扉の中は石造りの細い螺旋階段になっていた。
 先は見えない。それでもよく手入れが行き届いているのは、ここがよく使われる場所だからなのだろう。

「来なくていいって言ったのに」
「あんたの監視をするのも俺の仕事だ」
「リシャールが命じた?」
「リシャール様に危険がない様に守るのが俺の仕事だから」
 並んで上ることは出来ない。アルヴィンが先に立って階段を上る。
 所々に小さな明かり取りの窓が開けられて、足下に不安はないが、先が見えない分何があるのか分からない漠然とした感覚はあった。
「この上に何があるのか知ってる?」
「いや……聞いたことない」
「厭な感じではないんだけどな……凄く大きな力だ」
「……頭が、重い……」
 アルヴィンの足取りは何処か軽いが、ギュスターヴは気分が悪くなる程の圧迫感を覚えていた。
「あまり……いいものじゃないみたいだね、君と一緒に居るのは」
 アルヴィンは立ち止まり、ギュスターヴに手を差し出した。
「少しは楽になると思うよ」
 微笑まれ、躊躇いながらも手を取る。
「わ……っ……」
 視界に何かが目まぐるしい勢いで流れていく。
 夜空、星、海、そんなイマージュが身体の中を通り過ぎていく様に感じた。
 最後に水に包み込まれた様不思議な感覚に陥る。
 覚えてなどいる筈もないが、羊水とはこの様なものなのかも知れない。
 感覚に引きながらも、手を離すことは出来なかった。
 すっと圧迫感が失せ軽くなる。
「何……何だ、今の」
「こことは違う別の世界」
「……それって」
「行くよ。リシャールには内緒なんだから、あんまり長くいられはしないだろう?」
 アルヴィンはギュスターヴに応えずに少し寂しげな微笑を浮かべると、手を軽く引いた。
 ギュスターヴは戸惑いながらも、繋いだ手は張り付いた様に離れなかった。

 階段の行き詰まりには扉があった。
 鍵が掛けられていたが、アルヴィンはそれもまた簡単に外してしまう。
「本当に拙くないか、これ」
「帰っていいんだよ?」
「ここまで来て帰れるかよ」
 扉を開ける。
 中は、光に溢れていた。

 大きく窓が取ってあって日当たりがいい。
 窓の対角の壁には絵が掛かっており、窓辺の柱の影には、彫像が置かれていた。
 美しい女性の姿だ。絵も、同じ人物を描いたものの様だった。
 優美で美しい線は、名のある画家が描いたものだと一目で知れる。
 それ以上に、描かれた女性が美しいのだろう。
 その面差しには、何処か見覚えがある様な気がした。
「これ……」
「リシャール様に、似てる、な……」
 見入る。
 女性は、優しげに微笑んでいた。
 男女の別はあっても、整いきった美しい顔に白金の髪、青い瞳までもよく似ている。
「……アデレイド」
「え?」
「ここ、書いてある」
 彫像の台座を指す。
 石膏で作られた白く清い姿は、古代の女神の姿にも見える。
 その台座に、名らしい文字が刻まれていた。
「アデレイド・ド・ダゲール」
「…………ダゲール?」
 アルヴィンは文字を見詰めた。
 その名は聞いたことがある。この国の先帝の家の名だ。
 皇后アデレイドの名もまた、聞いたことがある。
 現在の皇帝は、帝位は継いだが養子に入ったわけではなく、家の名までは継いでいない。
「誰だろう、これ……リシャール様の身内か」
「…………この国の先帝の、奥方だ。皇后様だよ。名前が確かなら」
「え? それ……どういう事だ」
「見てはいけないものだったかな、これは……」

 この城へ来る途中の、馬車の中での会話が思い出される。
 彼がもし、先帝の遺児であったら……。
 こんな所へ城を建てた意味も、政や恋愛の他に考えることがあると言っていたのも、現在の皇帝を好きになれないと言っていたことも、そして、そのときに見せた冷たい炎も、全て合点がいく。

「まさかとは思うけど……この名が刻まれていて、こんなに似ているとなると他にあまり考えようがないよな」
「だから、何なんだ?」
「君、リシャールの身内の話とか、聞いたことはあるかい?」
「リシャール様のお身内? いや……天涯孤独だって。今の爵位も、自力で勝ち取ったって言ってた。いろいろ取り入って養子縁組を繰り返してきたって」
「そう……」
「く……っ……」
 繋いだままだった手を離す。
 途端にギュスターヴは押し潰される様な呻き声を上げ、その場に蹲ってしまった。
「ごめん。ちょっとだけ、我慢してて」
 恭しく彫像の前に跪く。
 優しく力強い、温かな力が満ちていた。
 礼拝堂に伝わっていたものは、これだろう。
 聖なる力と入り交じり、立ち入るものを守っているのが分かる。
「これだね、力の元は。……勝手に立ち入ったことをお許し下さい」
 額ずき、像の足に口付ける。
 リシャールの聖女に対するイマージュの根源が分かった気がした。
「お母様、かな、これは…………」
「母親……」
 再び手を繋ぐ。ギュスターヴはほっと息を吐いた。
「…………聞いてみても、はぐらかされるだろうな……」
「ここに入っちゃいけないなら、聞くことも出来ないだろ」
「それは、直ぐに分かることだよ」

