「やあ、リシャール。久しぶりだな。予定より来るのが遅いようで案じていた」
「これは、殿下。なかなかご挨拶にも伺えず申し訳ございません。この度はおめでとうございます。益々ご健勝のこと、」
「他人行儀はよせ。君とは友人なのだと、常日頃言っているのに君と来たら毎度そんな物言いをして私を揶揄う」
 溜息とも嘲りとも付かない息がリシャールの鼻から洩れ出る。
 第四皇子ジェラールはその様子も気に掛けない様子でリシャールの肩に触れる。そして、その後ろに控える三人の従士に目を移した。
「新しい子がいるな。君の趣味は分かり易い」
「アルヴィン、シリル、ご挨拶を。彼が、この宴の主賓だ」
 従士達を振り返ったリシャールの瞳は、何処までも冷たく透き通っていた。

 祝祭の華やかな空気が宮廷を包んでいる。その中にあって、リシャールの周りだけが冷たい空気を孕んでいる。それに気がつくのは、従士三人だけといっても過言ではなかった。
 着飾った貴婦人達の誰よりも華やかで美しい微笑を浮かべ、挨拶に来る人々をにこやかにあしらっているが、リシャールがこの場を好んでいないことは肌で感じる。
 親しげな様子で近寄ってきた身なりのいい男にリシャールが凍てつく様な視線を一瞬向けたことも、感じざるを得なかった。

「何処の子息かな。綺麗で可愛い子達だ。相変わらず君はいい趣味をしている」
「私と同じだ。だが、十分に役割を果たしてくれる。後ほどお目にも掛けよう」
「トーナメントに参加してくれるのか? 久々に君の勇姿を見たいものだが」
「この三人が出る。楽しみにしていてくれ」
「へぇ」
 ジェラールは楽しげに、三人の少年を眺めた。
 気品のある顔立ちや立ち居振る舞いは、確かな身分を感じさせる。穏やかで人品の良い男だった。リシャールと同い年程なのは分かるが、世慣れたリシャールに対してあまり世間擦れしていない様子がよく分かる。
 宮廷の中で純粋培養され、そのまま大人になったのだろう。貴族とはそんなもの。リシャールが特別なのだ。
「楽しませてくれよ。武に優れているのはめでたいことだ。これからは、力が必要になる」
 手を差し出す。その身分を構わぬ様に、アルヴィン達は戸惑った。
 苦笑しながらリシャールはその間に割って入る。
「慣れていないのだ、勘弁してやってくれ」
「君の躾なら行き届いているだろうに」
「何分、手に入れて未だひと月にもならない。次の宴の頃には十分になっていることだろう」
「そうか。……済まないな。今日は堅苦しい席ではないから、楽しんでくれ。……では、リシャール、また後ほど」
「ああ。君も挨拶回りが大変だな」
「私の為に開いてくれた宴だからね。仕方がない。ああ……アナトールも新しい従士を連れてきていたよ。彼も可愛らしかったな。あちらも未だ躾ができていないと言っていたから、その子達と気が合うかも知れない。後で会わせてあげるといい」
 肩を竦め、立ち去っていく。
 リシャールは唇に微笑みを貼り付けてはいたが、感受性の強い従士三人は背中に冷たいものが落ちるのを感じた。

