「貴方が……父親?」
 リファスは思わず気色ばんだ。
 父親といえば……ルシェラを心身共に追い詰めている張本人ではなかっただろうか。
 ルシェラ自身の認識はともあれ、国での日々の話を聞いた身としてはその様にしか思えなかった。
 目の前の男は大変上品で優しく穏やかに見えるが、内面など分からない。
 外面のよい嗜虐嗜好者など幾らでもいる。

――おとうさま、やっと、やっと……おむかえにきてくださったのですね。……ルシェラは、ずっと、おまちしていました――
 リファスの警戒心など意にも介さず、ルシェラの喜色が部屋を満たしていく。
 触れていない。けれども、強い思いがリファスに声を届ける。
 声がひどく幼い。舌足らずな話し方は、これまでに聞いたどの声とも違った。
 気が殺がれる。
「…………私を覚えているのか……まさか……」
「貴方が、ルシェラの父親なんですか!?」
「いや…………どう、説明してよいものか……このルシェラ殿下は、私の子ではあらせられない。しかし……」
 ルシェラの身体を優しく腕で包みながらも、戸惑いを隠せていない。
「貴方方に、どの様に説明すればよいものやら、見当がつかぬ。……申し訳なくも思うが、今はこのままに……」
「国守は脈々と力と記憶を継いで行く。それくらいの事は、教科書に載ってる」
「それをご存じか……。教科書、とは?」
「俺は、ラーセルム王立学院の卒業生です。世界の成り立ちとか、国守様についてのある程度の事は勉強してますし、ルシェラからも少し聞きました」
「然様か……」
 ルシェラの髪を繰り返し撫で付け、頬を寄せ合う。ルシェラの方からも全てを委ね、擦り寄る仕草を見せていた。
 非常に安心し落ち着いた様子から、大使がルシェラが語った父親ではないという事が理解出来て来る。
「……最後にルシェラという存在に会ったのは……三十年近くも前になるか……」
 いとおしげに腕の中の存在を見詰め、頬を手で包む。
「…………すまなかった、ルシェラ……助けてはやれず……」 
 またしも、大使の双眸から涙が溢れ出した。

 ノーヴェイアはルシェラを抱きかかえ、椅子に座り直した。
 膝に抱き上げた華奢な身体を、子供をあやす時の様にゆっくりとゆらゆら揺らす。
――おとうさま、おとうさま……だぁいすき……るしぇらは、とっても、おとうさまのことがだいすき……――
 にこにこと可愛らしい言葉を繰り返す。
 リファスには変わらず、触れていなくても声が届けられる。ひどく複雑な思いがして、リファスは眉を顰めた。
「育てば……この様になるとは…………想像はしていても、中々に……斯くも辛い思いがするものなのだな……」
 微笑んだまま甘えているルシェラの様子を伺い、頬にかかる髪を軽く払ってやる。その仕草の全てが優しく慈愛に満ち、ルシェラを慈しんでいるのがよく分かる。
「貴方は……ずっと昔の、ルシェラのお父上なんですか?」
「ああ…………そう、なるか……」
 額や頬に唇を寄せる。幼子にする様に……。
「私の子は、三歳で亡くなった。その記憶が、よもや受け継がれていようとは……思わなかった……」
「だから、幼いのか……」
 急に幼くなったルシェラに納得がいく。
 記憶が心を引きずっているのだろう。不安定な精神は、僅かな刺激でも激しく揺れ動く。
「……私には聞こえぬが、貴方にはルシェラの声が聞こえているのか?」
「はい。……触れていれば、はっきりと。でも、今も……とても強い想いだから、触れてなくても届いてるみたいです」
「貴方のお名前は」
「リファスと申します。リファス・グレイヌール・アトゥナ」
「……リファス……!!」
 大きく声が上がる。
 驚愕した顔で見詰められ、リファスは困惑した。
「リファス様……そうか……それで……」
 ルシェラを撫でながら、ノーヴェイアは何度も頷いた。
 リファス自身には何の話だかさっぱり分からない。
「あの……」
「リファス様も、やはり、運命(さだめ)の輪の中に生きるお方でございましたか」
「何の事ですか?」
「リファス様が力を継がれるお社の話は伺った事がない。なれば貴方は、存在そのものが鍵となる方か……」
 ルシェラから視線を外し、リファスを見詰める。
 静かに、懐かしげに。
 リファスは戸惑いを隠せず、母親に縋る様な視線を向けた。
 しかし、勿論エリーゼにも分からず困る。側に控えている姉二人も同じ事だ
「あの……」
「記憶は肉体が朽ちると共に失われる。それを継げるのが国守、しかし、貴方は……国守としての道は選ばれなかったのでしょう」
 ルシェラから片手を離し、リファスの膝に触れる。
「お話致しましょう。私に分かる範囲の事であれば」

