硬い金属がぶつかり合う。
 弾かれる。
 飛ぶ。
 突き付けられた剣刃が太陽を弾きぎらぎらとした光を放つ。
「…………ま、参った……っ……」
 息を荒げギュスターヴは叫ぶ。
「そこまで!」
 楽しげなリシャールの一声に、どさりと地面へ尻を付いた。

 兜を脱ぎ捨てる。
 汗が滴り、額や頬、首筋に髪が張り付いていた。
 目の前には、先まで自分に剣を突き付けていた少年の姿がある。
 既に剣を収め、ギュスターヴに向けて手を差し出していた。
「大丈夫? 手加減はしたつもりなんだけど」
「手加減……あれで!?」
 常ならば自尊心の高いギュスターヴのことだ、勝った相手に差し出された手など意地でも取りたくない。しかし、こうまで圧倒されると意地の張りようもなかった。
 しきたり通りにまずは馬上。
 すれ違った瞬間どう槍を突き出されたものかも分からないまま、気付けば地面に振り落とされていた。
 気を取り直し馬を捨て剣で斬りかかったかと思えば、柄に近い辺りを狙われて剣をはじき飛ばされ、喉元の鎧の継ぎ目へと刃先を突き付けられていた。
 反撃の糸口もないまま、勝負は一瞬で決してしまっている。
「見事だ、アルヴィン。君なら一流の騎士になれる」
「……どうも」
 全身を覆う甲冑を付けているギュスターヴに引き替え、アルヴィンが身につけているのは鉄の輪を幾つも連ねただけの鎧に胴当てを重ねただけだ。機動力においては圧倒的に上回る。
 勝つのも当然だと言わんばかりだが、軽装で戦いに望むにはそれなりの自信と度胸が必要だった。
「私も手合わせをしてみたいな。君を見ていると血が騒ぐ」
「……怪我をしたらつまらないよ」
「私にも勝つ気でいるな。ギュスターヴ、私の甲冑とロージォを用意しろ!」
「本気ですか?」
「当たり前だ」
「……マリーエに叱られますよ」
「男が戦うことを止める術など、女にはない。いいから早くしろ」
「…………はい」
 叱られるのはリシャールだけではない。しかし主君の命には逆らえなかった。
 ギュスターヴはアルヴィンの手を借りて立ち上がり、兜を抱えてよろよろと城の中へと戻っていった。

「貴方は変わってるな、本当に」
「私も、さすがに舌先だけでこの地位を手に入れたわけではないよ」
 暇そうに片隅の草を食んでいるネージュの鼻先を撫でながら、リシャールは実に楽しげに言う。
「元々武器を手にしている方が性に合っている」
「僕は嫌いだな。戦いなんか。血の匂いも嫌いだ。無駄に流すくらいなら僕にくれればいいんだよ」
「……それはそうだな。私の血は戦場で流すくらいなら全て君に捧げよう」
「馬鹿だよね……」
 しみじみ呟く。この甘言が、発せられる瞬間には真実だと言のは俄に信じられる事ではなかったが、アルヴィンもそろそろ慣れては来ていた。
 アルヴィンを引き寄せて額に軽く口付け、リシャールは庭を見回す。
「それはそうとシリルはどうした。私達を邪魔しないのは喜ばしい限りだが」
「ノウラと一緒にいてくれてる。ノウラも完全ではないから、不安定なんだ」
「あとは……」
「聖堂と、何処か。貴方がよく行くところ。……貴方しか分からないことだ」
「彼女を連れて行っていなくても可能性はあるのか?」
「あるよ。死んでからも、貴方を追い、守っていただろうから。……宮廷には、ノウラを連れて行けはしなかっただろうけど……可能性は高いと睨んでる。だって、貴方が一番危ない目に遭いそうな場所だから」
 画策していることがあるなら……そして、それを、当事者達が気付いている可能性があるとするなら、本当に宮廷はリシャールにとって危険な場である筈だ。
 三十路を回るまで生き抜いてきたのだからリシャールも優れているのだろうが、相手がそれを上回らないとは限らない。
「……危険だから、あまり君達を連れて行きたくはないのだがね」
「貴方より大丈夫だと思うけど。……守ってあげてもいいよ。僕が」
「それは……嬉しい限りだが、私の台詞だな。君は私が守るから、案じなくていい」
「……誰が危なくしてるんだよ。貴方が動きたいんだろう?」
 アルヴィンもネージュの鼻面を撫でた。
 リシャールの時には返しもなかったものが、顔を上げ、擦り寄ってくる。
 すっかり懐いている様子だ。
「ネージュもいるしね。貴方の方が心配だ」
「君に心配して貰うというのは、悪くない気分だ」
「だって、ノウラが可哀相だろう? 彼女は、貴方に生きてて欲しいんだから」
 突っ慳貪ながら、裏に滲む想いが可愛い。
 リシャールの顔が近付いてくる。
 アルヴィンは眉を顰め、リシャールの側から逃れるとひらりとネージュの背に乗った。
 軽く脇腹を蹴る。ゆっくりとネージュは歩き始めた。
「何処に行く」
「貴方の準備が出来るまで城の中にいる。用意が終わったらギュスターヴ君でも寄越してよ。今日は天気がいいから……少し頭痛がしてきた」

