暑苦しい。
 いや、嬉しいのか。
 複雑な感覚がして、アルヴィンの意識が浮上していく。
 身体を包み込んでくれる大きな存在が泣きたくなる程嬉しい。
 優しい腕だ。
 だが、季節柄、それから、汗ばんだ大人の男の体臭など饐えてとても心地よいとはほど遠いものでもある。
 身体中が重く軋み、気怠い。
 どれ程の行為があったのか、思考を放棄していた面もあって殆ど記憶になかった。

 朝には弱い。まだ頭の中はぼんやりとして、纏まった考えはなかった。
 薄く目を開けると、間近に男の顔が迫る。まだ当たられていない髭が僅かに伸びていた。
 無精髭は似合わないが、やはり美しい顔だった。
 閉ざした目を縁取る睫は驚く程長い。
 通った鼻梁が頬に影を落としているが、それさえも優美だった。

 つきん、と胸に痛みが走る。
 何の故かは分からない。
 ただ、リシャールの顔を見ていると鼻の奥がつんとして、目の縁が潤んでくる。
 ノウラが愛した男。
 その感慨だけではない何かがあった。

 堪え難く、腕を抜け出そうと藻掻く。
 身じろぐ度に鈍い痛みが広がった。
 しかし、それに成功する前に、リシャールの目が覚めた。

「おはよう。お目覚めかな」
 まだ眠そうにしているが、にっこりと微笑む。
 釣られて曖昧な笑みを返しながら、アルヴィンは小さく頷いた。
「……はい……おはようございます」
 喉が渇き、声が掠れている。どれ程声を上げたのかさえ、記憶になかった。
「夕べの君は素晴らしかった」
 アルヴィンはさっと頬を赤らめ俯いた。
 そうするとリシャールの胸元へ半ば顔を埋める様になる。
 さわさわと、額に胸毛が触れる。
 何時の間に脱いだのだろうなどと、ぼんやりと考えた。アルヴィンの記憶の中では、リシャールは衣類を脱ごうともしなかった筈だ。
「約束の金を支払おう。やはり、城まで来て貰わなくてはな。流石に五万エキュの持ち合わせはここにはない」
「…………あれは……」
「水を持って来させた方がよい様だな。喉が荒れている。薬湯がいいか」
「……いえ、あの……っん……」
 予期せぬタイミングで唇を塞がれる。
 唾液を送り込まれ、アルヴィンは素直にそれを嚥下した。
「ん……ぅ……」
 唇も口内も、喉も、リシャールに潤されていく。
 抱き締めてくる腕の強さとその感覚とに、アルヴィンは顔を歪めた。
 胸が、痛い。

「……ゃ……ぅ……ぁ……」
 噛みつけば逃れられる。そう知っていながらも、アルヴィンはただリシャールの唇を、舌を受け入れる事しかできなかった。
「乾いているな」
「……ぃ……やだ…………」
「厭なら逃げたまえよ」
「ぅ……っ…………」
 低く、僅かに掠れた艶のある声がアルヴィンから思考を奪う。
 ぞくりと背を抜ける感覚は、昨晩厭という程覚えのあるものだ。
 それでもアルヴィンには動けない。
 気づけば涙が溢れていた。
「…………っ……ぅう…………」
 細い指が顔を覆う。
「やはり厭なのに強がっていたのだな」
 傷ついた様なリシャールの声に、アルヴィンは顔を覆ったまま強く首を横に振った。
「では酷くし過ぎたか。君があまりに魅力的だったので、手加減を誤った。……何処か痛むのだろう?」
 気遣われても、アルヴィンはまた首を横に振る。
「……では、何故泣く?」
 それは、アルヴィン自身にも分からなかった。
 ただ、目の前の胸板に縋り付く。
 昨日衣類に包まれていた時より、ずっと逞しく見える。
 着痩せする質なのだろう。
 どこもかしこも貧弱なアルヴィンに比べ、男らしく頼りがいがある様に思えた。