「……賢明だな」

 突然後ろから声が掛かる。
 二人は弾かれた様に振り返った。
「説明して貰おうか、アルヴィン、ギュスターヴ」
 瞳が冷気を孕んでいる。
 リシャールが腕を組み扉の前に立ち塞がっていた。

「すみません、リシャール様!」
 ギュスターヴはその場に片膝をつく。
 しかしアルヴィンは真っ直ぐにリシャールを見上げた。
「彼に罪はない。僕を止めようとしていたんだから」
「ここには鍵か掛かっていた筈だ」
「外した。気になって仕方なかったから。……済みません」
「益々君を帰すわけにはいかなくなったな」
「…………そうでしょうね。牢にでも閉じこめますか?」
「それで済む話ならな」
 アルヴィンの細い腕を掴む。
 強く引いた。
「慎み深さは、美徳だと言った筈だ」
 腕に食い込む指の力が痛い。アルヴィンは微かに眉を顰めた。だが、非は自分にある。振り払いはしない。
「この方は…………」
「台座の名を見たのだろう?」
「ああ。…………アデレイド・ド・ダゲール……この国の、先の皇后陛下のお名前を」
 瞳の色がやけに淡く見える。
 本当に怒っている様子だった。下手に応えれば、斬り殺されてしまいそうな程に。
「この方は、貴方の血縁?」
「…………勘のいい君のことだ。察しているのではないか?」
「軽はずみなことは言えない」
「ふん……良く言う」
 手を離し、軽く突き放す。
 アルヴィンは微かに逡巡したが、まずギュスターヴを立ち上がらせた。
 手を繋いでいる二人を、リシャールは不愉快そうに見る。
「とにかく、ここを出たまえ。二度と立ち入るのではないよ」
「……貴方は、何をしようというんだ」
「何、とは? 先の皇后を大切にしていてはいけないか。彼女は、尊敬され、崇められるに相応しい女性だった」
「……それだけ?」
「他に何がある。さあ、もう降りたまえよ」
 アルヴィンの手を取り、引く。扉の外へと押し出す。

「鍵を渡していない部屋へは入って欲しくない。いいね。二度はないぞ」
「……はい。もう、納得したから、やらない」
「何故無断で入ったのだ」
 螺旋階段を下りながら問い詰める。
 アルヴィンとギュスターヴが手を繋いだままなのがどうにも承服出来ない様子だが、咎めても引き離すだけの場所のゆとりがなかった。
「礼拝堂が……不思議だったから。力の源が何なんだろうって、気になって。本当に、ギュスターヴ君は僕を止めてたんだから、彼を咎めないでよ」
「気に入らないな。何故庇う」
「事実だからだ」
「止めるのがギュスターヴの仕事だろう」
「僕が押し切ったんだ」
 ぎゅっと繋いだ手を握る。
 ギュスターヴは明らかに困惑していた。
 手を繋いでいればかなり楽になる。アルヴィンの手はひんやりと冷たいが、それは不愉快ではないし、優しくないわけでもなかった。
 このままずっと繋いでいたい気さえもする。
 だが、リシャールの視線を感じる度に、どうしようもなく居たたまれない気分になった。
 嫉妬に塗れた目で睨まれても、困る。
 リシャールがアルヴィンに好意を寄せているのと同じ様には、アルヴィンのことを好いているわけでもない。と思う。

 一階まで降り、礼拝堂から出て漸く手を離す。
 冷たい汗で、じっとりとしていた。
 大きく息を吐く。やっと落ち着ける気分だった。
「大丈夫? ごめんね」
「いえ…………」
「後で、もう少しいいかな。この礼拝堂がそんなに辛いなら、やっぱり良くないと思うんだ」
「あ、いや…………その…………」
 リシャールの目が痛い。突き刺さる。
 しどろもどろになり、ギュスターヴには答えられなかった。
「アルヴィン、私の方も未だ終わっていない。君とは、私ももう少しじっくりと腰を据えて話したいのだがね」
 ギュスターヴを押し退け、リシャールが身を乗り出す。
 アルヴィンは露骨に眉を顰めたが、先の今ではまだ分が悪い。
「何を、何処まで話してくれる?」
「…………アレを見られてしまっては、仕方がないだろう。この城で働いている者達と同じ程には、君にも知って貰う」
「…………分かった。ギュスターヴ君は、その後に」
「…………はい」
 アルヴィン自身に対する興味はある。しかし、本当に主人の視線と空気が身に染みて痛い。
 うんざりして溜息を吐く。
「明日になる。ギュスターヴ、君はもう下がっていい」
「明日、って……まだ午前中なんですけど」
「じっくりと話したいと言っているだろう? ここ二日ばかり、真面に君に触れていない。……そうだ、ギュスターヴ、シリルを御しておけ。私とアルヴィンの邪魔をしない様に」
 アルヴィンを抱き寄せ、妖しく手を這わせながらぎろりとギュスターヴを睨む。
 手の動きに嫌悪感を露わにしながらも、アルヴィンは逆らわなかった。ただ、呆れとも諦めともつかない吐息を洩らす。
 目のやり場に困り、ギュスターヴは俯いた。
 唇を引き結んで堪える表情を見せるアルヴィンには、やはり、何処か艶めいたものを感じる。
「……はぁ……」
 更にげんなりするが、取り敢えずは主人の命令である。気のない返事だけは返す。
 シリルもアルヴィンが絡むと面倒そうだ。それは、昨日一日でも十分に分かっていた。
「よし。分かったら下がれ。アルヴィン、私の寝室へ。いいな」
「厭だと言っても連行するんだろう? いいよ。好きにすれば」
 答えるなり、足下がふわりと浮く。
 逃さないという意思の表れのつもりなのだろう。抱き上げられる。
 アルヴィンはこれ見よがしに、大きく溜息を吐いた。