「お疲れ様でした。相変わらず、凄いですね」
「大したことないよ。ギュスターヴ君が少し手加減しようとしてたから」
「失礼な奴だな」
「優しい子なんだよ。僕達がしっかり戦える事なんて教えてないんだから、普通なら手控えようと思うだろう?」
 屋根の付いた回廊の柱へ寄り掛かる。
 太陽は嫌いではない。怖くもない。だが、それと、身体の反応とは少しばかり別だ。陽の日中の光は強く、季節も夏に差し掛かっていることもありアルヴィンには少し辛かった。
「水でも持って来ましょうか」
「そうだな。……葡萄酒がいいな。頼めるかい?」
「はいっ」
 勢いも体力も有り余っている風に駆け去るシリルと入れ違いの様に、ノウラがアルヴィンへと腕を絡めてくる。
──リシャール様と、するの?──
「そうみたいだね。あの人がそう言って……準備させてる」
──あの方は、強いわ。貴方も気を緩めないで──
「だろうね。いい身体をしているし……目が違うよ。戦い慣れた人、血の匂いをよく知っている人だ。それは、分かる」
──そうね……近くで見たことはないのだけど……まだ身分が低くかった頃、赤の騎士って二つ名があったらしいわね。戦場で、鎧が倒した敵の血で染まっていて、それが乾く間もなかったからだそうだけれど──
「それは、凄いな……」
 その名は随分恥ずかしい。しかし、リシャールならばそれを背負って尚、負けることもないのだろう。
 リシャールもその名を自覚しているのか、衣服やローブも赤系統の色合いのものが多い様に思う。想像は容易かった。
──今の鎧もわざわざ赤い輝きを持たせているわ。名乗りを上げるまでもない様にって。それで……ロージォでしょう? 本当に、きっと何処にいても分かるわ──
「あの人らしい、のかな。混戦でも分かり易いだろうね」
──戦になるなら、見られるわね。あたしも……この身体なら一緒に行けるわ。何処へでも──
「君が居てくれるなら、僕もリシャールも負けないな」
──だといいのだけど──
「心配?」
──当たり前でしょう? 貴方達が痛い目にあったり、苦しんだりするのは厭だもの──
 側の木に手綱を括り付けたネージュに擦り寄る。ネージュとノウラも何処か仲が良くなっていた。

──あら……噂をすれば──
 遠くからガチャガチャと金属の擦れ合う音がし始める。
 台車に甲冑一式を乗せたギュスターヴが来ていた。
「大変だね。手伝おうか」
「……いいえ。大丈夫です」
「綺麗な鎧だね」
 何を混ぜてあるのか、赤金色をした金属で出来た鎧だ。胸元には美しい図柄が彫り込んである。磨き上げられ、傷の一つも見当たらなかった。
「傷を負わないのが、あの方の信条だから」
 アルヴィンが何を考えたのか、大体を察したのだろう。アルヴィンは微笑んだ。
「それでも、後陣に居るわけではないんだろう? 凄いんだな」
「これから手合わせするんでしょう? なら、分かると思います」
「君は見たことあるのか?」
「はい。命を助けられました」
「そうか」
「…………まだ支度には時間が掛かるから、もうちょっと休んでて大丈夫です。陽の光が辛いならそう、」
 いい子だ。力に引き摺られてもいない。
 結局未だ話す時間を取れないでいたが、ギュスターヴの心の強さは十分に認められるものだった。
 だが、顔色はあまり良くない。魔物は夜を好み太陽を嫌う。その影響はギュスターヴにもある様だった。
「ありがとう。少し葡萄酒を貰ったらリシャールの所へ戻るよ。君も、あんまり得意そうには見えないな。辛かったら、後は僕とシリルでやるよ?」
「俺がやります!」
 可愛らしい嫉妬だ。ギュスターヴが、呆れながらもリシャールに心酔しているのは分かる。
「そう? じゃあお言葉に甘えて、もう少し休んでいようかな。……マリーエさんの方は大丈夫なのか? 僕とリシャールが手合わせなんて、嫌がりそうだけど」
「……もの凄い顔で睨まれました。だけど、リシャール様の命令の方が上だから」
「だろうなぁ…………」
 マリーエもまた、アルヴィンから見れば可愛らしいものだった。必死でリシャールに尽くし、リシャールを守ろうとしている。
 政治的な思惑もあるのだろう。だが、それ以上にリシャールに強く惹き付けられているのが分かる。
 リシャールにはそんな、特別な魅力がある様に思う。アルヴィンですら抗い難いのだ。並の人間なら余計にそうも感じるものだろう。

