去ってしまったアルヴィンの背を目で追い、シリルは小さく舌打ちをした。簡単にアルヴィンを取られてしまったことが悔しく腹立たしいが、ケネスに怒りを向けられることでもない。
 人の多い辺りにいるのが厭で、シリルはもっと人気のない方を求めて歩き始める。
「……俺、もうちょっと向こうにいるから。アルヴィンさんが帰ってきたら、そう言って」
「単独行動は危ない」
「別に何をするわけでもない。人ごみ、嫌いなんだよ」
「ちょ、っ、待てよ!」
 早足で人ごみを抜けていくシリルをギュスターヴは慌てて追う。
 アルヴィンから目を離しただけでも叱責ものだろうに、これ以上ばらばらになるのはご免被りたい。
 それに、ケネスと行動を共にしている上に中身が大人のアルヴィンより、自分より少しばかり歳が若く気の短いシリルの方が後々面倒になりそうな気がした。

「待てってば!」
 漸く腕を掴んで引き止めたとき、もう既にあまり人気のない庭の片隅まで来ていた。
 取られた腕を、シリルは強く振り払う。触れられるのは好きではない。
「何だよ、一人になるくらいいいだろ」
「問題起こしそうで厭なんだよ、お前」
「俺が? 何で」
 きりきりと形の良い眉が吊り上る。
「お前、喧嘩っ早いから。それに、顔が綺麗だから」
「何だよ、それ。俺の顔に見惚れでもしてるのか? 気持ち悪い」
「そんなんじゃない! だけど、変な趣味の貴族は、多いから。俺なんかだってたまに危ないんだぜ」
「…………知ってるよ。でも貴方に心配される謂れなんかない」
「あるって! お前に何かあったら、俺が叱られるんだ! リシャール様だけじゃなくて、アルヴィンからだって絶対!」
「……アルヴィンさんって言え」
「っ……」
 低い声に気圧され、ギュスターヴは口を噤んだ。
 若いくせに、迫力が並みのものではない。その背に妖気すら滲んで見えて、ギュスターヴは戸惑う。
 シリルは、人間の筈だ。
「……お前……何なんだ、一体。アルヴィン、さんとは、ちょっと違うのか? いや、でも……」
 力の質は似ているようにも思う。否。アルヴィンというよりは、ノウラに近いのか。ギュスターヴは困惑して眉を顰めた。

「こことは違う、別の世界」

「何?」
「こことは違う別の世界……それを覗いて、必要があれば力を引き出せるだけだ。貴方みたいに何かの力を借りなくても。でも、それが幸せだったことなんか、一度だってない」
 辺りに人気はない。それでも建物のある方から逃れるように側の木を回り、その根方へシリルは腰を下ろす。
 ギュスターヴは近づいて、木に手を当ててシリルを見下ろした。
 直ぐ様きつい視線が寄越される。
「嫌いだ。……座れよ。何で貴方に見下ろされなくちゃいけないんだ」
 睨み見上げてくる視線は鋭い。仕方なく、ギュスターヴは隣に所在無さ気に座る。
 こんなに綺麗な顔をしている男は、リシャールとシリルの他を知らない。だが同じ美しいという言葉にしても随分違う。シリルの容貌は、今日集っている貴婦人達と同じ格好をさせたとしても、その中で最も美しいことだろう。
 短気で乱暴で、随分男らしいその性格を知っていなければ、ギュスターヴでさえつい騙されそうになる。
 恐る恐る様子を伺っていることが伝わったのか、シリルの放つ気配が僅かに緩和された。
「貴方は、何でリシャール様なんかについてるんですか?」
「恩人だから。お前がアルヴィン……アルヴィンさんについてるのと同じだ」
「同じ? ふん」
 同じなどではない。アルヴィンはずっと優しい。
 だが、ギュスターヴも主を鼻で笑われて引き下がるわけにはいなかった。
「何だよ。リシャール様のこと、何も知りやしないくせに!」
「分かるさ。あの人は、馬鹿だ」
「っ!」
 シリルの胸倉を掴もうとした手は簡単に躱される。
 代わりに手首を取られ、捻り上げられた。

