二週間が過ぎていた。
ルシェラは随分リファスに懐き、手を繋がずともその気配を感じているだけですっかり落ち着ける様になっていた。
ゆっくりと、しかし確実に癒されて来ているのが分かり、それだけで嬉しくなる。
ただ、未だファディスには会えないでいた。
扉の前まで来る気配で、ファディスが安心して会える相手である事は感じるが、しかし、ルシェラの持つ「父」という言葉への印象がそれを難しくしている。
無理をさせるつもりはないが、複雑過ぎる感情を露にするルシェラに、リファスは悲しくなった。
また、場に慣れるにつれ眠る時間も長くなっていた。眠りは浅いが、日がな、夢と現を行き来している。
体力のなさがそうさせているのだ。
もう何年も真面に自分の足で歩く事すらしていない。数秒間立っているのがやっとの有様では仕方もなかっただろう。
リファスに触れている時以外には、殆ど眠っている様でさえあった。
…………あるひと時を除いて。
初めの一週間は瞬く間に過ぎたし、状況に順応する事で手一杯だった。余裕がなく、他の事など考えられもしなかった。
次の一週間は自分のこれからの事……世界を知りたいと言った、自分の短い将来の事で、また余裕はなかった。
そして、その次……。
リファスの手によって少しずつ広がりを見せる世界にも慣れ始めた。
花、空、大地、木々……。
庭にあるものには触れてみた。曇りの日や陽の当たらない時間には、昼間でも外に出、世界に触れた。
物を知るという感覚は大変に心地よく、満たされる思いがする。
しかし、満たされる心とは裏腹に、余裕が出てくると現金なもので身体がかつて感じていた渇きを思い出し始めた。
三日と空けず……ここ数年には毎日男に触れ穿たれていた身体は、そうでもなければ命の維持すら危うい程になってしまっていた。
リファスの手から受ける命の力は大きなものではあったが、それまでそれに伴っていた性感がないと、物足りなさがどうしても付き纏う。
それでも、二、三日は何とかやり過ごした。
しかし…………。
「っ……ふ、ぅ……」
噛み殺し損ねた喘ぎ洩れる。
二週間の間に、気候は随分と暑く……ルシェラにとっては暖かく、多少過ごしやすい季節になっていた。
窓も雨戸を閉めず、窓掛けも透かした薄手のものになり、月明かりが部屋を明るくしていた。
柔らかくもひやりとした月の光が、ルシェラの気分をより高めている。
性行為はルシェラの精神均衡の中でも、かなりの位置を占めていた。
自身にとっての、自身の存在意義と同義だと言っても過言ではあるまい。
状況認識その他から僅かでも意識が離れた時、ルシェラは喩え様もない不安を覚えていた。
触れ合い、優しい口付けを額や頬や髪に受ける。
それは大変に嬉しい事だったが、リファスからただ与えられるだけの温もりや優しさはルシェラにとって未知のものだった。
リファスはそれ以上を求める事はない。
国というものを未だ背負っていても、それはリファスにとって有益なものでもないのだ。
与えて貰える安らぎの代償に何を渡せばよいのか……。
ルシェラにはこの身一つしかない。
かつてダグヌにそうした様に身体を捧げる事も出来るが、今のルシェラにはそれを受け入れて貰える自信すらなかった。
下賤の男達に穢され続けた身体。リファスが触れてよいものだとはどうしても思えない。
触れる唇すら申し訳なくて仕方がないというのに、この醜い身体が捧げるだけの価値があるものだとは到底信じ得なかった。
しかし、そう思えば思うほど、満たされない半端な熱が波紋の様に広がった。
疼く。
触れられもせず、身体が熱を帯びて疼く事など今までに経験がない。
ルシェラは自分の身体を明らかに持て余していた。
過ぎた快楽が苦痛に転じる事は厭と言う程知っていても、こんな半端に放り出されたままという状況を知らない。
恐る恐る自身の股間へと手を遣る。
誰からも許しの言葉がない。触れてよいものか……長らく躊躇う。
力をついでから後、ルシェラの性は全て管理されていた。ダグヌを誘った頃のルシェラにさえない。
「っ……」
指先が微かに先端を掠めた。
ひくり、と震えが走る。
自慰を強要された事はあるがそれは煽られた挙句の事であり、昂ぶり収まりが付かなくなる前に自らそこを弄うのは初めてだった。
「……ぁ……ぅっ……」
声らしい声は出ずとも、呻きの様なものは洩れる。
下着の中に手を入れる。僅かに反応している茎に手を沿わせ、羽根が触れる様にそっと動かす。
「ふっ……っは……」
分からない。
開放される瞬間は知っている。それに向かって高めて行きたい。そうでなくては収まりなどつくものではない。
だが……。
ルシェラは、自らの手で達した事がなかった。
それすら許されては来なかったのだ。
物心つく以前から弄ばれ続け、自慰など強要される以外に必要すらなかった。憂鬱に思いこそすれ、自ら進んでその行為に手を染めようなどとこれまでに考えた事もない。