「今日こそ、聞かせて欲しいんですけど」
「持って行かなくていいのか? それ」
「少しだけ、時間を下さい。貴方は……魔物なんですか?」
 台車をその場に起き、アルヴィンと共に日陰へ入る。
 リシャールが邪魔をして、結局あまり話す時間を持てていない。
「聞いてみた?」
「分からないって返された」
「……そうか……そうだなぁ…………分からないよ。僕にも。ただ、葡萄酒か……それに似たものがないと生きていけない。葡萄酒は、主の御子の血だ。僕は、そういうものだから」
 軽く地面を蹴る。
「俺が俺の血を引き渡したものを、何故分かる」
「感覚。人じゃないものの気配くらいは、感じられる。とても昏い思惟を感じるけど……あまり上位のものじゃないな。君が強い子で良かった。もう少し心の弱い子だったら、乗っ取られてる」
「何人か、食い潰されたって聞いた」
 アルヴィンは微かに頬を青褪めさせながらも微笑む。
 すっかり強張っているギュスターヴの顔を覗き込み、冷たい手でそっと頭を撫でる。
 性質を表してか真っ直ぐで屈託のない髪は手触りがいい。
「そういう例は少なくないよ。だから……やっぱり、人が宿すのに相応しいものではない。悪魔でも、天使でも、それは同じだ。人は、人としての範囲を越さないことが何より幸せなことなんだ。……戦いが身近なものではなくなったら、君にも分かると思う」
「戦がなくなることなんてあるのか? 人のままでは、あんまりにも力が足りない!」
「力が全てじゃない。……リシャールはいい年をして、君にそんなことも教えられないのか……困った人だ」
「リシャール様は関係ない」
 きっぱりと言い放つ。アルヴィンは溜息で応えた。
 関係がないから、駄目なのだ。
「君に接してきた人達がみんな、力が全てだってことしか君に伝えられなかったなら、それはそんな人達の咎だ。君の世界は少し……狭いみたいだな」
「……もういいです!」
 アルヴィンの手を振り払う。
 説教を聞きたいわけではない。台車の把手を握りリシャールの下へ行こうとする。
 アルヴィンは咄嗟にその腕を掴んで引き留めた。
「待って!」
「何なんです!! もうこれ以上聞きたいことなんかない!」
「君が手に入れた力は、ノウラやシリルやリシャールとは違うものだ。似ているけれどね。それだけは……忘れない方がいい」
「離せっ!」
 手首を捻り、振り解く。
「失礼します!」
 台車を持ち、アルヴィンを一際きつく睨み付けると、ギュスターヴは駆け去ってしまう。
 アルヴィンは、大きく溜息を吐いた。

 程なく戻ってきたシリルから葡萄酒を受け取り、瓶に口を付けて呷ってからリシャールの下へ戻る。
 リシャールは既に鎧を身につけ、ロージォを呼んでその鼻先を撫でていた。

「遅かったな。大丈夫か?」
「うん。ちょっとね。涼んで……飲んでた」
 片手にした瓶を軽く上げてみせる。
「おいで」
 呼ばれて駆け寄る。
 触れ合うことは難しい。殊にリシャールの鎧は指先までを篭手で覆ってしまっている。
 頬に触れた手が事の他冷たく思えて、アルヴィンは軽く身を竦ませた。
「一手手合わせをしてくれたら、君に私をあげよう」
「貴方がしたいだけだろ」
「それなら一手とは言わない」
「……馬鹿だよね」
「口付けが欲しいな」
 出来る限り身を屈めてアルヴィンに顔を寄せる。
 仕方なく、アルヴィンはその頬に唇を押し当てた。
 リシャールは心の底から嬉しそうな顔で微笑む。
 シリルはもの凄い目でリシャールを睨んだが、ノウラに擦り寄られ渋々目を反らせた。
「随分素直になってきたな」
「貴方が面倒な人だって、よく分かってきたから」
「どう思われていても構わないよ。私は、私の心のままに動いているだけだ」
「随分我が儘な子供だな」
「好きに言うがいいさ。……ギュスターヴ、ランスを持て。アルヴィン、構わないな」
「いいよ。一手だけでいいなら」

