不安でね」
 言われて周りを見回す。
 怒りが過ぎて、目眩がした。
 四方が金属の柵に囲われている。
「閉じこめて、どうしようって」
「君を帰したくないんだ」
「約束したじゃないか」
「したけれどね……やはり、初めの約束を守って貰いたくなったのだよ」
「一週間したら、また約束を反故にするんだろう!?」
「そうだな……きっとね」
 自分の勝利を疑ってもいない様子でにっこりと笑う。
「…………あんた、頭悪いだろ」
「珍しいことを言うものだな。私にそんなことを言ったのは君が初めてだよ。……まあ、否定はしないけれどね」
 踏まれていない方の手がアルヴィンの腰へ伸ばされてゆっくりと撫でる。
 より強く踏みつけられて痛みに顔を顰めながら、それでもリシャールは引き攣った笑みを崩さない。
「顔に似合わず乱暴なことだ」
「あんたが下らないことばかりするからだ!」
「下らない、とは、こういう事かい?」
 寝台を押す様にして空間を作り、アルヴィンの膝の下から手を抜くと、起き上がってアルヴィンを勢いよく寝台へ引き倒した。

「く、っぅ……」
「昨夜は我慢したからね」
 身体を密接させ、細い首筋に顔を埋める。
「ふぁ……あ…………」
「君も満更ではなさそうだ」
 ふるりと頼りなく身体が震える。
 アルヴィンの両足の間に自分の身を置き、それとなく股間を合わせる。
「や、っあ……」
「愛らしい声だ」
「いや、だっ……ぁ……っ」
 細い腰を抱き寄せる。より互いの逸物が擦れ合い、アルヴィンはびくりと強く身体を震わせる。
 その反応を楽しみながら、リシャールは一定の拍子を付けてアルヴィンに腰を擦り当てた。
「んっ……ぅ……ぁは……ふ……」
 直接的な刺激にアルヴィンは抗いきれない。
 形だけはリシャールを突き跳ねる様に腕を使うが、その力は弱い。
「なん……っで……また…………」
「また?」
「朝から……ん……っ……」
「夜は私も眠いし、君も気分が今ひとつ乗らない様だし、更には君の顔がよく見えないからな。……全く、蝋燭の炎というものはもう少し明るくならないものか」
「くらい……暗い、方が……まだ…………」

 反則だ。
 こんなに綺麗な顔が間近では拒みきれない。
 アルヴィンは強く目を瞑る。
 朝の光の中で、リシャールの髪も瞳も、それは透き通る様に美しかった。閉ざした瞼裏に焼き付いて離れない。
 遠い遠い記憶に、これ程美しい顔があった。
 何の記憶か分からない。それ程に遠いが……リシャールを見ていると、拒みきれなかった。
 自制の効かない自分が恐ろしく、また腹立たしい。
 口をきゅっと引き結び、不機嫌な顔を作る。

