アルヴィンが起き出したのは、もう昼も間近になった頃だった。
 奥底に燻る熱はまだ去っていなかったが、動けない程ではない。
 ごそごそと起き出して、ぼんやりと部屋の中を見回す。
 リシャールの気配だらけだ。
 朝や昨夜のことをまだ覚めない頭で思う。
 苛立ちと、不思議な安堵感がアムロを包んでいた。  まだ怠そうにしながらも、いつの間にか用意された衣類を纏ってリシャールを探して邸内を彷徨う。
 まだ仕立ては上がっていないらしく、少し古びた服なのはこれもまたリシャールの子供時代のものだからなのだろう。

 玄関の辺りでうろうろとしていると、昨日から見る女中長らしい女に見咎められた。
「少年、何をしている」
「……あ、あの…………リシャール、様……は……」
 厳しく言われ、アルヴィンは身を竦ませた。
 女はあからさまに眉を顰める。
「書斎でお前をお待ちです。全く……閣下を待たせるなど」
「……すみません……」
 益々身を竦ませるアルヴィンに大袈裟に溜息を吐いて見せ、肩に触れる。
「階段を上がり、左に行った一番奥の部屋だ。早く行きなさい」
「はい」
 軽く押されて、アルヴィンは側の階段を駆け上った。
 睨まれているのが分かる。
 内心で肩を竦ませた。
 アルヴィンとて、望んでこの状況にあるわけではない。
 睨み返せる程気が強ければもっと険悪にもなっただろうが、アルヴィンはとりわけ諦めが早い質だった。

 大きく重厚な扉の前に立ち、ノッカーを叩く。
「リシャール様」
「……アルヴィン君か。入りたまえ」
 重々しい扉に体重を預ける様にして開ける。
 中も同じように重厚な作りで、飴色をした大きな机にリシャールは座っていた。
「昼食を取ったらここを出るぞ」
「はい」
「おいで」
 腕を広げられ、アルヴィンは小さく溜息を吐いて従った。
 馬鹿馬鹿しい、その表情はリシャールに見せはしない。
 どのみち、一週間の付き合いだと割り切ってもいた。

「朝の続きをしようか?」
 後ろから抱き締められ、低く甘く囁かれて背筋が震える。
 アルヴィンは逃れようとしたが、リシャールは簡単に華奢な身体を抱き込んでしまっていた。
 尻に、リシャールの股間が押し当てられる。
 顔を歪めてアルヴィンは感覚に堪える。
「……また、あの女の人が来るでしょう」
「そうだな。彼女は優秀だが……融通が利かないのが困る」
「勤勉は美徳です」
「ああ……だが、無粋だ」
 首筋に顔を埋め、アルヴィンの香りを楽しむ。
「いい加減に……」
「ノウラのことを除いても……君に出会ったのは運命だと思うのだよ。何故だろうな。出会って間がないことは、これでも分かっているつもりなのだが」
「……っ……ん……」
 軽く首筋を吸われ、華奢な頤が跳ねる。
「やはり、君は心地いい」
「僕は……っ……」
「可愛いよ、アルヴィン君……」
 犬の様だ。
 アルヴィンは眉根を寄せ、唇を噛む。
 顔は何処か青褪めていた。

 瞳に宿る力は強い。
 リシャールに見えないのが幸いだった。
 赤味を帯びた茶色の瞳は、強く輝いている。
 リシャールなれば、昨夜と同じく、ひどく征服欲をそそられることだろう。
「いい香りがする。薔薇の香に似ているな」
「……ですから、止めて下さいと……」
「マリーエが来るまで……いいだろう?」
「良く……ないです、っ、あっ」
 悪戯な手が腰を抱き込み、太腿を撫でて股間へ触れる。
 アルヴィンは思わず、自由になる足の踵でリシャールの脛を蹴った。
「く、っ」
 向こう脛を蹴られ、リシャールは怯んだ。
 リシャールの膝を抑え、もう一度蹴る様にしながらアルヴィンは腕から逃れる。
「……やってくれる」
「貴方が無理を強いるからでしょう!」
「気の強いことだ。……だが、それも嫌いではないよ」
 決定的には離れないアルヴィンに目を細め、頬へ手を伸ばして包み込む。
 アルヴィンは誤魔化されず、まだリシャールを睨んでいる。
「いい目だ。ただ従うのでは、面白くないからな」
 リシャールには、一週間の余裕があった。
 それが、厭な笑みを深くさせている。
「素敵な趣味をお持ちなのですね」
 刺々しい。
 軽く肩を竦めて応えてみせると、アルヴィンは益々眉間の皺を深くした。

「険しい表情は似合わないな」
「貴方がそうさせているんでしょう」
 頬から手を離し、親指で眉間を擦ってやる。
 アルヴィンは一歩リシャールから退いた。
「逃げないでくれ」
「…………お食事はまだでしょうか。早く……行きたいんですけど」
 窓辺に駆け寄る。
 そのまま飛び立ってしまいそうに思えて、リシャールは腰を浮かせた。
 アルヴィンは窓枠に手を掛け、再びリシャールを睨む。
「……早めに出るのも悪くはない。腹は減っているか? 直ぐに用意させよう」
「葡萄酒を下さい」
「……朝食も取らずにか? 君も中々やる」
「……では、薔薇茶はありますか?」
 睨みながらも、何処か表情は乏しい。
 リシャールは首を傾げた。聞いたことのないものだ。
 「茶」というものは、香草の類を薬湯として煎じたものを言う。
 その手のものには大変疎く、リシャールは首を傾げる。
「薔薇? 煎じるのか? …………どの辺りで作られているのか教えてくれ。直ぐに取り寄せよう」
「結構です。……やっぱり、葡萄酒が欲しいですね」
「ふむ…………南から取り寄せた上物が城にある。申し訳ないが、今ここには昨日出したものしかないのだよ」
 目新しいものを出したい。
 見栄を張らずには居られないのだ。いかにも貴族らしい貴族であるリシャールの性だった。
 だが、アルヴィンは物事に対してひどく無頓着な質だった。
「十分です。……食事よりそれを頂きたいですね」
「バゲットくらいどうだね」
「……そう……ですね……」
 薄く切った欠片は、聖体拝領の典礼にも用いられる。
 アルヴィンは顔を微かに歪めながら、小さく頷いた。