「くっ……」
 盾の表面を槍先が滑る。
 力で押されると、アルヴィンには少々分が悪い。
 ネージュの手綱を引く。直ぐに馬体を反転させ、リシャールの懐へ飛び込もうとした。
 切っ先が上腕を掠める。
 怯むことなくアルヴィンは槍を繰り出した。
 だが、リシャールとて引かない。
 そんな打ち合いが、もう暫く続いていた。
 馬上の二人より、馬の限界の方が近い様だった。その点では、ロージォより若干ネージュの方が勝る。
「ちぃっ」
 腕の長さが違うのが余計に不利だ。リシャールの突き出してくる槍は的確だった。
 盾でいなすが力が響いてじんと腕が痺れる。
 なるほど、自信に溢れている様なのも十分に納得のいく腕だった。
 埒があかない。
 このまま戦うことは諦めて、アルヴィンはリシャールへ向けて槍を投げる。
 はじき返される間に剣を抜き払い、一気に間合いを詰めた。
「く、っぅ」
 リシャールの懐へ一瞬で潜り込む。刃ではなく柄で、リシャールの頤を思い切り突き上げた。
 金属の鋭い音を響かせて、兜が飛んでいく。
 弾みでアルヴィンの軽い身体はネージュの上から転げ落ちた。
「っ……」
 辛うじて衝撃を緩和させる腕の付き方をし、直ぐに身を起こす。
 重装備をしていたらそうも行かなかっただろう。
 その為の軽鎧でもある。戦いの場に於いて、身が軽くないのはアルヴィンの様な小柄な者にとっては余計に命取りだ。
 剣を構え直しリシャールを見据える。
 リシャールも馬から落ちている。そして、装備が重い為に急には立ち上がれない。
 近寄り、喉元へ剣を突き付ける。
「……一応、僕の勝ち」
「………………さすがだな」
 剣を収め手を差し出す。
 手を取りあったが、そのまま引き上げて立たせることは出来ない。
 決着を見届けて駆け寄ってきたギュスターヴと二人がかりで立ち上がらせる。
 鎧の重量は、リシャールの体重の半分より若干重い程だ。無理もない。

「これだけの腕前なら、確かに心配はなさそうだ。別の意味では心配になるが。適当なところで負けて欲しいな」
「相手に依るな。貴方みたいな人を相手に、わざと負けるのは難しいよ。気付かれるから」
「出たいか?」
「……たまにはね。腕が鈍るから。ここでやったって馴れ合うだけだし。これから戦になるって言うなら、少し感覚を取り戻しておきたい気はする」
「……仕方がないな…………今年はギュスターヴの一人勝ちだと思っていたが」
「アルヴィンさんが出るなら僕も出ますよ。何人か強いのが居たら紛れるでしょ。何なら貴方だって出たらいいんです。貴方はそんなに、血腥いんだから」
 リシャールとアルヴィンの間に割って入る。
 苛々するが、リシャールの腕も見事なものだった。シリルが今まで見た中で、一番凄い試合をしている。
「アルヴィンが出るなら遠慮をしておくよ。私は皆に醜態を晒すわけにもいかないからな」
「リシャール様、鎧に……傷が」
「ああ……久々だな。私の鎧に傷が付くのも。やはり君は素晴らしい。鎧鍛冶があまりに私の鎧が長持ちするので困っていた。久しぶりに腕を振るわせてやろう。……シリル君は普通の人間だったな。辛い様な素材はないな」
「ないですけど、皮は生臭いから嫌いですね。頭が痛くなる」
「君の美しさに見合ったものは用意してあげよう。アルヴィンの代わりだ」
「それは……どうも」
 暢気かつどうにもシリルを慮ることのない言葉に、シリルは軽く肩を竦めるだけで応えた。
 まあ、用意してくれるなら、そしてそれがリシャールの外面を保つ為に必要なものなのなら、それなりのものが供されるのだろう。
 ならば、シリルに否やを唱える謂われもない。
 アルヴィンは複雑そうな表情で、シリルを見守っていた。


作 水鏡透瀏

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