「眉間に皺は似合わないな。微笑んでおくれ」
「…………この状況で……どうやって笑えって……!」
「君が私を受け入れてくれればいい。それだけのことだ」
 次第に感情が怒りを通り越してくる。
 この物言いが常態だというなら、どれ程傲慢だというのだろう。
 呆れるしかない。
 それを隙だと見たリシャールは、腰に触れていた手を僅かにずらし、アルヴィンの円やかな尻を撫でる。
「っ……だ、だから……これっ……」
 膝頭でリシャールを蹴るが、届きが悪く軽く触れるに止まる。
 擽る様に窄まった蕾の辺りへ触れたり離れたりを繰り返す。
 希に指を引っかけ、僅かに反応を返すとまた離れる。
「ぃや……っ……ぁ……」
「可愛いよ、アルヴィン君」
「っ……ぅ……う…………」
 涙が浮かぶのは、決して快楽の為でも、恐怖からでもない。
 こんな愚かな男に屈せざるを得ない自分自身が情けなくて仕方がなかった。
「ああ、泣かないでくれたまえ。君に泣かれるのは辛い。朝露の様なその雫が、私の愛の炎に注がれる香油となるのだよ」
 最早反応する気にもなれず、アルヴィンは吐きそうになる溜息さえも飲み込んだ。
「雫と……言う、なら…………そんな火……消してやる……」
「薔薇油の様だよ、君の涙は。薫り高く、情炎を盛んにする」
「…………馬鹿げてる……いつ……まで……付き合えっ……て…………」
「何時までなんて、期限は設けたくないな」
「くっぅ……」
 二本の指が潤いもない蕾を割り開く。
「帰して…………」
「そればかりだな。もう少し可愛いことは言えないのかい? せっかくの可憐な唇が台無しだ」
「……居られないって……何度言えば……っ……」
「君がちゃんとした理由を言わないからだ」
「理由なら……もう……」
「待っている子も呼べばいいと言っている。どれ程遠くとも呼びにやればいい。馬なら幾ら乗り継いでも構わんぞ。その他にだ。世界が違うと言ったが、何がどう違う。君には何が見えている。昨夜は深く聞かなかったが、答えて欲しいな」
「んっ……くっ、ぁ……」
 少し深く指が入り込んだ。弾みで腰がリシャールへ押しつけられ、リシャールの熱を感じてしまう。
「は……離して……っ……」
「気持ちが良いなら良いと言って欲しいな。私しか聞いていないよ」
「やっ……っあ……ぁ、あぁ……い……ゃだ……っ」
「いや、ではなくて、いい、だ。その方が簡単だろう?」
 ぴちゃり、と耳元で生々しい音が立つ。
 耳穴へ舌を捩り込まれると、脳髄まで痺れ震える様だった。
 リシャールと触れ合う部分が熱を持ち、しとどに濡れてきているのが分かる。
 答えを聞く気などないのだ。
 アルヴィンをここで飼い殺しにする気でいる。
 気付いても、最早アルヴィンに出来ることは少なかった。
 僅かに恭順する様に見せて、リシャールの身体へ手を回す。
 ぎりぎりに届くリシャールの身体の比較的柔らかい部分……脇腹へ爪を立てて、容赦なく引っ掻いた。
「くっ………………だが、可愛い抵抗だな」
 リシャールは微かに怯んだがそれだけで、すぐに蕾から指を引き抜き、アルヴィンを腕ごと抱き込んでしまう。
「っあ、ぁ……」
 伸ばされ手入れされていればもう少し与えた衝撃は大きかっただろうが、そう至るには少々爪が短かったしリシャールの身体も頑強だった。僅かに血が滲んだ程度である。
 アルヴィンは舌打ちをする。
 だが、そこで折れる程の精神力ではなかった。流され続けるには、リシャールの言動は余りに不愉快だ。
 腕を抱かれてしまうと身動きの出来る範囲は限られる。
 目が、すっと細められた。

「ぅ、くっ……あ、アルヴィン……君っ……」
 不意にリシャールの声が上擦った。
「いい加減に……して下さい……」
 腕が緩む。難しい体勢ながら、何とか蹴り付けてリシャールの腕から逃れる。
 逃げられる範囲には限りがあったが、リシャールは追わなかった。
 ……否。追えなかった。
「…………考えたな……」
 リシャールは股間を押さえて蹲っている。
「手が穢れた」
 アルヴィンはこれ見よがしに掛布で手を拭う。
「使い物にならなくなったらどうしてくれる!」
「その方が万人の為だ!」
「こうまで触れたくなるのは君だけだ!」
 リシャールの強い語気に、アルヴィンは檻にぶつかる様にぎりぎり端まで逃れる。
「無駄だよ、アルヴィン君」
「くっ…………」
 追い詰められる。
 銀の枷の触れる足首が酷く痛んでいた。苦痛に顔を歪めながらも、リシャールを睨む瞳は凍てつく様に冷たい。
「僕を飼い殺しにして、どうする気なんです」
「どうするも何も……君と共にいたい。それだけだ」
「僕は貴方の邪魔にしかなれない。ノウラと一緒です。貴方は大貴族で、僕はただの…………」
「君が養子に来てくれればいい」
「僕と貴方では家は続かない」
「また他に養子を取ればいい。良い子が何処かにいるだろう。私だって……今はこうして侯爵なんて地位にいるが、元は名もない戦災孤児だ」

