「ギュスターヴさん、アルヴィンさん知りません?」
「あ、シリル……い、いや俺は……知らない」
「本当に?」
つ、と目が細められる。どうにも嘘が通じそうな相手ではなかった。
リシャールの所から逃げる様に退出した先の庭に面した回廊で、シリルとノウラに取っ掴まってしまったのは、運が悪いとしか言いようがない。
柱に寄り掛かっていたシリルはその根本の段へと軽く腰を掛け、ギュスターヴを遮る様に足を伸ばす。
「知らない……」
「ふぅん。…………リシャールさんの所か」
ギュスターヴの目を覗き込み、冷笑を浮かべる。
さして年も変わらない子供だとは思うが、なかなかの迫力を備えていた。
思わず戸惑う。
「何で、」
「違うなら言って下さいよ」
「邪魔をしたら、リシャール様に殺される」
隠すことのないギュスターヴの言葉に、シリルは直ぐさま口を尖らせた。
アルヴィンに関係している限り、リシャールのことはどうしても好きになれない。
「やっぱりそうなのか。ちっ」
「邪魔は、」
「……しない。悔しいけど」
「本当に?」
「しませんよ。……アルヴィンさんが本気で拒まなかったのなら仕方ないから」
「何で本気じゃないって分かるんだ」
「本気ならあんな人とっくに死んでる。この城やその周りのノウラさんは集まったんだし、もう目的の半分は果たされているから」
「リシャール様を殺すって言うのか、あの人が」
「だから、本気じゃないんでしょう。……帰してくれないなんて口で言ってるけど、アルヴィンさんは帰る気がない。殺す気なんてないでしょうよ。ねぇ、ノウラさん」
唐突に振り返る。
ふわふわと二人の下へ漂ってきていたノウラは視線を受けて困った様に微笑んだ。
──正しいものの見方だと思うわ。でも……アルヴィンに言っては駄目よ。意地っ張りだから──
ノウラが力を得て以降は、この二人にも声は届く様になっている。
姉の様に諭され、シリルは小さく肩を竦めた。
「ノウラさんは僕の知らないことも知ってるんですか?」
──どうかしら。あまり変わらないと思うわ。あたしが知っていることは、アルヴィンが話してくれたのではなくて星やカードが教えてくれただけだから──
「占いかぁ……僕には分からないな」
──言えるのは、きっと、お互いが全てなんだろうっていうことだけよ。占いは直接的な事なんて教えてくれないわ──
分からない。
ノウラやシリルがどれだけ馴染んでいても、どれだけ自分に優しく接してくれていても、胡散臭いことに変わりはない。
ギュスターヴは困惑を隠せなかった。
「あの人は……一体何なんだ。魔物だって言うのは、さっき話してくれたけど」
「僕だってそれ以上なんて知りませんよ」
──人よ。アルヴィンは。……誰よりも優しい、人。そうでなければ、救われないわ──
「ええ。だから好きなんです。あの人のこと。凄く優しくて、強いから」
アルヴィンは、強い。
気配や力が揺るぎないのは、シリルには本当に頼りになることだった。
他に寄る辺などない。親代わりであり、数少ない友人でもあり、また師でもある。シリルにとって、アルヴィンは全てを内包してくれる特別な存在だ。
「優しい人だっていうのも、強い人だっていうのも、貴方にだって分かるでしょう?」
尊敬するアルヴィンに対して警戒を緩めないギュスターヴに、シリルは剣呑な視線を向ける。
「…………強いのは、分かる」
「アルヴィンさん、貴方に会ってから貴方のことばかり気にしてるんですよね。何か厭なんですけど」
「…………全部、見透かされている気がするから、その所為だと思う」
「見透かされてるって、何をです?」
──心配してるのよ、アルヴィンは。不本意な手段で手に入れた力なのではないかって。あたしも……あまり関心は出来ないと思うわ──
「俺は、俺が望んで手に入れた力しか持っていない。これでも、未だ足りない」
ノウラを睨む。
しかし、ノウラはただ困った様に微笑み返した。風に揺れる木の枝の様に、軽く受け流してしまう。
──元々持ち合わせない力は、貴方には必要なかったから神様はお与えにならなかったのよ。それが分かる様になるには……もう少し年月が必要なのでしょうけど──
「若いって、馬鹿にしてるのか」
──そうではないわ。リシャール様だって、今でも求めていらっしゃるのですもの。ただ……不幸も知るべきね──
ノウラだけではなく、シリルも顔を曇らせる。