許可なくして、そして、他人の手ならずして達する事を許されても来なかった。
どうすれば昂ぶる事が出来るのか……ルシェラには分からない。
「……くっ……っふ……」
裏筋を這わせ、更に奥へと指を這わせる。
細く頼りない指先が、秘められた蕾へと触れた。
「ひぅっ……」
何の潤いもない。しかし、慣れたそこは酷いほどの痛みは齎さず、中指の第一関節ほどまでを飲み込む。
足りない。
手を一度戻し、指を口に含む。まだ体調が伴わず口の中は渇いていたが、なんとか唾液を絡めた。
濡れた手を再び秘蕾に触れさせた。
「ぁっ……んぁ……」
二本、差し入れる。
全く足りない。それでも、何もないよりはましだと深く潜り込ませる。
ルシェラの指は細く撓やかで、美しいにしても男の指だと称するには余りに頼りない。短いわけでもないが、欲しいところへ欲しい様にするには、相当の無理が生じていた。
「ぁ……ぁ…………っ……」
指で奥を弄ろうとする度に、とりあえず反射で背筋が震える。
引き攣りながらも、肉茎は反応し始めていた。
「んっ……んぁ……」
じわり、涙が浮かぶ。
色の悪かった頬が紅潮していた。
潤んだ……けれども見えぬ瞳が室内を彷徨う。
襞を掻き分けた指先が奥まった場所にまで触れる。
熱い。
今朝の体温はそう高過ぎはしなかった筈だ。一日を過ごし、少し発熱しているのかもしれない。
そうは思っても、手を止める事は出来なかった。
中の襞が蠢き、指を奥へと引き込もうとする。指股が裂けそうな程に差し入れても、それでもまだ指は届いてくれなかった。
「っ……く……っぅ……」
歯を食い縛っても、くぐもった声にならぬ音が洩れ続ける。
自身の指に僅かな昂ぶりは見せるものの、その指の受ける感覚に慣れず到底満足の行くところには到達できない。
ルシェラは余りの侭ならなさに身悶えながら敷布に茎を擦り付けた。
「はっ……ぁは……っ……」
うつ伏せ、少し腰を浮かせて妖しく揺らす。
――浅ましいものですな――
「ひっ……」
耳の奥に残っている低い声。
身体の芯がどくりと脈打つ。
「ぁ……っ……ぃ、ぁ…………」
助けを求めて叫びたい衝動に駆られ大きく口を開いたが、喉元で引っ掛かったまま出て来はしない。
――兄上。私の許しもなく何をなさろうと仰るか――
呪が解けない。
「……ぅ、ぁ……っゃ…………ぁっ、あ」
見開いた虚ろな瞳から大粒の涙が溢れ零れ落ちる。
手の動きを止めようとしたが、止まらない。
「……ぁ、ぃ…………ぁ……っ……ぅ……」
謝罪の言葉が口を突く。
瘧にでもかかったかの様に身体が震えていたが、それでも、どうしてもルシェラはその先へ進む事が出来なかった。
その時。
「ルシェラ、どうした? 大丈夫か?」
扉が叩かれ声がする。
声はルシェラには聞こえない。けれど、扉を叩く音とその向こうの気配だけは強く感じた。
「っは……!」
「入るぞ」
ルシェラの僅かな気配の変化と声を感じたとでも言うのか、リファスはそっと扉を開けた。
月明かりに照らされた身体が身悶えている。
リファスは我が目を疑い時を止めた。
ルシェラは気配が近づいた事は感じたものの、その他には気を回す余裕がない。
そのままに自らの手に欲情と困惑を繰り返していた。
「……ル……シェラ……ぁ、あ、ごめんっ!!」
リファスは直ぐ様部屋から飛び出し扉を閉めた。
扉に背を当て、ずるずると廊下に膝を付く。
……驚いた。
深く息を吸い、気を取り直す。
当然といえば、当然なのだ。
ルシェラとてそれなりの歳なのだから、たまの自慰くらいするものだろう。
しかし、他人のそういった状況を見てしまったのはさすがに初めてで、混乱してしまう。
心臓が早鐘を打っている。
凄い……本当に凄いものを見てしまった。そうとしか言えない。
部屋の空気がやけに濃密で、飲み込まれそうな気さえした。
「はっ……」
息を吐く。落ち着きが何とか取り戻せてくる。
「すげー…………」
顔が火照っている。
「…………………………じゃなくって!!」
慌てて立ち上がる。
ルシェラの身体の事を思い出していた。
「ルシェラ、入るからな!!」
もう一度宣言して扉を開ける。
ルシェラの状態は変わらなかった。
手を妖しく動かしながら肉茎を寝台に擦りつける。艶めかしく美しい。月の青白い光に映し出された姿は、この世のものですらないようだった。
意を決し、部屋の中へ踏み込む。
ルシェラの側に寄り、肩へと手を伸ばした。
「っ、ひ……ぁ!!」
ルシェラの身体が大きく跳ねる。
「ごめん、ルシェラ。でも……その……」
――……ごめんなさい。ごめんなさい!! お許しください。もう……もう……――
リファスの言葉を聞き終わる前に、ルシェラの撓やかな腕が伸び、リファスに縋りつく。
――ごめ……なさっ……助けて……たす……け……――
全身で叫んでいる。
触れた部分からルシェラの悲鳴が響き、リファスは身を竦ませた。