「嘘だ!」
「何故そう言える」
 睨み合う。
 リシャールの目は猛々しく剣呑に、アルヴィンは、それを長受け流すかの様に静かな瞳で見返す。
「…………貴方の何処をどう見れば戦災孤児に見えるというのです」
「早くに親を亡くしたことは言っただろう」
「ご両親は、どの様なお立場の方でしたか?」
「……しがない身だよ。だから、私は自分の手でのし上がった」
「まだ足りていない」
 リシャールは思わずアルヴィンの肩を掴んだ。
 そのあまりの頼りなさにはっとしながらも、強く揺さぶる。
「……君は、何を何処まで知っていると言うのだね? ノウラは何処までを君に話した」
「貴方が寂しい人だと言うこと、優しい人だと言うこと、純粋だと言うこと…………それだけです。見たければ、どうぞ。僕の外套のポケットに入っていますから」
「後で検めるとしよう」
「本当にそれだけです。信じませんか?」
「信じられる訳がないだろう。君の言動は余りに不審だ」
「言葉が過ぎているのは申し訳ないです。でも、本当に僕は何にも知らない。別に知りたくもないし。……僕の言動を不審に思うのは、貴方に思い当たる様な隠し事があるからでしょう?」
 肩を強く掴む指を一つ一つ解かせ、アルヴィンはじっとリシャールを見た。
 いい年をしたリシャールにも、その瞳の奥を読ませない。
 表情のない顔は人形の様だ。
 あまりに冷たく硬質な様に、リシャールの背に冷たいものが落ちる。
「君は……何者なのだ」
 昨日の問いを繰り返す。
 アルヴィンの表情は変わらない。
「ノウラのことも分からない貴方に、僕のことなんて分かるわけがない。…………貴方が身を滅ぼすだけです。帰らせて下さい。貴方の為にも」
「ノウラが、何だと? 私はあの子を理解していなかったというのか?」
「…………分からないんでしょう? ノウラは、それで良いって言ってるけど……僕には許せない…………」
 アルヴィンは一度部屋の扉を振り返り、暫くじっと見詰めてからもう一度リシャールを見遣った。
「外の人を何処かにやって下さい」
「……よく分かったな」
「気配がします。見張られるのは好きじゃない」
「良かろう」
 全裸のまま檻から出て扉を透かせ、外へ一言二言かける。

 朝の光の中、見事に引き締まった筋肉質の体型が露わになっていた。
 アルヴィンは暫し見惚れ、リシャールが向き直ったのを見て慌てて目を反らせた。
 胸が痛い。
 中年のたるみなど何処にもない、けれど歴戦の戦士の様な無粋な筋肉に埋もれているのでもない、見事としか言いようのない身体。
 長い手足を無駄のない撓やかな筋肉が包み、その美しさは古代ギリシャの彫刻の様だった。
 見惚れてしまったのが悔しい。けれど、もう一度振り返ってしまう。
 リシャールは既に檻の中に戻りつつあった。

「君の望む様にしたぞ」
「…………ありがとうございます…………」
「人を遠ざけたのだから、もう少し話をしてくれるだろうね」
 寝台に上がり鍵を掛けて膝を詰める。
 アルヴィンは顔を上げられなかった。今見たリシャールの身体がまざまざとして目から離れてくれない。
 朝の一番で見てしまった美しい顔と、今見た美しい身体と。
 この男は、何から何まで何故こんなにも美しい外見をしているのかと思う。それも、一般に美しいと言えば女性的な柔和さを思う場合が多いが、ちらりと見た時の顔立ち以外はそういうわけでもない。
 アルヴィンがどれ程切望しようと持ち得ない、男性美の極致とでも言えばよいのだろう。
「大切な話なのだから、顔を上げたまえよ」
 促されて顔を上げるが、リシャールを見ることは出来ない。
「全く…………それで、人を払って何を話してくれるのだね?」
「…………貴方が、ノウラを分からないから……」
「私が、ノウラの何を分かっていないと言うのだ」
「ノウラは、僕と帰るのは厭みたいで…………違う? 違わないだろう? ノウラは、貴方に惹かれ過ぎた」
 リシャールの肩の向こうを茫洋とした目で見詰める。話が何処か噛み合っていない。