「くっ……」
「馬鹿だよ。ほんと。だって、何にも気付いてないんだから。貴方も、あんな人ほっとけばいいのに」
「放せっ!」
 言われてぱっと手を放し、軽く小突く。ギュスターヴは簡単にバランスを失い、尻餅をついた。
「誰も要らないんだよ、あの人」
「……分かってるさ。だけど、放っておけるわけないだろ」
 シリルに言われるまでもない。リシャールが求めているのはノウラだ。そして、それに繋がるアルヴィンを今は求めている。ギュスターヴなどは、代用品の、そのまた代用品に過ぎない。
 それを分かっているからこそ、尚更ギュスターヴはリシャールから離れられなかった。
 アルヴィンもシリルも何時か去ると言っている。ならば、その後にでもまた、代用品が必要とされることもある筈だ。
 その為にも、ギュスターヴは無理にも力を手にしたのだから。
 シリルはその決意を感じているのか、軽く肩を竦めた。
「……ほんと、馬鹿ばっかりだ。あの人もあの人の周りも。……貴方も、マリーエ女史も、アルヴィンさんも……僕も」
「…………お前も?」
 シリルは黙り、俯いた。
 リシャールのことは、嫌いではない。ただやはり、とんでもない馬鹿だとは思っている。
 何もかもが欲しいくせに、何もかもを要らないと言ってみせる、阿呆だと。
 さっき引き合わせられた皇子や、男爵だとてそうだ。リシャールを嫌いではなく思っている。それなのに、リシャールはそれを突き放し、ましてや、敵を討つことすら考えている。
 敵を討ったら、傷つくのは他ならぬリシャール自身だろうに。
 先の様子を一見しただけではただひたすら憎んでいるようではあったが、シリルのこの手の勘は、外れたことがなかった。
「愛されていることに気がつかないのは馬鹿だ。……それを知っていながら愛してしまう方も、どうかしてる」
「お前、リシャール様のこと好きになったのか」
 ギュスターヴは警戒している。シリルと自分とでは分が悪いと思っているらしい。
 シリルは鼻で笑った。馬鹿馬鹿しい。
 あんな男は、要らない。

「心配しないでくださいよ。あんな人、僕は嫌いだ。アルヴィンさんがあんなに愛してるのに、全部は信じないんだから」
「お前、せっかく綺麗な顔してるのに、性格きついな」
「馬鹿の相手ばっかりしてたらこうもなる。そうじゃないのは、アルヴィンさんだけだ。……そうだったのに、リシャール様に会ってから、アルヴィンさんも馬鹿になってきてる。あの人の所為で」
 アルヴィンがそれを望んでいるとは思いたくない。
 だが、アルヴィンはリシャールの全てを許しているように見える。それがひどく癪に障る。
 アルヴィンはシリルの全てだというのに、それを奪うものを認めるなど出来る筈のないことだ。
 それが、リシャールであるのが性質が悪い。
 もっと嫌える相手ならよかった。ならば、一太刀の下に切り伏せても見せたろうに。
 リシャールが寂しい人なのは分かる。その孤独を突き放してしまうことは、シリルにも出来なかった。

 沈黙が落ちる。そもそも話題が豊富にある二人というわけでもない。
 居たたまれなくなって、ギュスターヴは立ち上がる。
「……なあ、そろそろ戻らないか。アルヴィン達も戻ってくると思うぜ」
「……厭だ。もう少し…………っ」
 シリルは突然身を起こした。
 その様子に、ギュスターヴも辺りに気を配る。
 シリルは全身で警戒しながら辺りを見回していた。
「何だ?」
「誰か居る」
 シリルは腰に下げていた短刀を抜き払うや、近くの茂みに向かって投げつけた。

「ひっ!」
「誰だっ!」
 小さく上がった悲鳴を聞き逃さない。ギュスターヴも小剣を抜いた。
 がざがざと茂みが揺れる。
「出て来い!」
 シリルも立ち上がり、小剣を抜く。
 じりじりと茂みへと間合いを詰めていく。
 先に動いたのは間を取り切れないギュスターヴだった。
「ちぃっ」
 何かが後ろへ飛び退ったのが分かる。それは、瞬時に木の幹を伝い、木の上へと上がった。
「馬鹿っ!」
 ギュスターヴを一喝し、シリルはその木の下へ詰める。
「貴方は右だ!」
 その方が隣の木まで近い。
 何かが乗っているその重みに枝が軋んでいた。猫などの重みではない。もっと重いものだ。例えば……人。
「動くな! 殺されたいか!?」
「っ〜〜〜〜」
 唸る声がする。やはり、人のものの様だった。
「降りてこい!」
「……分かったよ! 分かりました!! だから、その物騒なもの片付けてよ! 怖くて降りられないじゃん!」
 拍子抜けする程明るく若い男の声がした。
 シリルとギュスターヴは面喰らって思わず顔を見合わせる。
 ギュスターヴはまだ抜き身だったが、シリルは剣を仕舞った。
「降りてこい」
「はいはいはいはい……っと」
 木の上から飛び降りる。くるりと宙返りをして着地する様は、曲芸師の様だった。