「ルシェラ、しっかりしろ!!」
――や、っ……あ……あぁ……申し訳ありません……お許しを……もう……致しませんから、だから……――
「ルシェラ!!」
――……ぁ…………ぁあ…………――
リファスが強く抱き返してやると、漸くルシェラの混乱が収まってくる。
「ルシェラ…………落ち着いて……」
――…………リ…………ファ……?――
「うん。……邪魔してごめん。でも……お前の身体でいくと、さ……心臓とかに凄い負担がかかって危ないから……」
髪を撫で付ける。
ルシェラの身体は震えていた。
――お許しください…………お願い……助けて……――
「……そのままって……辛い、よなぁ……。でも、負担をかけると本当にやばいんだ。自分の身体だ。何となくは分かってるだろ?」
ルシェラは嫌々をする様に首を振る。
そして、涙に暮れる瞳でリファスを見詰めた。
リファスの体温がよりルシェラを煽る。
昂ぶり始めた身体には、他人に触れられる事全てがより一層の昂揚感を生む。
「……ルシェラ……」
――助けて…………助けっ……ください……――
ルシェラの細い指がリファスの頬を捉え、支える。
唇が合わせられた。呼気すら食い尽くすかの様に、ルシェラの唇と舌がリファスを嬲る。
「っん、ん……ぅっ……」
リファスは目を白黒させる。
けれども、ルシェラを突き放す事は余計に考えられもせず、ただなされるがままに任せる。
「ふっ……ぅ……」
唇の合わさる口付けを全くした事がないとまでは言わないにしても、経験は明らかに乏しい。
ルシェラの唇の齎す感覚に、リファスは翻弄される。
ただ、微かに懐かしい感覚があった。懐かしく……いとおしい。知っている気がする唇の味わいだった。
「っ、はっ…………は……」
漸く離れる。
しかし、ルシェラはまったく物足りていない様で、リファスの首筋に唇を押し当てた。
「ちょっ、まっ……待てって……」
――ぉ……助……て下さ……お許っ……し……だ……い……。もう……いきたい…………いかせっ……お……ね……い……――
余程に切羽詰っているのだろう。聞こえる声すら切れ切れだった。
この細く頼りない身体の何処から湧くのか、縋る腕は力強く、リファスには解けそうもない。
ルシェラの膝がリファスの膝上に乗り、腰が妖しく踊り始めている。
まだ十代も半ばに差し掛かったばかりのリファスには、余りに強い衝撃だった。
「……助けろ……って……俺に、どうしろ、って……」
訪ねる声も喉が焼け付く様で裏返りがちになる。
――い、か……せて……ぃ……きたい……っ……――
荒い息がリファスの肌に触れている。
リファスは眩暈を覚えた。
「自分で…………出来ないのか?」
他人にいかせて欲しいと懇願するなど、おかしな話だ。
リファスは跳ね上がっている鼓動を抑えながら、じっとルシェラの様子を伺った。
月明かりの下でも、その美しさは際立っている。
青白い光でも、頬や目元が紅潮している事は分かった。涙と汗に濡れる頬に髪が絡んで艶めいていた。
開いた唇からは荒い呼吸と、言葉にならない喘ぎが切れ切れに洩れ続けていた。
「……駄目だよ、ルシェラ…………」
それだけを何とか紡ぎだす。
「今いったら……絶対に体調を崩す。今より苦しくなってもいいのか?」
ルシェラは首を横に振った。言葉の意味を全て理解していたわけではないだろう。それを解するだけの余裕がルシェラにはない。
「我慢……出来るか?」
また、ルシェラは首を横に振った。
リファスの首筋から衣類の上へ、そして、身を屈めてリファスの股間に唇で触れる。
「っ、だ、だからっ、待てって……っ!!」
――助け……て……いきた……っ……おねがい…………お願い!!――
突き放せない。
服の上から、ルシェラは繰り返しそこを舐める。
リファスは腰を引き、ルシェラから逃げた。
肩を掴み、身体を引き起こす。
「…………ちょっと待ってろ。薬、用意してくるから。いったら……確実に発作が起きるんだから。な」
――ゃ、いや、行かないで……一人にしないで!! 助けてください! たすけて……たすっ……――
ルシェラは身を乗り出し、リファスの肩に腕を乗せ、強く抱きついた。
「うわっ!!」
急に掛けられた重みに均衡を崩し、ルシェラを支えきれずに二人して床へ落ちる。
厚手の絨毯が敷かれている為に痛くはないが、それでもそれなりの衝撃だった。
「ルシェラ……」
「っぁ……ぁ…………」
リファスの上に乗りかかる状態で、ルシェラは受け止められていた。
「っ、くっ……」
一瞬自分の唇を舐めて潤すや否や、ルシェラはリファスの唇にもう一度噛り付いた。
「ん、っ……ぅ……」
流される。
リファスはこれ以上抵抗する事も出来ず、ただその唇に与えられる快感に堪えた。
続
作 水鏡透瀏
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