DVDで鑑賞。
コメディでおなじみのアダム・サンドラーが、重いテーマと役柄に全編シリアスな演技で取り組んだ作品。
同時多発テロの残した爪痕は深く大きく、今現在も後遺症などに苦しむ人がおり、長い月日が経ったとはいえ未だ生々しさを残している。だからこそ、この映画が出たときには「もう映画にしてしまってもいいのか?」と正直少し驚いた。
私自身は2001年9月11日当時、アメリカのメリーランド州、飛行機の一つが墜落したペンタゴンからはそう遠くない場所に住んでいたので、直接的にではないかもしれないけどあの事件は「ともに経験した」と感じているし、直後に町や人々を包んでいたピリピリと殺気立った緊張感や重苦しい空気などは、実際に肌で感じて今も覚えている。
鑑賞中にそれをまたうっすらと思い出させられていたけど、しかし私でさえそうなのだから、現実に家族や友人や大切な誰かを失った人などは、この映画を苦痛なしに観ることはとてもできないんじゃないのか? と思った。
映画館で、映画の途中で席を立った人が多数いても不思議はないんじゃないか……
そう思わせるほどに、この映画の主人公チャーリーの、計り知れない喪失感や痛みを抱えて生きる様は痛々しかった。
悲惨な事件のことばかりか、『妻と娘たち、愛する家族がいた』という事実まで記憶から消したふりをしようとするチャーリー。そうでもしなければとても生きていけない精神状態というのは、想像もつかないほど壮絶で、いっそチャーリーが自ら命を絶たずにいたことが奇跡。
膨大なレコードのコレクション、ドラムセットにビデオゲーム。彼なりの様々な現実逃避の方法の中でも、延々と繰り返されるキッチンのリモデル、これに込められた理由と意味がとても切ない。
はじめは周囲と同じ、腫れ物に触るような態度でチャーリーに接していたアラン。自らもまた孤独と問題を抱えた『同類』なのだと自覚した彼が、チャーリーと同じ目線に降りてきて語り合う、後半のこのシーンがとても好き。
それと裁判所のシーン、溜め続けてきた思いをぶちまけたチャーリーが、さんざん怒鳴り散らした後に義理の母親に近付いてキスをするところ。ここはかなり涙腺がヤバかった……(´д⊂)
チャーリーとアランの他にも、病んだ人、傷を抱えた人、苦しみ悩む人々がたくさん出てくる映画だけど、やっぱり人を助けて癒すのは最終的に同じ『人』なんだろうなと、観ていてしみじみとそう感じた。
マイ評価:★★★★☆
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