「いい方、ですね」
「……そう、だな」
「ああ、だから…………」
「君達は庭だ。好きに寛いでいるといい。トーナメントの時間になれば呼んでやろう」
 シリルの言葉を先んじて取る。アルヴィンは、口を開かない。ギュスターヴは慣れているので、今更何を言うつもりもない。シリルはこの中でも若く、遠慮がなかった。
 リシャールのことは結局、ここへ来る前にシリルも聞いていた。ジェラールのことが許せないのは、見ていれば直ぐに分かる。いい人間だからこそ、余計に。
 しかしさすがに、リシャールが睨むと口を噤む。
「新しい従士を連れてきている者がいるらしいな。……固まっていた方が安全かも知れない。先に引き合わせてみるか」
「安全とは……?」
「君達は監視されているようなものだ。気をつけた方がいいだろう。私やジェラールの様な者はここでは異端だ。身分や金のない者には厳しい。それに……ギュスターヴは身に染みているな?」
「……はい。リシャール様は、人気があるから」
「ああ…………」
 アルヴィンは顔を曇らせる。確かに、ちらちらとこちらを伺っている人間がやたら多い。
 リシャールはアルヴィンの肩を抱き寄せた。
「何をしても構わないが、程々にな」
「……ここでは何もしない。そこまで無節操じゃないよ」
「そうだな。……虐められたら、相手の名や主の名は確認しておいてくれ。相応の返礼はするから」
「大丈夫だよ。それより、貴方にだって立ち回り方があるだろう。早くしなくていいのか?」
「……そうだな」
 辺りを見回す。その中に一人の男の姿を見つけてリシャールは複雑な表情を浮かべた。

「アナトール、久しいな」
「リシャール卿。……お久しぶりです」
 近寄ってくるリシャールに、男は微かに眉を寄せた。
 リシャールより更に頭半分程上背があり、また肩幅も胸板も堂々たるものである。纏った服の下には頑強な筋肉が見て取れ、一目で武人であることは分かった。
 この体格でなければ、その姿は儚いものだったろう。銀の髪に抜ける様な白い肌をし、また青い筈の瞳にも血の色が透けているのか、紫がかって見せていた。
 曇る面を見て、リシャールは微笑む。男の渋面が楽しくて仕方ない様子だった。
「何かご用でも」
「殿下に、君が可愛らしい従士を連れてきていると聞いてね。ああ……この子か」
 益々渋面になる。元が整っている為か一層険も露わになった。
 その陰に隠れる様にして所在なさげに立っている青年を見つける。
 顔立ちだけはあどけない、黒髪に黒い瞳の青年だった。体つきはもう既に一人前の男だったが、顔を見れば未だギュスターヴと年も変わらない様に思える。
 アナトールはその青年の首根を掴み、リシャールの前へと突き出した。

「ケネス、挨拶をしろ。こちらは侯爵リシャール・ド・アンジュリス卿だ」
「…………ケネス・アネーキスです」
 床に片膝を付き顔を伏せる。肩が微かに震えている様だった。
「……楽にしてくれていい。西の国風の名前だが、出身は?」
「……お察しの通りです」
 顔を上げない。リシャールは軽く肩を竦めた。
「お恥ずかしい限りです。自尊心ばかり高くて使い物にならない」
「なに、男はそれくらいでいい。……アルヴィン、シリル、君達もね。これはアナトール・ド・ガロワ男爵だ。武勲めざましく、騎士から取り立てられて爵位を与えられた男だよ」
 促され、背を押されて二人は進み出、形通りの挨拶と名乗りをする。
 愛想のない男ではあるが、かといって初めの印象程取っつきにくい風でもない。リシャールのことを嫌っているだけで、関係のない少年達には表情を和らげた。
「場に慣れないのはこの二人もそうだ。この国の生まれではないのもね。仲良くしてやってくれ」
「貴方もよくよく拾いものが好きだと見える」
「君に言われたくはないな。……彼が西の国の人間だと言うなら、君こそ拾いものは程々にした方がいい」
「これは、後に役立てます」
 落ち着いた一言に、ケネスは顔を上げた。もの凄い目でアナトールを睨み付ける。
 従士などとは名ばかりだ。従うつもりのある様子には思えなかった。
 アルヴィンはアナトールとケネスを見比べる。
 アナトールはケネスを一瞥し、実に楽しそうに口角を上げた。
 どうやら、リシャールと同じ性分らしい。アルヴィンが抵抗してみせる時のリシャールの厭な笑みと、それはよく似通っていた。
 諦められるアルヴィンと違い、真っ直ぐで分かり易い自尊心を備えているのだろう。可愛らしいものだ。
「こんな子を躾けるのも楽しそうだ。アルヴィンは大人しいが一筋縄ではいかないからな」
「骨が折れ面倒なものですが、必ず我が国のお役には立ちましょうから」
「……アネーキス……聞いた姓だ。そういうことか。君なら使い方を誤りはしないのだろうが、手を噛まれないよう気をつけることだ」
「油断はならない男です。だからこそ、使い甲斐がある」
「君がそれ程楽しげなのは初めて見るな。悪くない傾向なのだろう。……ああ、そろそろ始まる。ギュスターヴ、お前が一番勝手が分かっているだろう。案内してやれ。アルヴィンも、シリルも、アネーキス君も」
「はい」