人としての範囲を越した力は、畏怖と嫌悪の対象となる。それを身を持って知っているからこそ、危惧したくもなった。
──アルヴィンの心配は、分かってあげて欲しいわね。……いろいろの人を見てきたから、言えることなのだから──
ふわり、とギュスターヴの頬に触れる。
優しい感覚がして、ギュスターヴは戸惑った。慣れていない。
「欲しいんなら、僕の力でも何でも全部あげますよ。こんなもの、何の役にも立ちゃしない」
持たざる者の脳天気さに付き合う気にはなれない。シリルはギュスターヴを睨んだ。
容姿にしろ、頭脳にしろ、感覚にしろ、人より優れていていい思いをしたことなど全くシリルの記憶にはない。
その為に付け狙われ、親を失い、蔑まれて来たのだ。
「戦の役には立つだろ」
「人を殺して何が楽しいんだ」
「戦場で人を殺すのは必要な手柄だろ」
「同じですよ。どこで殺そうが、どこで死のうが、人は、人だ」
ノウラはシリルに微笑み、そしてギュスターヴの頬を両手で包む様にして目を覗いた。
物理的な存在ではない。逃れることは出来る筈なのに、ギュスターヴは魅入られて動けなくなる。
──戦が貴方にそんな考えしか齎さなかったのなら……それは悲劇ね──
シリルは苛々と親指の爪を噛み始めた。それに気がついて、ノウラは小さく笑う。
アルヴィンと同じ癖だ。
──分離はアルヴィンでももう出来ないかも知れない。だけど……自分を守ることは未だ出来る筈ね。貴方がとてもいい子なのは分かるから──
「守るものがあるなら、僕だって戦うし、仕方なく人を殺しもする。守りたいものを守る為の力なら、欲しいとも思う。だけど……だからって、悪魔の力が必要だなんてあり得ない」
「だけど、あの人は魔物なんだろ」
「貴方に、あの人程の自制が出来るとは思えないな」
「何を!」
「あの人は特別だ。力を望む貴方には、悪魔の囁きに抗うことなんて出来ないでしょう? 人でありたいと、誰より強く願う事なんて……人殺しが必要な手段だと言ってしまえる貴方のことなんか、信じられるわけがない」
「俺が、どんな悪魔と契約してるって言うんだ!」
ギュスターヴは漸くノウラを振り払い、数歩飛び退った。
二人を睨む。アルヴィン以上に油断がならず警戒する。
──困った人ね。あたし達は感じてしまうのだから、隠しても意味なんてないのに──
「アルヴィンさんじゃないから詳しい名前なんて知らない。それに、高位の悪魔なわけがないから、僕達が知ってる様な悪魔でもないんでしょ、どうせ」
「あんた達なんかに何が分かるっていうんだ!」
「生憎、それくらいのことは分かるんですよ。分かりたくなくたって」
シリルは軽く床を蹴った。
「アルヴィンさんが心配してるから、僕だって気になるんだ。あの人は優しすぎて、何時だって自分ばかり辛い目に遭うことを選ぶんだから。貴方が望む望まないに限らず、あの人が貴方の所為で苦しむようなら、黙って見過ごすわけにはいかないんだ」
少女と見まごうばかりに美しい顔立ちとは裏腹に、睨む瞳は猛々しい。
「あの人に頼まれてるのか」
「まさか。あの人は、誰のことも頼らない」
もう一度、つま先で石造りの床を蹴る。
アルヴィンの、そこが一番嫌いなのだ。全くシリルを頼ろうとはしない。柔らかな微笑みを浮かべて、何でもシリルが手を貸そうとする前に処理してしまおうとする。
拾われて数年経ち、それなりにシリルも育っているというのに、手助け一つ求められない事には苛立ちもする。
「何で、あの人……そんなに俺なんかのことを気にするんだ」
「…………人が、人じゃなくなるのがどんなことか、僕にはよく分からないけど……あの人には、それが堪えられないんですよ。あの人は、元々人だったって聞きましたから」
──アルヴィンは優しいから……分かっていて不幸になる子を見過ごせないのだと思うわ。あたしや、シリルと同じなのよ。……俺なんか、なんて言い方、するべきではないわね。リシャール様だって、貴方を気に掛けていらっしゃるのですもの──
交互に言われ、ギュスターヴは益々眉根を寄せる。
言い分は分からぬでもないが、余計な世話だ。
顔を曇らせるギュスターヴに、ノウラは苦笑を見せた。
──そのうち……分かることよ。時が解決することもあるでしょう。尤も……そうなってからでは遅いかも知れないけれど。…………あら──
ギュスターヴの肩越しに回廊の向こうを見、ノウラはするりとシリルの身体の影に入った。
姿が半ば、消える。
