「……やっぱり、君達には見えるんだ」
振り返り、柔らかな笑みを浮かべて少年二人を見る。
「ここが死んだ場所だからね……一番強く、残ってる」
「アルヴィン…………何の話をしている」
ノウラを見詰めて動けない若者達とは違い、困惑した様子でリシャールは三人を見ている。
アルヴィンは小さく首を傾げて、掌に乗る白い欠片を差し出した。
「……どうして、分からないんだ?」
「だから……何をだ」
「ノウラを……何故感じられない」
「居るのか、ここに」
小さな舌打ちが聞こえた。
大人しげで柔和、その仮面はどんどん剥がれている。
「貴方なら、分かる筈なのに……!」
殴って分かるものなら今すぐにでもそうしたい。アルヴィンは拳を強く握る。
「ああー…………こんなにはっきり貴方みたいな人に会えたの、初めてなんですけど……あ、あの、ノウラ、さん。初めまして! シリルと言います」
綺麗で優しそうな人だ、そう判断したシリルは交信を試みる。
ノウラはシリルに向けて、にっこりと微笑んだ。
笑みの柔らかさはアルヴィンと似ている。それだけで、シリルは心を許せる気になった。
「あ、あの……自分は、ギュスターヴと申します!……ノウラ殿……その……」
続いて名乗るギュスターヴにも、ノウラは微笑みかける。
そしてふわりと地面に降り立つ様な仕草を見せると、アルヴィンの首周りに腕を絡め、頬を寄せる。
──いい子達ね──
「…………リシャール、手を貸して」
「……何だというんだ」
「いいから貸せっ!」
強引に手を掴み、掌を合わせる。
「なっ……うわっ!」
視界が突然陽炎の様に歪む。
何か熱気の様なものに包まれた気がして、リシャールは身を竦めた。
空気が濃くなり、全てがゆっくりと見える。
森の気配が消え、極彩色の虹の直中にいる様な錯覚がする。
その中で明瞭なものと言えば、自らの手と、アルヴィン。そして……。
「………………ノ……ウラ…………」
アルヴィンに腕を絡め、微笑んでいる姿。
喉が渇ききった様に声が引っ掛かり、上手く声が出ない。
懐かしい姿。
優しく、暖かいその腕の感触を覚えている。母の腕と同じ温もりを持っていた。
──ああ……リシャール様…………──
声は直接脳髄へと響く様だ。
アルヴィンから離れ、ノウラはリシャールへと腕を伸ばす。
手を取り、引き寄せた。
少女の甘く柔らから肢体だ。
堪らなくなって、リシャールは口付けた。
──んっ……ぅふ…………──
ノウラは喜んでそれを受け入れる。
リシャールの片手はアルヴィンと繋がったままだった。もっと両腕でノウラを抱き寄せたく、その手を払う。
「ぅっ…………」
濃密な空気が、瞬時に掻き消えた。
軽くなり、ノウラを抱き締めようとしていたリシャールは咄嗟に踏鞴を踏む。
「な…………何故…………」
くたり、と、汚れることも気に掛けず膝を付く。
その世界には、静寂が続いていた。
「素養はあるのか……だけど」
「アルヴィン、ノウラは!?」
「ここにいる。変わらず……貴方に見えないだけで」
「何故……何故だ!! 何故私には彼女が見えない!」
「……足りないからだ。貴方に、力が。だけど、そんなもの……普通に生きて行くには、余計なものだから」
アルヴィンの視線はリシャールではなく、少年二人へ向けられる。
ギュスターヴはその目に堪えられず顔を背けた。
シリルは息を呑みながらもアルヴィンとリシャール、そしてノウラを不安げに見詰める。
「私に足りない力を……君達は持ち合わせているというのか」
「僕は、持ってる。シリルは違う。ギュスターヴ君も、違う。貴方にノウラを見せられるのは僕だけだ」
「だが、彼らにもノウラの姿は見えているのだろう!?」
「見えてはいるし、ノウラには声も聞こえているだろうけど……彼らにノウラの声は聞こえていないと思う……」
「私には、姿すら見えないというのに」
「それが、普通だ。ノウラはもう……死んでるんだから」
手がゆるりと動き、何かを撫でる仕草をする。
ノウラの髪を撫でているのだと、リシャール以外には分かる。
「アルヴィン、もう一度……」
「……手を。僕の手を払えば、またノウラは消える。貴方にとってノウラは、それくらいの存在なんだよ。……そう言うことだと、理解して下さい」
