「……追い払われたんだよな、俺」
サディアに促され退室したリファスは、廊下ではたと立ち止まりサディアの言葉を考えた。
まぁ、邪魔と言えば当然邪魔だろう。繋がりがあると言っても、全く覚えがないのでは二人の話の腰を散々折ってしまう事にもなる。
それは分かっているのだが、何処か割り切れない思いが残る。
片時も離れたくない。それだけではなくて、サディアと二人にしておくのが不安なのだ。
無論、サディアを信用していないわけでない。疑ってもいない。
美しい王女と二人きり……王女に何かあるという危惧ではない。喜び合う二人の姿が、どうしようもなく不安にさせる。
自分に入り込む隙などあるのだろうか。
サディアが知っているらしい、かつての自分とルシェラの関係など意味がない。不安を解消するものなどになりはしないのだ。
ただ側にいたいだけ。
そう言い聞かせても、自分に嘘を吐き通す事など出来そうになかった。
モヤモヤとしたものを抱えながら台所へ向かう。
サディアの注文もあるが、リファスの癖でもあった。
楽を奏でるか、何か菓子などでも作るか。それが、気を紛らわせる方法だったし、その間に考えを纏める方法でもあった。
「あ、」
「リファス、ご様子は?」
台所には母親がいた。
軽く、遅めの昼食を摂っている。
「二人きりで話がしたいんだってさ」
「そう」
「それから、サディア殿下、今日うちに泊まりたいって」
「……急いで準備しなくちゃね」
「ん……俺がやるからいいよ。さっさと食べて、仕事に戻らなくちゃだろ」
「ええ……でも」
前掛けを身につけ、製菓用具を棚から出しながらリファスは母をあしらう。
慣れた手つきで材料を量っていく。
「これを窯に入れたら、ちょっとエル姉んとこ行ってくる。サディア殿下を探すとか呼ぶとか、姉貴の考えだったんだし、姉貴の人脈だから」
牛酪を柔らかく練りながら母を振り返る。
粉に挽いた砂糖を混ぜ、更に溶いた卵を混ぜる。
最後に穀物の粉を入れ、へらで軽く混ぜ合わせた。
手際よく一連をこなして、鉄板にそれを小さく纏めて並べていく。
その間にエリーゼは食事を終え、席を立った。
「置いておいていいよ。片付けておくから」
「ええ、ありがとう。任せるわ。準備も、夕飯も……任せて大丈夫?」
「うん。夕方には姉貴も帰ってくるし。そろそろ仕事に戻れよ。午後の往診の時間だろ」
「はいはい。頼りがいのある息子でありがたいわ」
エリーゼが台所を去り温めた窯に菓子の素を放り込むと、リファスは再びルシェラの部屋へ向かった。
扉を叩き、暫し待つ。
少しして扉が開き、サディアが顔を覗かせる。
「菓子が出来たか?」
「いえ。今焼いてます。その間に、姉貴にサディア殿下がいらした事を伝えに行こうと思いますので……十数分の事ですが、家に二人きりになってしまいそうなので、お知らせしておこうと思って」
「そうか。案ずるな。ルシェラの加減も今はよい様だ。お母様はいらっしゃるのだろう?」
「はい。診療所の方に」
「なら心配は要るまいよ」
「では、ルシェラの事、よろしくお願いします」
「…………すっかり保護者だな」
目を細めて微笑んだサディアにリファスは面映ゆさを感じ、足早にその場を去った。
「すみませーん。姉貴、いますかぁ?」
丁度午後の奉納舞が終わったばかりの巫女の詰め所へ顔を覗かせ、リファスは声をかけた。
「あ、リファス君!!」
一度に巫女達が色めき立つ。
男子禁制の筈が、腕を引っ張られて連れ込まれる。
「あ、あのっ姉貴は」
「いいからいいから。今から丁度お茶なのよぉ〜」
「いえ、あの、急いでるんで……姉貴を」
数人に取り囲まれ、たじろぎながら何とかエルフェスを呼んで貰う。
ここに来る度に同じ様な状態で歓迎を受ける。
嬉しいと言うよりも、不可思議で不気味だった。女という生き物がよく分からない。
見目もよく、性格も素直で可愛らしいとあって、姉の同僚の年上女性達のみならず同輩からも、年少の少女達からも非常に受けがよい事に、本人だけは全く気が付いていなかった。
「リファス、何入ってきてるのよ。男子禁制だって、分かってんでしょ」
幾人もの幼い付き人に取り囲まれ、汗を拭かせながらエルフェスが出てくる。
姿を現すだけでその場の空気を全て塗り替えてしまう。舞の後で未だ余韻を残しているエルフェスはその華やかさで弟すらも圧倒した。
汗ばんだ白いうなじや晒した肩に黒髪が絡んでいる。生唾を飲むほどの色香に溢れていたが、幸か不幸か実の姉に対しての艶な気分など浮かぼう筈もない。
「あ、ああ、姉貴……お疲れ」
「どうしたのよ。珍しいじゃない。あんた、ここに来るの厭がるくせに」
「厭じゃないけど…………」
若い女の化粧と肌の匂いの入り交じったこの空間を嫌う思春期の男はそういまい。
「で、何?」
側の十歳程の少女から手拭いを受け取り、化粧が落ちない様に軽く額に押し当てながらちろりと弟を見遣る。
「ここじゃちょっと……」
言い澱む。
エルフェスは軽く手を振り周りから人を遠ざけた。その姿はまさしく女帝だ。この場でエルフェスに逆らえるものなど一人もいない。
見計らい、リファスはその耳元に口を寄せる。
「……サディア殿下がお越しになった」
「マジで? 書簡が来たとかじゃなくて、ご本人が?」
ひそひそと返された言葉を受けてこくりと頷く。