ギュスターヴとシリルは、同時にノウラが見た先を振り返った。
「マリーエ女史」
「……あの人、あまり好きじゃないな。厭な感じがする」
「悪い人じゃない」
ギュスターヴは姿勢を正し、やってくる美しい女へと駆け寄る。
簡素ながら品のいい衣服に身を包んだ女は、それなりの立場を思わせる。
妻の座には納まらず家令の様な役割を果たしていることから、身分はそう高いものではないのだろう。だが、有り余る知性と相反するだけの色香は感じさせた。
その、成熟した女独特の匂いが気分を悪くさせる。
大人の女は嫌いではない。だが、シリルの求めがちな母性からは、遠いところにいる様だった。
ギュスターヴはその女の前で軽く頭を下げ、手の甲に口付けている。
「ギュスターヴ。こんな所で油を売っていたのか?」
「いいえ。リシャール様のご命令です。シリルさんの相手をしていろと」
「……困ったものね、あの方にも。それで、リシャール様は」
「寝室です。明日の朝まで人払いを命じられています」
「そうか。……不機嫌は困るが……あの方にもいい加減、弁えて頂かなくては」
「邪魔、するんですか?」
「邪魔をしているのはまた、あの少年なのだろう? このままでは差し障りもある。考えて頂かなくてはならないわ」
「お任せします」
好んで狼の尾を踏みに行く気にはなれない。
マリーエの、形良い眉が吊り上がった。
「何の為にお前を付けていると思っているの。新参者に奪われて、悔しくないの?」
「はぁ……そう仰っても……」
リシャールのことは嫌いではないが、そう言われても、困る。
「分かっているなら、これをリシャール様に直ぐお渡ししなさい。宮廷からの招喚よ。このところ顔を出していないから」
羊皮紙を巻き、蝋で封をしたものが手の中へと押しつけられる。
マリーエも、不機嫌が分かるリシャールへ届け物をするのは気が進まないのだろう。
アルヴィンが来るまでは少なくとも、マリーエが愛人なのだと周知されていた。アルヴィンとは、顔を合わせるのも厭なのだと簡単に推測出来た。
断るに断れず、ギュスターヴは軽く肩を落とした。
押しの強い人間に逆らうと後が面倒なことは、よく分かっている。
「明日の朝には届けますよ」
「遅いわ」
「……殺されるのはごめんです」
邪魔だと睨まれた目の、身も凍るまでの鋭さを思い出す。
「何があると言うの。お前には金も時間も掛かっている。殺せる筈がない。早く行きなさい」
睨まれ、ギュスターヴは渋々頭を下げた。
マリーエはそのまま歩き始める。
そして、シリルの横で足を止めた。
「お前も、身の程を弁えることだな」
「……リシャール様にどうぞ、仰有って下さい。僕達は、いつだって帰る用意はある。帰らせて下さいよ」
睨み付けてくるマリーエに対しシリルは一歩も引かない。
若さも、その透徹した美しさも、成熟した女にはない瑞々しさを見せつける。
マリーエは苛立たしげに紅を差した唇を噛んだ。
「アルヴィンさんも同じですよ。リシャール様が手放さないんだ。別に、あんな人誘ったって、僕達に利点なんてないんですから」
「化けの皮はいつか剥がれるものよ」
「……馬鹿馬鹿しい」
シリルは立ち上がり、僅かに上の位置にあるマリーエの顔を口角を引き上げて見上げた。
「僕達は僕達に利のあることしかしない。あの人が死のうが生きようが関係ないのに、わざわざ罪を背負いたいなんて思いませんよ。ただ…………」
つ、と目を細める。少年らしからぬ程の気迫に、マリーエは背筋に冷たいものが落ちるのを感じた。
「僕やアルヴィンさんに危害が加わる様なことがあれば別です。リシャール様だって、それは望んでないでしょう? 貴女は賢明な人なんでしょうから、馬鹿なことはしないと思いますけど」
口だけは達者なものだ。きりきりと吊り上がるマリーエの眦を見て、益々微笑む。
ギュスターヴより年下に見えるが、持っている余裕がまるで違った。
「大した自信だな」
「僕達に出て行って欲しいなら、リシャール様を説得して下さいよ。僕達だって困ってるんだから」
「言われなくても、そうするわ」
硬い靴底が音を響かせる。
もう一度強くシリルを睨むと、マリーエは回廊の向こうへ消えた。
シリルは見送り、姿が見えなくなったところで思い切り顔を顰めて見せた。
続
作 水鏡透瀏
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