[ラグスコ]その手のひらに触れたなら
- 2020/08/08 21:10
- カテゴリー:FF
スコールが手袋を外す瞬間を、ラグナは気に入っている。
スコールの手は、いつも黒の手袋を嵌めていた。
武器が起こす振動摩擦から皮膚を保護し、戦闘による汗やターゲットの返り血で愛剣を滑り落とす事のないように、そう言った目的で使用されている。
手の防護としての役割もあるから、それなりに頑丈で厚みのある物で、その手で握手をすると、スコールの手の形と言うのは判り難かった。
平時、決まった私服で過ごす事が多いスコールは、この手袋もセットで身に着けている。
SeeD服を着ている時は、コーディネートの問題なのか、黒の手袋は外している事も多いが、正式な式典の場で着用する際には、白手袋を嵌めている事もあった。
大体はそう言った具合だし、他者の眼を気にする性格もあって、人前に出る時にはいつもの服装だけでも一揃い欠かさず身に着けている為、スコールが人目に素手を晒している事は滅多にない。
だから、だろうか。
SeeD服を着用している時を除いて、スコールが手袋を外すと言う行為は、彼のスイッチの切り替えを暗喩しているように思えてならなかった。
今日もスコールはいつもの通りの服装で、ラグナの護衛に従事している。
彼がエスタに大統領護衛の任務と言う目的を負ってエスタに来たのは、三日前のこと。
それからスコールは、ほぼ24時間をラグナと同じ空間で過ごし、ラグナのタイムスケジュールに沿って行動している。
こうなるとスコールに構いたくて構いたくて仕方がないのがラグナである。
最近見え難くなって来た書類仕事と格闘しながら、なんとか隙間を捻出しては、傍で見守る格好になっているスコールに構い甘える。
初めの頃はそんなラグナを「仕事をしろ」と叱っていたスコールだったが、最近は諦めたらしく、あしらいながら仕事を再開させるように促すだけだ。
仕事よりスコールと話がしたい、なんて子供のような我儘を言う男に、スコールが「……俺も手伝うから」と言ったのはいつだったか。
それ以来、ラグナが溜まった仕事から逃げるように自分に構い始めると、溜息を吐きながら書類整理を行うスコールの姿が見られるようになった。
様々な分野から持ち運ばれ、積み上げられた書類の山を、スコールが締め切りが早い順に仕分けて並べていく。
先ずは今日中に目を通さなければならないものをラグナの前に置いて、隣に明日締め切りのものを置く。
ラグナがそれらの内容を確認、承認印を押している間に、スコールは後の締め切りとなっている書類を分野ごとに分けて行った。
スコールのこのサポートのお陰で、一山二山とごちゃごちゃになっていた紙束は、平たい山裾が幾つか残るのみとなる。
これも後々また追加されて山へと育って行くのだろうが、ともあれ、今日の内に済ませておくべき案件は、無事に全てが片付いた。
「は~、終わった!」
「……ご苦労様でした」
椅子の背凭れにどさっと体重を預け、大きな声で今日の終了を宣言したラグナに、スコールは書類束の端を机にトントンと落として端を揃えながら、短い労いを投げかけた。
ラグナは天井を仰いで大きく深呼吸し、肺に溜まった詰まりを吐き出して、体を起こす。
碧の瞳が、デスクの向こうで書類の枚数を確認する少年を見て、へにゃりと眉尻を下げて笑った。
「いつも悪いなあ、手伝って貰って」
「そう思うなら、俺が手を出さなくても良いように仕事をしてくれ」
「ご尤もで」
スコールのぴしゃりとした返しに、ラグナは苦笑いを浮かべるしかない。
ラグナが大統領として仕事をするに辺り、努力が足りない、訳ではない。
同様に、これまでエスタの文官として大統領補佐の仕事をしてくれていた人達が、その仕事をサボタージュしていると言う訳でもない。
今のエスタは、十七年の鎖国を解き、国際社会への復帰を果たす為、やらねばならない事が多過ぎるのだ。
前代の魔女の遺産による、望まぬ鎖国ではあったものの、結果としてそのお陰でエスタは外界と隔絶された平穏が保たれていた。
しかし、スコール達を初めとした異邦人の来訪は、今後も避けて行けるものではない。
魔女戦争と言う大きな出来事で、社会情勢は大きく動き、エスタもその波の中で開国した。
新たな時代として目を覚ました沈黙の国は、他国にとってみれば得体の知れない国とされ、エスタ自体も他国世論の常識との剥離が否めず、信頼を得るのも一苦労であった。
こうした事情で、様々な新しい案件が日に日に舞い込み、それに伴って書類が山となるのである。
スコールもそう言った事情は理解している。
だから、エスタの人間でもない、護衛として契約しているだけである事を理解しながら、ラグナの手助けをしているのだ。
機密的な文書まで当たり前のように紛れ込んでいる書類の山に、これで良いのかと溜息を吐きながら。
それもキロスやウォードを含めたエスタの文官が、スコールの事を信頼しているから、とも言えるのだが、本来の自分は部外者なのだから、もっと警戒して欲しいとも思う。
スコールが並べてくれた書類を、ラグナはパラパラと捲って見る。
今この場に残っている書類は、四日目以降の締め切りのものだけ。
これなら、明日から配達される新たな案件についても、少しは余裕を持って臨む事が出来るだろう。
それを確かめたラグナは、最近手放せなくなって来た眼鏡を外して、デスクの引き出しへと片付けた。
「よし。今日は此処までにして、帰ろうぜ」
「……ああ」
椅子から立って伸びをするラグナの言葉に、スコールも頷いた。