 直ぐにリシャールは食事の支度を調えさせる。
 香草を混ぜたパテを詰めた鶏などが用意されたが、アルヴィンは全く手を付けようとせず、ただバゲットの欠片と葡萄酒だけを口にした。
 昨日と変わらず、食は酷く細い。
 リシャールがどれ程勧めても、決して手を付けようとしなかった。
「もういいのか。何も食べていないが」
「……ええ……もう十分、頂きましたから」
「昨日から……遠慮など無用だぞ」
「本当に……もういりません」
 リシャールより先に席を立ってしまう。
「ご馳走さまでした」
「大したものではないよ。……城へ行こう。君が葡萄酒の他は欲しくないというなら……城の地下に貯蔵庫がある。好きなだけ味わうといい」
「……ありがとうございます」
 口だけは礼を述べるが、リシャールと目を合わせもしない。
 苛立ち、リシャールも立ち上がってアルヴィンを捉えようと手を伸ばした。
 しかし、するりとその腕を擦り抜けてしまう。
 撓やかな様は猫の様だ。
「君は、全く……」
 呆れた様に溜息を吐く。
 幾筋か額に落ちた髪を掻き上げながら、凄味のある視線でアルヴィンを見詰めた。
 美しい顔がすればこそ、その凄味も増す。
 リシャールの決め技ではあったが、アルヴィンにはそれも通じなかった。
 そう利用する若さを窘める様に、苦々しい表情を隠しもしない。
 そんな時ばかり、アルヴィンはリシャールの数倍も生きた様な顔をする。

「なかなか思い通りにならないものだな」
「貴方にとっては遊戯でしょう?」
「そう思って貰っては困る。君だけは特別だ」
「戯言を……遊戯だからこそ、僕を面白がる。ノウラのことをのけても僕に触れようとなどする。でも、僕は、難しいですよ」
 また、だ。
 リシャールは背筋がぞくりとするのを感じた。
 アルヴィンの視線は険を増すごとに艶を帯びていく。
 手が宙を掴む様に動いた。
 しかし、それを直ぐに収めて微笑んで見せるのは、経験から来る反射なのだろう。
「諦めの悪い質なものでね。だが、君に関して私は何一つ嘘偽りなどないよ。君の方が余程隠し事だらけだ」
「貴方だって、別に本当に全てを見せているわけではないでしょう?」
「君はその隠し事が心苦しい筈だ。そういう顔をしている」
「僕の何が分かるというのです。この短い間に断じられる程、僕は単純に出来ていない」
「少なくとも君が愛らしいことだけは分かっている。その愛らしさが曇ることが気に入らないのだ。君の愛らしさは今の私にとって全てなのだから」
「不愉快ですね。僕は、可愛いだけですか?」
 あからさまに不機嫌さを表したアルヴィンに、リシャールははっとして口を噤んだ。
 しかし、一度口から出た言葉を取り消すことは出来ない。
「……済まない。君を愚弄する気はないのだ」
「ええ……ですが、もう黙って下さい」
「厳しいな」
「貴方は、それだけのことを言っています」
「だから謝っている」
「貴方って人は……!」
 心底呆れ、アルヴィンは言葉を失った。
 お貴族様なのだ。
 色のない顔で一際強く睨み付けると、アルヴィンはリシャールから完全に顔を背けた。

 控えていた侍女達は気付けば立ち去っている。
 リシャールは躊躇うことなくアルヴィンに近寄った。
「君がその他のことを私に教えてくれないのが悪い」
 逃れるアルヴィンを壁に追い詰める。
 体格差が歴然としてい、それは簡単に叶ってしまう。
 小さな顔の真横に手を付き、長い手足で動きを封じてしまう。
 顔を寄せ、頬をざらりとした舌で舐める。
「教えて欲しいな。愛らしく、淫らである以外の君のことを」
「……これが、その為の行為ですか?」
「君がそうさせている。自覚を持って貰いたいな」
 心臓に悪い程の美しい顔が迫る。
 反射的にアルヴィンは目を瞑った。
「っ、ぁ」
 細く声が上がる。
 リシャールの膝が足を割り開き、この間に息づく場所を押し上げる様に煽っていた。
 アルヴィンの手が閃く。
 しかし、それはリシャールの頬を打つ前に捉えられて壁へと押しつけられてしまった。
 併せて先んじられ、両の手が押さえつけられる。
 アルヴィンの手首は細く頼りなく、大人の男の手なら片方で十分だった。
「いい加減にして下さい!!」
 堪りかねて声を荒げる。
 リシャールはその声を、甘美な音楽の様に受け取った。
「悪し様に罵るがいいよ。それでこそ、君を理解できようというものだ」
 狂気にも似た声音にアルヴィンの背筋が凍てつく。
 咄嗟に足を踏んだがリシャールは動じない。
 流れに止まる様に、アルヴィンはリシャールの足の上で強く足を踏み締めた。


作 水鏡透瀏

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