「…………話してくれるんじゃなかったのか?」
 部屋へ入るなり寝台の上へ横たえられ、起き上がる間もなく覆い被さられる。
 空かさず首筋へと押し当てられる唇に、アルヴィンは緩く頭を振った。
 こんな事で誤魔化される訳にもいかない。髪を掴んで強く引っ張る。
「一通り済んでからでいいだろう?」
「先だ。貴方は……何?」
「それは君にも問い返したいな。君は、何だ? どうやってあの鍵を外した。大金を積んで精緻に作らせた、専用の鍵がなくては決して開かない鍵の筈なのだがね」
「秘密」
「君は私以上に秘め事が多いぞ」
「貴方だって、大体を察してはいるだろう?」
「何のことだ」
 再び舞い降りる唇から身を捩って逃れる。
 顔面を鷲掴む様にして牽制すると、リシャールは漸く僅かに身を引いた。
 憮然としてアルヴィンを見下ろす。
「貴方は……あの像の方の、何?」
「何だと思う」
「言わせたいのか、言いたくないのか、どっち?」
「…………言いたくないな、出来るならば。それはもう、過去だよ」
「嘘つき。ギュスターヴ君が言ってた。貴方は何時か、皇帝を倒すって。それは、名前と関係がないのか?」
「この時代だ。男ならそんな夢も見るだろう?」
 尻で擦り上がり、リシャールの下から逃れ出る。
 不機嫌そうに、睨む。
「話してくれないなら、もうこれ以上触らないでくれ」
「……強情だな、君も。悪くない癖に」
「僕にはシリルもいる。貴方じゃなくてもいいんだよ」
「あんな子供に何が出来る」
「貴方より心地いいよ」
「何っ!?」
 リシャールはこの世の終わりの様な表情で、固まった。
「ま、まさか…………あんな子供に抱かれているのか、君は!?」
 その呆気ない表情が心地いい。アルヴィンはぺしりとリシャールの額を掌で叩いた。
「誰でも自分と同じだと思うな。それに……僕よりシリルの方が年上に見えると思うんだけど」
「それはもう誤魔化されないよ。君は姿と中身の年齢が釣り合っていない。身体を合わせて、目を見ていればそれくらいは分かる」
 じりじりと躙り寄られ、次第に逃げ場がなくなってくる。
 膝を抱え防備する。しかし……。
「わっ……」
 両足首を捉えられ、上へ押し上げられる。
 敷布の上を尻が滑り、リシャールの方へ差し出す形になった。
 まだ脱がされてはいないが、酷くあられもない姿だ。そのまま圧し掛かられ、身体を二つに折られる。布越しながら、下肢にリシャールが押しつけられるのが分かり反射で身を竦ませた。

「……アルヴィン。私は君を知りたい。君も、私を知りたい。なら……もっと深く繋がることが許されてもいいのではないか?」
「どういう理屈なんだ、それ……」
「約束通り、後で全てを話して上げよう。だから、今は……シリル君でも、ギュスターヴでもなく、私を気に掛け、私に微笑んで欲しい」
 母親を求め続けている子供。
 礼拝堂の女性がアルヴィンの予測通りリシャールの母であれば、そう言うことなのだろう。
 男であるアルヴィンにそれを求められても困るが、身体は拒んでいない。心も、口先程には拒めなかった。
「僕のことは未だ話せない。だけど…………貴方を、貴方と分かつことは出来ると……思う……」
「今はそれで勘弁して欲しいと?」
「ああ。……ん……ぅ……」
 アルヴィンの返事を聞くや、唇を塞ぐ。
 仕方なく、アルヴィンはリシャールの身体へと手を回した。
 リシャールの唇は心地いい。抗い難い誘惑に、アルヴィンはそっと目を閉じた。


作 水鏡透瀏

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