 庭には貴族に列することの出来ない従士達が屯していた。
 式典が終わればここも貴族達に解放されるが、今だけは彼らも許される。
 その片隅へ移動し、アルヴィンはほっと息を吐いた。
「やっぱり……あんまり人が多いところは好きじゃないな」
「ただじっとしてれば時は過ぎるから……」
「何か飲み物貰って来ましょうか? 僕も居心地悪いな。何だかぴりぴりしてて」
「ううん。いいよ。後で。……見ない顔が集まっていれば視線は集まっちゃうからね……リシャール……様、は、人気があるんだろうから、余計に」
 逃れる様にどんどん隅へ行き、木に寄り掛かる。アルヴィンの顔色は冴えなかった。
「ギュスターヴ君、僕達を隠しててくれる?」
「あ、はい」
 シリルの手を引き、木の陰に隠れる。
 何をしているのかギュスターヴには分かってしまう。慌てて全てから二人の姿を遮った。
 一緒に行動していながらケネスは上の空で、怪しげな三人を気に掛けることもなく庭の広い辺りや建物の方を睨んでいる。
 程なく出てきたアルヴィンは、辛うじて顔色を取り戻していた。
 陽の光は嫌いではないし灰になる程の目にも遭わないが、やはり身体には合わない。
 人の目も感覚の鋭すぎるアルヴィンには辛い。シリルが居てくれて良かったと心から思う。

「君は……西の国の、名のある人なのかな。さっきのリシャールの物言いからすると」
「え…………あ……ああ……」
 アルヴィンよりかなり肩の位置が高い。耳打ちは出来ないものの、小さな声で囁く。
 ケネスはアルヴィンを振り返り、アナトールを睨んでいた時と同じ目で睨んだ。
 だが、アルヴィンはふわりと微笑み、受け流してしまう。
「ここではやめた方がいいな、そんな目」
「僕の監視をするつもりなのか」
「まさか。……だけど、お互いに監視役だと思うよ。君は僕達の……僕達は、君の」
「貴方達の……?」
 黒い瞳に戸惑いが浮かぶ。アルヴィンははっきりと頷いた。
「僕やシリルも、リシャールの下から去りたいんだ。だけど出来ない。逃がさない為にここに連れてこられたから」
「……同じだ。僕も……城に置いておいたら逃げるからって……くそっ……」
 側の木を殴りつける。
 アルヴィンは小さく首を傾げて眺めながらも、邪魔はしなかった。
 アルヴィン自身も、シリルも、リシャールも、ギュスターヴも、みんなそういった素直さには欠ける。直情型なのは若く可愛いものだと思う。
「今なら逃げられるけど……ギュスターヴ君が可哀相だしな」
「厭ですよ。絶対。……未だ死にたくない」
 ギュスターヴの声と顔が真に迫り、アルヴィンは思わず吹き出す。みんな、可愛らしいものだ。
「僕もそれは寝覚めが悪いからやらない。あの人、躊躇うところと躊躇わないところが普通の人とは違うみたいだから」
「簡単に首くらい刎ねますよ、あの人」
「だろうなぁ……君が逃げたいなら、手を貸すけど」
 ケネスは唇噛み締め、しかしはっきりと首を横に振った。
「今ここから逃げても国まで辿り着けない」
 頭に血が昇っている様でいて、案外冷静に状況は把握しているらしい。
「捕虜にしては、扱いがいいみたいだね」
「遊ばれてるんだ」
「いつか折れるよ。そう……受け流すこともなく堪えていたら」
 困った様に微笑む様子は、教会壁画の天使に似ている。
 ケネスは漸く、身体から力を抜いた。