「現在のティーア国王セファン陛下には、かつて、一人の兄君様があらせられました。それが国守でもあらせられたルシェラ殿下。二人とも私の従弟に当たり、大変仲のよいご兄弟であらせられました」
 おもむろに、ノーヴェイアは話し始める。
 ルシェラを撫でる手は止まらない。
「ルシェラ殿下には、お一人、常に側に付き添う男の方がおりました。その方は、その当時のルシェラ殿下より四十以上も年上でいらっしゃいましたが、本当に心の底よりルシェラ殿下を愛し、慈しんであらせられました。その方のお名前が、リファス殿、と」
「…………俺と、同じ名前?」
「六十も過ぎたお姿しか拝見しておりませんでしたので、直ぐには思い至りませんでしたが……確かにそのご容姿、リファス様のものとお見受け致します」
「俺の前世とかって、そういう話ですか?」
 思い当たる様な事は……ない、と言い切れない自分に気付き、リファスは愕然とした。 
 ルシェラに出会ってからというもの、これまでの自分はなかった考えや行動などが出て来る事が増えた。
 ルシェラに「やっと」会えた……そう思ってしまう。理由など分からないが、大使の話を聞いていると、違和感を覚えるどころか納得してしまう自分がいるのだ。
 大使の話を頭から否定し、拒絶する事は出来なかった。

「前世、と言うものなのかは……分かりかねますが。その様に定められているのは、国守様方、運命の輪の中のお方だけでございますれば」
 大使の言葉遣いはすっかり改まり、若輩のリファスに対するものではなくなっている。
 部屋の中には他にエリーゼとリファスの姉二人がいたが、全く口を挟める状態でもなかった。
「私の知るリファス様は、十七年前、八十歳でお亡くなりになられました。それまでに、幾人もの「ルシェラ」を見守り、看取られてきたと伺いました」
「幾人も……」
 リファスは胸を鷲掴みにされる様な感覚を覚えた。
 苦しむ姿を僅か一週間見守り続けたただけでもこれ程に辛いというのに、これを幾度も看護し、その死を看取り続けるとは……如何ばかりの苦痛だろうか。
 とても耐えられそうにはない。
 八十年……想像もつかない。

 ルシェラはノーヴェイアの腕に抱かれ、半ば眠る様にうっとりと目を閉じて全てを預けている。
 今日の体調はそう悪くはない筈だ。
 しかし、この部屋に入るまでは必死で自立しようとしていた様なのに……子供返りを起こしているかの様な姿に苛立ちを覚える。
「セファン……その当時には殿下であらせられましたが……セファン殿下は、兄君様を大変……心から愛していらっしゃいました。しかし、ルシェラ殿下はリファス様を心から愛し頼りにしてい、それは、亡くなられるまでお変わりありませんでした……。セファン殿下にはそれが許せなかった」
 ルシェラとリファスの顔を代わる代わる見、小さく溜息を吐く。
「私の子は、その次代の国守となるべくして生を受けました。リファス様の祝福も受け、短くとも、精一杯に幸福で穏やかな日々を過ごして行く筈だった。それを……セファン殿下は、国守としての養育をするという名目で、私の手からルシェラを奪い去った。その頃ルシェラはまだ三歳にもならず、漸く自分の名や親である私の名を覚え、挨拶を覚え、可愛い盛りだったというのに……」
 腕の中のルシェラに頬を寄せる。
「身体こそ弱かったものの、利発で明るく、本当にいい子だった……。セファン殿下に引き取られた後は、一切会うことも許されず……半年の後に、死亡したとの通知だけが届けられたのです…………」
「……ルシェラは繰り返し、国守は寿命以外の理由で死ぬ事はないってそう……言ってますけど……」
「……大抵の場合はその様だが…………それ以外の理由で死ぬ事もある……それが、あの子だったのだろう……」
 ルシェラを見詰めながらも、心はここにない。既にない、我が子を見詰めている様だった。
「それは……?」
「……国守の力を継ぐというのは、心身に大変な負荷がかかる。国守の父として学んだのだが、力の継承は十歳を越してから執り行う事というのが、大きな注意事項として挙げられていた。それを、セファン殿下は待ちきれず……三歳の幼子に無理矢理継承させた。その結果……その幼子の心身には受け入れる事が出来なかったのだろう。継いだ後、意識を取り戻す事もなく…………全身から血を噴出して死んで逝ったと……人からは聞いた……」
 振り絞る様に発せられた言葉に、リファスは絶句した。