 少年、だ。ギュスターヴやシリル、そしてアルヴィンより更に少し幼い。
 栗色の髪に、大きな緑色の瞳が罰悪そうにシリル達を見ている。身なりはみすぼらしく、肩から大きな麻の袋を掛けていた。
 宮廷になどこんな子供がいる筈もない。何処かの農民だろう。
「……何だ、お前」
「いいよ。衛兵でも呼べば?」
「お前は何だと聞いているんだ!」
 剣の柄に手を掛ける。少年は大袈裟な仕草で震えて見せた。少し芝居がかっている。
 シリル達には、宮廷の衛兵を呼ぶ様な義理もない。自分達とリシャールやアルヴィンに危害がないならどうでもいいことだ。
「怖いなぁ、凄い綺麗なのに勿体ない。ちょっとお兄さんに見とれてただけだよ。許してよ。何にもしないからさ」
「お前、下働きでさえないだろ。何でこんな所にいる」
「……見つかっちゃったしなー。隠してもしょうがないか。泥棒しに来たんだ。今日はお祭りだから、表は厳しいけど中は手薄だから。さあ、捕まえてくれよ」
 大人しく両手をシリルへ差し出す。
 シリルは暫くその手を眺め、そして少年の顔へ視線を移すと強く睨み付けた。
 シリルは本気で短刀を当てるつもりだった。アルヴィンを凌ぐ程気配には敏いつもりだし、投擲にも自信はあった。それなのに。
 少年と目を合わせると、理由の分からない寒気に似た感覚が背筋を走った。
「……ギュスターヴさん、リシャール様にこっそり連絡してください。こいつは俺が見てる」
「何で。衛兵に突き出せば一発だろ」
「……分からないのか?……いいから連絡して下さいよ。出来たら来て欲しいって。アルヴィンさんが居たら、アルヴィンさんも。ケネスさんがいたらケネスさんは引き離して」
「分からない、って……?」
 ギュスターヴは首を傾げ、少年を見る。ギュスターヴの目にはただの少年にしか見えない。
 いまいましげにシリルは舌打ちをして、ギュスターヴに分かる理由を探した。
「……こいつは一人じゃない。仲間がいる筈だ。そうでないなら開き直りが早過ぎる」
「俺は一人だよ!」
 慌てた様に声を上げた少年を鋭い視線で一瞥する。さすがに怯んで、少年は口を噤んだ。
 見届けてギュスターヴへと視線を送る。
 今の一言で、一人ではないと叫んだも同じだ。
「宮廷に言うなら、全て捕まえてからでも遅くないでしょう。リシャール様の手柄になる」
「………………分かった」
 まだ少し納得していないが、シリルは何処か逆らい難い雰囲気を持っていた。確かに泥棒を放置するわけにもいかないし、主君への報告義務もあるだろうと渋々従う。

「……お前、手を頭の上で組んでそこに膝を付け」
「はいはい」
 少年は逆らわなかった。言われた通り、両手も頭の上で組んで地面に膝を付く。
 シリルはその前に立ちきつい瞳のまま少年を睨み付けた。
「お兄さん、ホント綺麗だね」
「黙ってろ。……捕まえたのが俺達じゃなかったら、本当に即刻処刑されてるぞ。それも、今日は祭りだからいい余興だったろうな」
「……それは、困るな、確かに」
 少年の顔から微かに余裕が消える。
「でも、何でお兄さん達はそうしないんだ? 俺が捕まったのは多分もうばれてるよ。時間に遅れたことなんか、今までないから。俺の仲間は助けに来る程余裕ないし、もう逃げてると思うんだけど」
「別に、ああ言わないとあの人には通じないと思ったから」
「助けてくれるつもり? お兄さん、頭良さそうな人に見えたけど、本当は馬鹿なのか?」
「……殺されたかったのか? お前」
「失敗したら死ぬんだよ。当たり前だろ。同情だったら要らない!」
「簡単に言うな!」
「お兄さん、食うや食わずなんて生活、したことないだろ? 稼げなかったら死ぬんだ。捕まろうが、捕まらなかろうが」
 少年は真っ直ぐにシリルを見た。睨むではない。そして、身分の卑しさから来る卑屈さや卑小さは微塵もなかった。
 精一杯世界に抗っている、その自負は潔い。
 目を合わせる。一切澱みのない、澄み切った瞳だった。

 こことは違う、何処か別の世界に通じる瞳だ。

「……お前、名前は?」
「ジュリアン」
「お前も、感じる人間か?」
「感じるって、何を?」
「こことは違う、別の世界」
「別の世界……?……………………ああ!」
 ジュリアンは大きな瞳を更に見開いてシリルを見上げた。シリルの言うことを理解している。
 シリルは、大きく舌打ちをした。


作 水鏡透瀏

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