「……アルヴィン君?」
「貴方にも、素養はあると思うのに…………どうしてノウラを分かってあげられないんです。ノウラはそれで良いって言うけど、僕は……厭だ」
「君は…………霊媒師か?」
 アルヴィンはひどく困った顔でリシャールの後ろを見詰める。
 そこには、何もない。
「ノウラがここにいるというのか」
「……この部屋にはいません。あの子はそんなに無粋じゃない」
「この城には、居るというのか」
 肩を掴む。
 アルヴィンはまだリシャールを見ない。
「……何故分かってあげられないんです」
「私は霊媒師ではないからな。言われても困る」
「感じないんですか?」
「…………君は、そう感じるのかね?」
「貴方だって分かる筈なのに」
「何故そう思う」
「何故……何故でしょう…………」
 眉を寄せ、漸くリシャールに視線を向ける。
 やはり、表情は乏しかった。
「分からない……でも貴方なら分かる筈です。貴方だから……」
「根拠のない話を信じるわけにはいかないな」
「根拠はあります。だけど、貴方に説明できない」
「説明できないものは、根拠とは言わない」
「貴方が分からないからです。…………貴方が分かる人だと思うから、ノウラだって僕の所に帰りたがらないのに」
「分からない理屈で責められても困る。…………ノウラが居るのなら、それを証明して見せたまえよ」
「大聖堂と僕がお借りした部屋。後は中庭の祠。それから沼。全部回らないと、欠片を集められない」
「欠片とは何だ」
「ノウラの引き裂かれた魂…………貴方に引き裂かれた、魂です。彼女が完全なら、貴方の前に姿を現すこともあるでしょう」
「私があの子に何をした」
「貴方の心が残りすぎているから、あの子は自らを引き裂いて貴方の行くところ何処へでも行こうとした。だけど……拠り所となるものがなければ、行くことも留まることも出来ないから……」
「馬鹿な話をする……。生憎私はそんな不確かなものは好まない質でね。……昨日の約束だ。五万エキュはあげるよ。まだ他に何か欲しいものはあるか?」
「…………お金なんていりません。好まないなら、帰らせて下さい。ノウラが帰りたくないって言うなら、僕も、もうここにいたって仕方ないんです。……飾り紐だけ下さい」

 アルヴィンの言い分が、リシャールには全く理解できない。
 分かる筈もなかった。
 ノウラが亡くなったのは五年も前の話だ。居る居ないという話ですらない。
 霊媒師やら魔女やら、貴族や富豪の間で妖しげなものが流行っているのは知っているが、こんな回りくどいやり方をするとは思っていなかった。
 なるほど、ノウラを溺愛していた事や、彼女が亡くなった事は少し調べればすぐに分かることだ。たった五年の話である。
 こんな幼気で純朴そうに見える少年までが、そんな妖しげな事に手を染めていたという事が、余計に不愉快だった。
 見た目も感じた性格も、リシャールの好みに完全一致していたものだからか、より失望が並ではないものになる。
「…………あとは……沼にだけ……案内して貰えませんか」
「……まあ、良かろう」
 リシャールの態度があからさまに変わったのが分かる。
 興味と執着が失せている。
 アルヴィンは何処か胸に痛みを感じながらも安堵を隠せなかった。

「これ、外してくれますよね」
「ああ……」
 寝台の下に置いていた鍵を取り、銀の枷の鍵を外す。
 鍵が外されても、アルヴィンは自分からそれを外そうとはしなかった。
「私に外せと言うのか」
「……痛くて触れません。少しだけ、このままに……」
「そんなに擦り切れたか」
 まだ子供だ。その点は可哀想にも思う。
 手を伸ばして外してやると、銀の枷が触れていたところが真っ赤に爛れた様になっていた。
「角が立たない様に気は使ったつもりだったが」
「ぃ……っ……」
 そっと触れると痛むのだろう、アルヴィンはひくりと身体を震わせた。
「手当を用意させよう」
「……いいえ。すぐに治りますから……」
「その足で歩けるのか」
「歩きます」
「歩けるのかを聞いている」
「這ってでも、自力で参ります」
「これでも、気を使っているのだが」
「無用なことです」
「本当に君は可愛げがない」
 眉を顰め、リシャールは寝台に取り付けていた扉を開けた。
「君の服は外套を除いて昨日捨ててしまった。君の為に仕立てさせた服は君しか着られぬものだから、それが来るまで待つしかないだろうな。……君は部屋に。ノウラが居るのだろう? 昨日脱がせた寝間着を纏って部屋へ下がるがいい」
 あっちへ行けと言わんばかりに軽く手を振ってみせる。
 アルヴィンは顔を強張らせた。
「……どうした。君がノウラを知っているなら、彼女が君を待っているのだろう?」
「…………っは…………は……はい…………」
 目を見開き、呆然としている。震え始めた唇から何とかそれだけを応え、アルヴィンは這う様にして檻から出た。
 片足を引き摺りながら、側の床に散らかっていた寝間着を纏う。
 紐が上手く結べない様で暫く戸惑っていたが、そのうちに諦めて、肩に引っかけただけで部屋を出ようとする。
 つい先程までのリシャールなら、その姿を見咎めて引き留めただろう。
 だが、リシャールはアルヴィンを振り向かなかった。


作 水鏡透瀏

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