 想像に余りある。
 血に塗れ苦しみ、命を落として逝く幼いルシェラ……想像するだけでも、息が詰まりそうになる。
「……死に目にも……遺体にも、会えなかったんですか……?」
 口の中がやけに乾いている。
 その悔しさを知っている気がした。
 口惜しい。ルシェラにその仕打ちをした人間に対してもだが、その魔手からルシェラを守れなかった自分に対する怒りと遣る瀬無さが突き上げた。
「ルシェラがセファン殿下に引き取られて直ぐ、私は駐リルディア大使に任ぜられティーアから離れる事を余儀なくされました……その頃には当時の国王陛下は病がちで伏せる事が多く、大抵の事に関してはセファン殿下が若くして実権を握っていらっしゃいましたので…………リファス様も、恐らくは遠ざけられていたのではないかと思います」
 ルシェラを抱きかかえる腕は強張り震えている様だった。
 三十年近くになると言っていた。
 それまで、死に目にすら会えなかった子供の事を考え続けて来たというのだろうか。
 側で鼻を啜る音が聞こえた。
 ふと見ると、エリーゼがぼろぼろと涙を零している。
 子を持つ親には、より深く感じ入るものなのだろう。
 リファスには、悲しむ気持ちがないではなくとも、それよりふつふつと込み上げる怒りの方が大きかった。
 助けてやりたかった。助けなくてはならなかった。
 それなのに、手を差し伸べる事も出来ず……セファンを諌める事も、手を取り連れ出す事も出来なかった。
 悔しい。
「そして、その次の国守が、今のルシェラなんですか?」
「いいえ。もうお一方。先代が……十一まで生き、そして亡くなっていらっしゃいます。その方の事は、よく存じ上げません」
「その国守も……殺されたんですか」
「…………いいえ。ティーアの国守を陽の下でお育てすると、太陽を司るの神々の王に招かれる、と申します。恐らくは、我が子ルシェラを亡くした事を受け、セファン殿下なりに慈しんで育てようとした結果、早くに命を落としたのだと……そう、思いたい……」

「…………その、その時の……リファスは……」
「……………………先代が亡くなられて直ぐに………………自ら命を絶たれたと……」
「……自ら……」
 八十という齢では、それから新たなルシェラを見守る限界も感じたのだろう。
 正気でいたかどうかも怪しいものだと思う。
 自分の事だとは思わないが、この大使の語るリファスという人物の想いは、痛い程分かる気がした。
 ルシェラが精一杯生きた上での死なら、まだ許容も出来るだろう。
 しかし、この様では……殺されたも同じ。それを守れなかったともなれば、罪悪感も、自身に対する嫌悪感や苛立ちも並々ならぬものになるだろう。
 守りたいという想いばかりが先行する。それが満たされぬ場合に、そう、自分も年齢を重ねていては、絶望もする。
「ルシェラは……そんなに…………酷い状況に置かれ続けているんですか? 今だって……ルシェラから国での話を聞いたけど……国守で、王子様ともなれば、皆から敬愛されて、何不自由なく、幸せに暮らすものなんじゃないんですか!?」
 幸せでいて欲しい。病で苦しむのならば、より一層……ただ、ひたすらに、幸せに、愛されて。
 ノーヴェイアに詰め寄る。
 ノーヴェイアは縋る様なリファスの視線から逃れる様に、ルシェラを抱えたまま僅かに身を捩った。
「ルシェラは……こんなに、綺麗で、優しくて、人から愛されるべきものをたくさん持ってるのに、何で……そんな……」
 感情が堰を切った様に溢れる。
 止め様もなかった。
「何で……何で……!!」
 ノーヴェイアの胸元を掴み、激しく揺さぶる。
 大使は、ただなされるがままだった。
「リファス!! やめなさい」
 エリーゼが声をあげ、それに呼応する様に控えていたエリファがリファスを羽交い絞めにしてノーヴェイアから引き離す。
 連携してエルフェスは大使とルシェラの側に寄り、様子を伺った。

 ルシェラはリファスの強い感情に当てられ、怯える様にノーヴェイアへ縋り付いている。
 ノーヴェイアはルシェラの髪を繰り返し撫で付けながら、リファスの行為にただ堪えていた。
 詰られるのも仕方のない事だと諦めている様だった。
 かつてのリファスはともあれ、今のリファスはまだ十四の子供だったし、自身に負い目もある。
 全てを捨てて無理を貫き通せば、我が子を救えぬ事もなかった筈だ。
 何処かに手段はあった筈、その想いがこの三十年という間、ノーヴェイアの頭を離れた事はなかった。
「大使、過去を悔いるのは結構な事です。過去とは、今をより良くする為のものなのですから。ですから……これからのお話を致しませんか?」
 この中で、大使、リファスに次いで状況を理解している。
 エルフェスは努めて明るく前向きに大使に接した。


作 水鏡透瀏

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