「私が、ノウラを想う気持ちが足りないとでも言いたいのか」
「そうじゃない。……手を貸して下さい。そんな言い方をしたら、ノウラが可哀想だ。ノウラは、貴方を愛していた。貴方に愛されていた」
リシャールの手を掴む。
再び、極彩色の波がリシャールを包んだ。
──ごめんなさい、リシャール様──
「……何故君が謝る」
──あたしは、生きていてはいけなかったの。……それを、お伝えする前に、あたしは貴方の前から消えてしまったから──
ノウラの細い腕が絡んで来る。
アルヴィンと手を繋いだまま、慎重にリシャールはノウラを抱き寄せた。
暖かいのか、そうでないのか、分からない。ただ、感触はある様に思った。
「何故……そんなことを言う。生きていてくれなければ、私は君を愛せなかった」
──あたしの役目は、それだけでした。カードも星も、あたしにそれを告げた。だから……あたしは貴方に会って、心の傷を残したのです。その傷が、貴方とアルヴィンを引き合わせてくれるから──
頬に唇が触れ、リシャールの顔が安堵に緩む。
──あたしは、満足です。あたしの役目を果たせたから──
「君の役目……それが、私とアルヴィンを引き合わせることだというのか」
ノウラは微笑んで頷く。
──アルヴィンに会えて、良かったでしょう?──
「しかし、君がいないのでは意味がない」
──あたしは邪魔なのよ。引き合い過ぎるの。……とても難しい事よ──
甘える様に、ノウラが擦り寄る。
少女の媚びは、何処か清純さを残して愛らしい。
リシャールは、恐る恐る口付けた。濡れた感触が、ある。
──ふふ…………変わらないのね、リシャール様は──
一通りの口付けを受けてノウラは笑う。笑い声に擽られている様で、リシャールは笑みを浮かべる。
その表情に、アルヴィンは思わず息を呑んだ。
子供の様な、無垢で美しい笑み。甘く溶けていく。空気の色まで変わる。
華やかで甘い、薄紅に。
どれ程愛を囁かれても、アルヴィンにはリシャールのこんな表情を引き出すことなど出来ない。
何故その事に衝撃を受けるのか、理解は出来なかった。
リシャールが思うのはノウラで、そのノウラに繋がるからこそ、自分に愛を囁く。それは、理解している。
それ以前に、リシャールの囁きは鬱陶しいばかりだった筈。そう……その筈だ。
呆然と二人を見るアルヴィンに視線を向け、ノウラは笑った。
──……貴方なのよ、本当は。多分。私が先ではないの──
囁きの意味が分からない。
困惑するアルヴィンに、更に微笑む。
──帰るわ、ここは暇だもの。連れて帰ってくれるのでしょう? アルヴィン──
リシャールに絡んでいた手がアルヴィンに伸ばされる。
アルヴィンは、強引にその手を掴み、引き寄せた。
「連れて帰る。君が完全になったら、手なんて繋がなくても……リシャールにだって君が分かる筈」
──…………そうね。だけど……──
「不安?……そうだよね。ずっと分かれていたんだし」
──……そういうことではないのだけど……でも、貴方が迎えに来てくれたんだもの。帰るわ──
「……リシャールと居てあげて」
──……ええ──
頬を合わせる。リシャールと違い、唇を合わせる必要性は感じなかった。
「……リシャール、これを持っていて。媒介があれば、声くらい届く筈だから。ずっと、僕と掌を合わせているわけにはいかないだろうし」
ノウラが離れて不安げな顔になっていたリシャールへ、もう一度白い欠片を差し出す。
「……これは?」
「………………骨、の欠片。こう深くてバラバラになっていたら、全部は集めてあげられないから」
「……ノウラ…………」
両手で恐る恐るそれを受け取る。
再び景色は戻ったが、リシャールはただその欠片を見詰めて落涙した。
力なく、ぺたりと座り込む。
「ノウラ、これを媒介に出来るよね」
──そうね……他にないから。私は、貴方が媒介でも構わないのだけど──
「……それは、僕が厭だよ。君の代わりにリシャールに触れられるのは……厭だ」
──あたしの代わりにリシャール様に触れてはくれないの?──
「それは……」
言葉に詰まったアルヴィンを笑う。