ラグナは内線で「そろそろ帰るよ」と言う連絡をしてから、執務室を出る。
人気の少なくなった廊下を進み、官邸の外へと出ると、キロスと、運転手としてウォードが車を用意して待っていた。
ラグナとスコールを乗せて、車が走り出す。
タイヤのない、浮力と揚力を利用して走る車は、エスタの平坦な道の造りと相まって、走行による振動が殆どない。
この感覚にも慣れたなあ、と思いつつ、ラグナは欠伸を漏らす。
「……眠いのか」
「んー、ちょっとな」
「……着いたら起こす」
「良いよ、そんなに時間かかる距離じゃないし。寝る前に着いちまうよ」
同乗者の気遣いに感謝しつつ、ラグナはそう返した。
スコールは「…そうか」とだけ言って、窓の外へと目を向ける。
蒼灰色の瞳が、官邸で書類仕事をしていた時よりも、剣呑さを帯びて、通り過ぎる景色を睨んでいた。
ラグナは十七年間の独裁政権を、ほぼ善政と読んで良い形で統治しているが、それは全体の割合で見て支持率が高いから言える事だ。
様々な利権やら何やらと言った柵は、エスタでも皆無ではない。
特に魔女戦争後に開国してからは、これまでの暮らしと否応なく変化が起きるであろう事も考えられ、拒否反応を示す国民もいる。
こうした理由から、ラグナ・レウァール政権を打倒しようと働きかける声も生まれ始めた。
時代の転換期とも言える今現在に置いて、こうした動きはあって然るべきものとラグナは捉えているが、故にこそ“護衛”の任を負ったスコールの責任は大きい。
大統領の護衛と言う任務を持っているスコールにとって、街を移動している時は、一層気が抜けない時間である。
エスタの街は複雑に入り組んでおり、路は上に下に斜めにと伸びており、その隙間を埋めるように高層ビルが生えている。
人が潜み易く、見付かり難く、何らかの仕掛けを施してもバレ難い場所。
そう言うポイントがそこかしこにあるから、スコールは全身の神経をセンサーのように張り巡らせて、通過する風景を見詰めていた。
────其処までしても、何事もなく二人は私邸に辿り着く。
それが護衛任務としては何よりの事だ。
「じゃ、また明日な、ウォード」
「………」
「判ってる、寝坊なんてしねえって。あっ、信用してねえな!」
「……」
怒って見せるラグナの声に、ウォードはくつくつと笑った。
黒い瞳がちらりとスコールを見て、ラグナを宜しく、と言う。
スコールはその声なき声は聞こえなかったようで、きょとんとした顔で首を傾げていた。
それでもウォードには十分な反応だったようで、じゃあな、と手を振ってハンドルを握り直す。
車は音なく滑り出し、門扉を越えて曲がった所で見えなくなった。
スコールの手で私邸の玄関扉が開かれて、ありがと、と言ってラグナは敷居を跨ぐ。
広さに反して人気が少ないのはいつもの事で、賑やかし事が好きなラグナではあるが、この私邸に限ってはこの静寂が心地良い。
「ふぅ~、ちょっと休憩だな」
「……ああ」
そんな遣り取りをして廊下を進み、二人はリビングへと入った。
ラグナはリビングの真ん中に据えられたソファへどさっと腰を落として、背凭れに沈む。
書類仕事で固まった肩から力が抜けて、気持ちも抜けたか、眼の奥がじんとした感覚に見舞われた。
目薬が欲しいなあ、と少しぼやける天井を見上げてながら思っていると、ぱさ、と軽い音が鼓膜に届く。
霞目を擦りながら首を巡らせると、スコールが上着を脱いでいた。
ファーのついた黒いジャケットがテーブルに置かれ、すっきりとした首回りのラインが露わになっている。
蒼の瞳は、今日一日嵌め続けていた黒手袋を見詰めており、左手指が右手袋の爪先を引っ張って、手と指の関節の締め付けを緩ませる。
手首を包む縁を捲るように持ち上げてやれば、傭兵と言う職業に反して、細い印象を与える節張った手首が露わになる。
指先に向けて縁を送り出すように添え押して行くと、手袋はするするとスコールの手肌を滑って、外された。
脱いだ手袋をジャケットの上に放り重ねて、スコールは左手の手袋も外しにかかる。
厚みのある手袋だが、作りは非常にしっかりとしていて、スコールの手の形にぴったりだ。
それが丁寧に手から剥がれて行く様子を、ラグナはじいと見つめていたが、
「……何か用か」
「ん?」
あまりにもじっと見詰めていたからだろう、スコールが眉間に皺を寄せてラグナを見た。
手袋はまだ指先が入ったままで、それを取るより、ラグナの方が気になる位、視線が煩かったらしい。
用があるなら言えと、蒼の瞳が声なく言いながら、スコールは手袋を取った。
丸まった手袋を惰性の手つきで伸ばし直すスコールを、ラグナは呼ぶ。
「スコール。こっちおいで」
「……」
来い、ではなく、おいで、と言う誘い。
スコールの眉間の皺がまた深くなったが、彼は手袋を机に置くと、素直にラグナのいるソファへと近付いた。
ソファの横に立ってラグナを見下ろす、スコールの手。
ラグナが何も言わずにその手を捕まえると、驚いたようにスコールの体が固まった。
振り払う事を忘れているのか、立ち尽くして硬直しているスコールの手を、ラグナは口元へと持って行く。
指先に柔らかく触れた感触に、蒼の瞳が丸く開かれる。
それを見上げてにっかりと笑いかければ、幼さの残る貌が真っ赤に染まって、ラグナは可愛いなもんだあと思った。
手袋を外す瞬間ってなんかとてもアレじゃないですかって言う話。
スコール自身は特に無意識に行っている行動に、ラグナが嵌っていると良いなと。
普段は頑なに手袋をしてそうなスコールだと尚更。