「分かったわ。……あたし、帰る!」
「エルフェス様っ!?」
高らかなエルフェスの宣言に、周りの少女達が悲鳴にも似た驚きの声を上げる。
また仕事は残っている。
大体、このところエルフェスは仕事を放棄しがちだ。
この美しさと誰より優れた舞手でなければ、とうに神殿を出されているだろう。
「司祭様には、体調不良で帰りましたって言っといて。リファス、帰るわよ」
「いいのかよ」
「いいわよ。あたしの仕事は舞う事だもの。今日の仕事は終わり!」
手を側の少女へ伸ばす。少女慌てて、その腕に上着を掛けた。心得ている。
「ありがとう。司祭様に怒られたら、エルフェスは後ほどお部屋に参ります、って言えばいいわ」
エルフェスは艶やかな微笑みをその少女への褒賞とした。少女はさっと薄赤く頬を染めて一歩下がる。
止めるものは誰もいなかった。
ひらりと優雅に布が舞ったと思うと、それは既にエルフェスの艶めかしい肩を包み込んでいた。
姉と共に家に帰り、直ぐに台所へ駆け込む。
程よくいい香りの漂う窯を開け中の鉄板を取り出す。
網の上にあけ、粗熱を取りながら少しばかり刺激のある香りの香辛料と砂糖を混ぜ合わせたものを振りかけた。
冷めた頃には味も馴染み、さぞサディア好みの味になっているだろう。
そう考え、リファスはふと手を止めた。
サディアの好みなど知る筈もない。何故、そう考えたのか分からない。
小首を傾げつつ、湯を沸かしにかかる。焼き菓子に合う飲み物を作らなくてならない。
「まさか、あたしの分だけないなんて事、ないわよね」
「一人分くらい増えても一緒だって。姉貴のはいつもの湯飲みに淹れといてやるから、ここで好きに飲んでろよ」
急須に茶葉を入れて湯を満たすと、側の砂時計をひっくり返す。
「ディラ地方の領主様、今度何時来る?」
「さぁ……今月中にいらっしゃる思うけど、何で?」
「茶葉が切れてきたから。あの地方のが、やっぱり一番美味いんだよな」
茶葉を入れていた容器を振ってみせる。かさかさと乾いた音が微かにした。
「はいはい。おねだりしておくわ」
これでは領主も顔がないが、この姉弟にそんな意識など全くない。ちやほやされる事が当然過ぎて、その特異性には気づきもしなかった。
冷め始めた菓子を皿に取り、盆に乗せる。湯飲みも乗せ、時間を待った。
そのうちに砂が落ち切る。
サディアとルシェラに届ける湯飲みに注ぎ分け、残りをエルフェスの湯飲みに空けた。
「冷めちゃうじゃない」
「今から飲むんじゃないのかよ」
「ご挨拶くらい、しなくちゃいけないでしょ」
「……蓋しといて、冷たくして飲めよ」
「何よ。美味しくないじゃない。香り飛ぶし」
「後で淹れ直してやるから、今はいいだろ」
一々姉の我が儘にも付き合ってはいられない。
台所の戸を開け、盆を持つ。
「戸は閉めてくれよ」
「はいはい」
手の塞がっているリファスの代わりにエルフェスが来意を示して戸を叩く。
「どうぞ」
「お菓子とお茶をお持ちしました」
「ああ、待ちかねていた。……貴方は?」
戸を開けリファスを迎え入れようとしたサディアは、エルフェスの姿を認めて小さく首を傾げた。
エルフェスは直ぐ様膝を折り、礼を取る。
「一言ご挨拶をと思い、お伺いも致しませず罷り越しまして、恐悦至極に存じます。リファスの姉、エルフェスと申します」
「エルフェス殿か。…………以前、何処かでお会いした様な」
リファスと面差しが似ているというだけの理由でない様に思い、サディアはじっとエルフェスを伺う。
「左様でございましょうか。…………五年ほど前、前陛下の御前にて舞を献上致しました折に、その場におわし遊ばされたのかも存じませんわ」
上着を脱ぎ落としただけのエルフェスは、巫女としての正装のままだ。王女に会うに憚りもない。
家と神殿が近距離の為に、煩わしさを嫌ってエルフェスは正装で通勤していた。
その服装と艶やかに肩を覆う髪を眺め、サディアは暫く考えた後ぽんと手を打った。
「……ああ、思い出した。僅かばかりの時間だったが、我が儘を言って少し舞を教えて頂いたか。貴方の美しさは際だっていた。覚えています。あれから暫くは、見よう見まねで音に合わせては踊っていた。私も、まだ幼かった故」
「その様な事もございましたか」
国守としての他にも、十四歳の王女としての顔も持っている。サディアは懐かしげに目を細めた。
「世界の舞姫がよもやリファスの姉上様でいらっゃったとは。面白い巡り合わせだ。しかしリファスも、貴方も、何故書簡にて名を明かしてくださらなかった。名が知れていれば、私とて警戒せずに参ったものを」
「わたくし共も、それなりに顔も名も通っておりますもので……」
「そうか。……そうだな。リファス、何だ、二人分しかないではないか。お前と姉上様のも用意しないか」
盆の上に視線を移し、眉を顰める。
そして、リファスの手から盆を取った。
「エルフェス殿、どうぞ中へ。リファスも、急げよ」
「はい」
我が儘で気の強い女の命令には慣れている。
リファスは口答えをせず、素直にかつ速やかに下がった。
エルフェスはサディアに促され、立ち上がって部屋へ入った。
続
作 水鏡透瀏
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