「…………貴方のいる寝台の上で……目覚める事が出来ると思わなかったから…………」
 アルヴィンはただぼんやりと呟く。
 寝起きの怠さと涙で霞んで、上手く思考が働かなかった。
「私が居ないと思ったのか? 私はそれ程薄情ではないよ」
 柔らかな髪を撫で、頭頂を鼻先で擽る様にしながら口付ける。
 アルヴィンの髪からは薔薇の花に似た甘くいい香りがする。
 体臭そのものが花香の様なのだろう。
 香りが再びリシャールをその気にさせていく。
 そっとアルヴィンの背へ回した手で、腰の窪みを撫でる。
「っふ……」
 ふるりと震える身体が愛おしい。
「困ったな」
 手を円やかな尻朶へ這わせる。暫く掌で滑らかな感覚を楽しんだ後、指先を蕾の襞へと引っかける。
「ゃ、っあ……っ……」
 小さく声が上がる。
 指が二本、軽く蕾を押し開いた。
「……ぁ……ぁ……」
 今にも泣き出しそうな、切なげな声が洩れる。
 どろり、と濡れた感覚が蕾から流れ出るのを感じていた。
 粗相をしてしまった様な感触にアルヴィンは顔を上げ、潤む瞳でリシャールを見詰める。
「ゃめ……て……下さい……」
「どのみち片付けなくてはならないのだから、同じ事だ。それとも侍女達に処理されたいか?」
「そんな……っ……」
 昨夜の凍てつく様な視線はそこにない。
 不安に揺らぐ幼げな瞳がリシャールに縋っていた。
 朝の光の中で、アルヴィンの瞳はより赤味を帯びて見えた。茶から赤へ、色は燃え立つ様なのに先に零された涙に潤み、艶やかな宝玉の様だ。
 美しい瞳に動かされ、眉間に口付ける。
「君の瞳と同じ色の宝石を思い出した。後で取り寄せよう」
「……いりま……せ…………」
「君にきっと似合う。君が私の下を去るまでには、君に贈る事が出来るだろう」
「やっ……ぁ……ふ……」
 指は蠢き続けている。
 内側から濡れてきているかの様に、とろとろと柔らかく解れ、濡れそぼっている。
「ぁ、あ、ぃや……あ……」
「処理をしているだけだよ。温和しくしていたまえ」
 そう言いながらも、指は本数を増やし、ばらばらにアルヴィンの中をまさぐる。
 否応なしに昂ぶっていく身体に引き比べ、アルヴィンは頬を染めながらも怯え震える瞳でリシャールを見詰め続ける。
 逃れる仕草はなくとも、色は確実に拒んでいる。
「すまない。こうなる事は分かっていたが……君はあまりに罪深い」
「罪………………」
 アルヴィンはふっと目を閉じた。
 閉ざした瞼から涙の雫が零れ落ちる。
「君の涙は水晶の様だな。……清らかな乙女の涙と同じく…………美しく、透明で……」
 唇が眦を吸う。
「……ん……」
「…………甘い。不思議なものだ」

 リシャールの態度は何処までも優しかった。
 甘く優しい。
 その様に嘘はなかった。聞いたものが赤面するかそら寒い思いに捕らわれる程に。
「素直な身体だな」
 慣れているらしい身体は昂ぶりを抑える事が出来ない様で、小作りな唇から荒い呼吸が繰り返されている。
「君は本当に……愛らしい」
 髪や額、頬、唇と啄んでいく。
 軽くリシャールの唇が触れる度、アルヴィンは新たな雫を零した。
 それと同じ様に、密着した身体の芯からも露を零す。
 下肢が濡れていく感触に、リシャールはくすりと笑う。
「感じているね」
「…………どうして……」
 処理だというならもっと感情もなく手早くして欲しい。
 アルヴィンは濡れた瞳でリシャールに懇願する。
「気持ちがよい方がいいだろう? ただの処理ではつまらない」
「……早く……して下さい…………」
「堪え難いか?」
 揶揄う声音に、アルヴィンはリシャールを睨む。
 ぐっと、より一層身体が密着する。
 リシャールの昂ぶりも、アルヴィンに伝わった。
「……ぁ……っゃ……」
「もう一度抱きたいものだな。君は本当に心地がいい」
「…………そんな…………」
「更に五万出すといえば……君は受けてくれるだろうか」
「……あんなの……ただの…………言葉のあや、です……」
 繰り返し煽る様に腰を押し当てられる。
 アルヴィンは半ば顔を青褪めさせ、唇を震わせた。
 リシャールの腕の中は心地いいが、だからといって性的に煽られても困惑するだけだ。