「変わってるな、君」
「そうかもね」
「アルヴィン、だっけ」
「ああ」
「よろしく」
 手を差し出され、握り返す。
「ケネスでいい?」
「……いいよ。ここでは同じ身分なんだし」
「国では?」
「…………貴族の、孫。……自殺は主が許す所じゃないけど……お祖父様を陥れる為に僕が使われるって言うなら、覚悟するしかないとは……分かってるんだけどな」
 ぐっ、と手に力が込められたのが分かる。
 死ぬに死ねない、その辛さは、立場や状況は違えどアルヴィンにも分からないことではなかった。
「楽しんでたな、あのガロワ男爵って」
「いつもそうなんだ。僕を未熟だとか、情けないとか、そんなことばかり言って! 虜囚の筈なのに、僕なんか牢に入れてなくても逃げられるわけないって、侮られて……腹立たしいったらない!」
 先の様子から、アルヴィンの目には、アナトールがケネスを可愛がっている様に見えた。元々捕虜として扱うつもりがないのだろうが、当人にはそれが分からないのだろう。
 アルヴィンを手に入れて直ぐのリシャールと同じだ。ケネスが反応を覚えさえすれば、それなりの暮らしは出来るものだろうと思う。
 だが、この真っ直ぐな気性が折れてしまうのは勿体ないし、面白味も失せてしまうものだと安易に想像が出来た。

「……何となく、分かる。僕達はそういう所まで似てるみたいだ。リシャールも……僕が逃げないって思ってるから」
「従士なのに、主を呼び捨て?」
「リシャールがそれを望んでるから。変わり者なんだよ。あいつ」
「綺麗だけど……なんかちょっと怖い人だな、あの人」
「間違ってないかも」
 素直で単純そうな割りには、それなりの洞察力も持ち合わせているらしい。
 アルヴィンの微笑に釣られ、ケネスも表情を和らげる。
「アルヴィンって天使に似てるね。教会の壁画にあるみたいだ。髪の色も、ふわふわしてるところも」
 何処か柔らかい雰囲気や笑みも似ている様に思える。
 何気なく発せられた言葉に場が凍り付いたことに、ケネスは気が付かなかった。
「……光栄だな。そんなものに似てるなんて」
 何も知らないからこそ言える。アルヴィンはただ唇に笑みを張り付かせることしかできない。
 アルヴィンの容姿をそう表す人間は多い。だが、中身を知ってまでそんな表現を続けたのはリシャールとシリルくらいのものだ。
 シリルもギュスターヴも、知っているからこそはらはらと二人を見守った。下手に口を開いた方が余計に危険だ。
「アルヴィンは、幾つ?」
「……十六」
「僕は十九だ。……良かった。ちゃんと話が出来る人がいて」
「この国の人間じゃないからな、僕も」
「何処の出身?」
「さあ……本当の家はもっとずっと東にあるけど……生まれたのが何処かなんて、知らない。覚えてないから」
「……君も、大変だったんだな」
「大変な世界だから。……仕方ない」
「……ああ……」
 貴族が他国で一従士になり下がっているのだ。ケネスにも、いろいろあったのだろうと容易く推測できる。

 時機を見失って繋いだままになっていた手を軽く引っ張った。
「飲み物でも貰ってこようか」
「僕は食べ物がいいかな」
「二人で行けばシリルやギュスターヴ君の分も持ってこられるよ」
「だから、僕が取りに行きますって言ってるのに」
「いいよ、シリル。君は少し休んでて。さっき貰ったから疲れてるだろう?」
「大丈夫です」
「直ぐ戻るから」
「あっ、アルヴィンさん!」
 ケネスと手を繋いでいるのが例えようもなく気に入らない。
 しかし、制止する前にアルヴィンとケネスは手を繋いだまま立ち去ってしまった。


作 水鏡透瀏

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