──うふふふふ……いいわ。さあ、帰りましょう。そこの子達も。こんな所に長居は要らないのでしょう、貴方達は──
アルヴィンの両肩の上へ後ろから腕を置き、抱き締める。アルヴィンも、触れてくるノウラを一撫でして、リシャールの腕を取った。
「…………ノウラには何時でも会える。帰りましょう。もういい時間です。これから戻れば夕時になる」
地面に尻を付き、こくり、と頷く様子は、寄る辺を失くした幼子の様でさえある。
「シリル、手を貸して」
「あ、俺が……」
リシャールを立たせ損ねるアルヴィンに、ギュスターヴが手を貸した。
この場の誰より大きな身体を引き上げ、立たせる。
ハンカチで顔を拭ってやっても、リシャールはただ欠片を見詰めて泣くばかりだった。
──仕方のない方ねぇ……──
愛おしくて仕方がない様に、ノウラは呟いた。
アルヴィンはリシャールから目を反らしながら頷く。
「……それだけ……君を愛していたんだよ」
──…………あたしには、この人の母親になることなんて、出来なかったわ──
「母親?」
意外な言葉を聞く。ノウラを見、首を傾げた。
ノウラは微笑み、アルヴィンの頬に軽く口付ける。
──そう。リシャール様が求めるのは、そういうものよ。そうでないなら、貴方。……あたしは、何をどうしたって代理に過ぎないの。この方は気付いていないけれど──
ふわり、とアルヴィンから離れ、リシャールの首に纏い付く。本人だけが気付かない。
──帰ったら、あたしが居るのよね──
「ああ。そうだよ」
──じゃあ、もう少し力を使えるわね。そうしたら、リシャール様にもあたしのことが見えるかしら──
「どうかな…………」
リシャールの力は、何処までも、何処か足りない様に思える。
「完全ではないからね、それでも。君を全部集めたいんだけど、分かるかな」
──ごめんなさい。自分の事って、分からないものね──
「ううん。いいんだ。仕方のないことだから。……さあ、帰ろうか」
リシャールはギュスターヴが支え、シリルはアルヴィンと並んでみんなを見回す。
安堵というより辛そうな表情のアルヴィンの肩に手を回すと、ことり、と頭が凭れてくる。
幸せと隣り合わせの不安を抱えながら、一同は帰途に就いた。
また一時間程の山道になる。
行きと違い、軽口を叩くものは居なかった。リシャールの所為で、何処か空気が潤んでいる様だ。
──ねえ、アルヴィン、あの子──
「ん? ああ……ノウラも分かった?」
──可哀想な子──
するりとギュスターヴに触れる。
驚いて、ギュスターヴは立ち竦んでしまった。
何も分からないリシャールが尋ねても、ノウラのいる……リシャールにとっては虚空を見るだけだ。
「どうした、ギュスターヴ」
「いっ……いいえ……」
──ごめんなさい。驚かせるつもりはないの──
ノウラの声は聞こえない。ただ、優しい空気だけは伝わる。
「ノウラが君を心配してる」
アルヴィンの補足に、ギュスターヴの顔が強張る。
「そんなの……」
「リシャール様は、」
「もう、ほっといて下さい!」
叫ぶなりリシャールをアルヴィンに押しつけ、放り捨て、ギュスターヴは一人掛け出して行ってしまう。
「ああ…………拙い事言っちゃったか……」
──あたしが行くわ。貴方はリシャール様に付いていてあげて──
「うん。ごめん」
ギュスターヴの気配を辿りノウラは離れていく。
取り残されるリシャールを抱え、アルヴィンは心配そうに二人を見送った。
そこへ、
「アルヴィンさん! あの」
「何?」
「何か、厭な感じがするんですけど」
「厭?」
シリルが不安げに周りを見回している。
彼の感覚は、アルヴィンとは僅かに違った方向に鋭い。
「何か来ます。ギュスターヴさん、一人にしたら危ないかも」
「何……………………っ!」
ぞわり、と背筋に悪寒が走った。
リシャールを手放し、緊張を走らせる。
「行くよ、シリル」
「はいっ」
「貴方は後から来い!」
「あ、アルヴィン!?」
リシャールが引き留めようとする前に、アルヴィンとシリルは走り出していた。
続
作 水鏡透瀏
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