「……入れてもいいかい?」
 耳元で低く、甘く囁く。
 アルヴィンは目を閉じ、ふるふると首を横に振った。
「このままで辛いだろう? 君もだが、私だって……」
「…………ゃ……厭です…………離して下さい……」
 離せと言う割にアルヴィンの腕もリシャールの背に回り、ぎゅっと抱き締めている。
「まったく…………君は自分の罪深さを知るがいい。愛らしさも……人を惑わせるのだぞ」
「そんな……」
「例え君が、悪魔が私を惑わせる為に使わせた使い魔だったとしても、私は構わないがね」
「ふぁ、あ……ぁ……ん」
 何本差し入れられているのか考える余裕などなかった。
 大人の男の指は節が高く、アルヴィンの中を存分に掻き乱していく。
 爪がリシャールの背を掻いた。
 昨晩から併せて、どれ程の掻き傷が刻まれただろう。
 その痛みが、リシャールには何処か嬉しく思えた。
 求められただけ付けられた痕。
 アルヴィンが示す数少ない意志だと思えば、より愛しくなるだけだった。
「達してもいいのだよ」
「っゃ、ぁ…………」
 泣き声にも等しい。
 それを飲み込む様に唇を合わせる。
 全てを吸い尽くしてしまいたい。
「ん、っぅ……ぅ……ふ……」
 アルヴィンの唾液は甘い。つくづくそう感じる。
 天から齎された食物の様に……神の与えし甘露か。
 または……悪魔の誘惑か。
 それでも構わない。
 ただ、この子供が欲しい。

 アルヴィンはアルヴィンで、リシャールが与える全ての感覚を振り払おうという思いと、全てを任せて流されたい気持ちとが鬩ぎ合っていた。
 リシャールは優しい。
 アルヴィンはその事に、困惑と安堵を隠せない。
 与えられる感覚だけが全てだと、思ってしまいたかった。
 ただ、それは、アルヴィンが信じるものを揺るがせる。
 張り裂けそうな胸を抱え、アルヴィンはただ身を竦ませる以上のことは出来なかった。

 抱かれる。
 もう一度、覚悟を決める。
 主に反する行為だと知りながらも、今以上の抵抗は思いも寄らなかった。
 リシャールを受け入れるしかない。
 アルヴィンはぎゅっと目を瞑った。

 しかし。

 扉が叩かれる。
「リシャール様、お目覚めでしょうか。朝食の用意が調っておりますが」
 二人してはっとし、扉を見る。
 リシャールはあからさまに舌打ちをした。
「……まったく、無粋な」
「…………朝ですから……」
「……分かっているよ。仕方がない。この続きはまた今夜だな」
「……はい」
 微笑んで頷く。
 リシャールは目を瞠った。

「……その表情がいい。そうして、私を受け入れ続けて貰いたいものだ」
 言われて、アルヴィンは赤面し俯いてしまう。
 微笑んだ自覚などなかった。
「私も自室へ戻って処理と……着替えてくる。君も、早く支度を調えたまえ。一人で無理の様なら、手伝うが」
「いっ、いいえ……一人で、出来ますから……」
 ごそごそとリシャールからブランケットを奪って包まる。
 リシャールはその繭に籠もる虫の様な状態に苦笑しながら寝台を降りた。

「リシャール様」
 苛立つ声が扉越しに聞こえる。
「ああ、直ぐに行く」
 適当に言葉を返して、床に脱ぎ散らかった服を一つ一つ身に纏った。
 そうして、寝台から出ようとしないアルヴィンの髪に触れる。
「君はもう少しゆっくりしているといい。朝食は扉の外まで運ばせよう」
「……いいえ……あの…………もう少し…………寝たいです……」
「そうか。昨夜は少し私も楽しみすぎた。疲れていることだろう。出発の時間まで邪魔はしない。もう少しゆっくりとしておいで」
「はい」
 髪と額に口付けてリシャールは部屋を出て行った。
 アルヴィンはブランケットの隙間からそれを見送ると、自らの股間をぎゅっと押さえながら目を閉じた。
 自慰など許されることではなかった。
 ただ、萎えるまで……アルヴィンは声を殺し、蹲り続けた。


作 水鏡透瀏

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